老ネズミはエサを求めてうろつくから天敵に捕まってしまう。
老いたら若ネズミのように捕まっても逃れる術も体力もない。
老いたら大人しく安全な巣の中にいて、
労せずエサを得る仕組みを作り上げることが肝要なのだ。
これが本当の老後戦略というものだ。
天敵やライバルの動きを意識することもなく、
のんびりと暮していても食うのにも困らず悠々自適に過ごせる。
老いたら体力を使わずに知恵をフルに使うことだ。
若い時に知恵を得なかった老ネズミの余生は言わずもがだ。
農耕民族は集落を作ることで外敵から守り助け合って生きのびた。
団結力が強くなればなるほどルールを強化して異端児を排除した。
対してそれぞれが独立した狩猟民族は集落を持たない。
自身で身を守り安全確保をそれぞれの方法で手に入れた。
個々が自立した大人の集団の姿がここに在る。
別々に暮らしていてもいざという時には結集し外敵を排除する。
これが本当の強い理想の組織の在り方だ。
団結を強くしようとすれば弱い者が集まり小さくまとまっていく。
自立した大人は異端児を許容し強い組織を作り上げる。
世を変えるのは常に既成概念に縛られない異端児である。
「バートランド・ラッセル」、世にいう天才は数多くいますがその中で私が思考的に影響を受け心の師と仰ぐ人を3人上げるとすれば、迷わずアルベルト・アインシュタイン、ジョン・ノイマン、そして私の人生の目標にしたいほどの大天才であるバートランド・ラッセルです。
アインシュタインはいうまでもなく「相対性理論」や「特殊相対性理論」を打ち出し、「量子力学」・「宇宙理論」を飛躍させたあまりにも有名な大天才です。
ノイマンは数学の天才でコンピュータの計算ロジックの基礎を作り、現在使われている大型コンピュータからマイコンまで全てがノイマン型の論理ロジックが基本となっています。
そしてラッセルですが、アインシュタインと親交が深く論理学(アルゴリズム)の世界的な権威であらゆる分野で天才振りを発揮しました。
そして1955年に「ラッセル&アインシュタイン宣言」を発表し、核兵器の使用を禁じ原子力を平和利用しようと訴えました。
この宣言には日本の湯川秀樹も含めた計11人の科学者が署名し、全員がその後にそれぞれの分野でノーベル賞を受賞しています。
私がラッセルを人生の目標としたいのは実はこういう天才科学者としての生き方ではないのです、彼がノーベル賞を受賞したのはなんと物理学賞ではなく「文学賞」だったのです。
人生の晩年、彼はそれまで発見・提唱してきた論理学や数学といった分野から、人間の行動に基づく社会構造や教育理論にそれを応用し多くの思想や哲学を創出し発表しました。
研究の対象を科学から人間、それも「心」の領域に科学者で始めて踏み込んだ人なのです、その多くの理論の中でも特に有名なのが「パラドックス理論」や「階型理論」があります。
これらは当時閉塞感のあった数学や物理学に新たなる方向性をもたらしました、特に「階型理論」はその後AIの言語分析という領域において基本アルゴリズムとして君臨し続けています。
当時の科学者の多くの思考の壁は実は自分自身の「心」にあったのです、それを自らの体験を基に体系的にまとめ論文として発表し続けました、したがって科学者でラッセルを慕う人は多いのです。
彼は当時では驚きの98歳まで生きました、それでも「もっと時間が欲しい」と最後まで言い続け研究に没頭していたのです、もっと多くの時間が彼にあったらもっとAIが早く発展したかもしれません。
クールな科学という分野を生き、「人間」や「心」を科学で解明しようとしたホットな大天才、もっと多くの人に「バートランド・ラッセル」を知ってほしいと願うばかりです。
「寺田寅彦」、東京帝国大学(現東京大学)理学博士で物理学の研究を亡くなるまで続け、同時に理化学研究所研究員を兼務していた日本を代表する物理学の権威です。
寺田寅彦を尊敬する理由としては、彼は天才的な科学者でありながら「科学と文学の融合」という試みを行うという人間臭い一面を持つからです。
その人間性は「我輩は猫である」の水島寒月、「三四郎」の野々宮宗三という小説に登場する人物モデルともなっていることでも解ります。
また「天災は忘れた頃にやってくる」などの金言は、まさに「科学と文学との融合」という彼独自の理想郷を垣間見ることができます。
私はそんな寺田寅彦の幾つかの研究テーマを大学時代に知り図書館で借りまくっては朝まで読み耽り、物事の視点や洞察力に関して感性を大いにくすぐられたことを今でも鮮明に記憶しています。
発表された論文は当時はまったく評価されていませんでしたが、テーマの一つに「沼地のひび割れとキリンの模様の奇妙な一致」というものがありました、これはその後の「形の科学」という新しい科学分野を誕生させるきっかけとなりました。
現在では、「生命体の形は予めプログラムされている」という世界的な大きな研究カテゴリにまで発展しています。
またこの分野での研究者も年々多くなっています、亡くなって既に90年近く経ってようやく寺田寅彦の功績が評価され始めてきているのです。
また、「金平糖の突起角度の科学」(食べて美味しいと感じる突起の角度)、「潮の副振動」(波は全て正弦波の合成であるという実証)、「ツバキの花の落下時期」(同時性の法則)、「藤の実の飛び出し角度」(物を遠くへ飛ばす研究)など、自然現象の中の何でもない事に疑問を感じては研究し論文化していました。
そして、これらの研究成果を文学として作品(随筆)にし「珈琲哲学」・「化け物の進化」・「破片」など約300編ほど残しています、こうして科学をできるだけ判りやすい読みものにしたのです、これが「科学と文学の融合」と言う新潮流を起こしました。
私はこんな素朴な天才の見せる人間臭さに惹かれてしまうのです、そして「科学を文学表現する」という試みには脱帽してしまいました。
科学論文はそれまでは計算式などで主に説明する科学者向けの表現が一般的でした、それを一般の人にも解るようにと難しい理論を簡単な文章での表現法を生み出していったのです。
寺田寅彦は表彰や勲章などでの大きな功績こそ残すことはありませんでした、しかし確実に多くの科学を愛する者の心の中に生き続けていると思ってやみません。
私もその一人です、「物事の本質を固定概念や思い込みを排除し、見たままに素直に見極める」はビジネスにもプライベートにも大いに役立っている思考の一つです。
きっと大学時代に彼の論文に出合っていなかったら、現在こうして100を越える特許出願はできなかったのかもしれません。
ビジネスの必勝法。
何事も後だしジャンケンを意識し、
相手に先に条件や金額を言わせるように誘導する。
ただし見破られたら信用失墜すると覚悟を決めること。
コメント:
条件を先に出させた方がどのような場合でもはるかに有利である。
逆に自分から条件を出す場合はそれが商談のベースとなってしまう。
予算も、期間も、内容も、できるだけ相手から先に出させるようにすることが肝要。