2022年9月 5日 01:00
「寺田寅彦」、東京帝国大学(現東京大学)理学博士で物理学の研究を亡くなるまで続け、同時に理化学研究所研究員を兼務していた日本を代表する物理学の権威です。
寺田寅彦を尊敬する理由としては、彼は天才的な科学者でありながら「科学と文学の融合」という試みを行うという人間臭い一面を持つからです。
その人間性は「我輩は猫である」の水島寒月、「三四郎」の野々宮宗三という小説に登場する人物モデルともなっていることでも解ります。
また「天災は忘れた頃にやってくる」などの金言は、まさに「科学と文学との融合」という彼独自の理想郷を垣間見ることができます。
私はそんな寺田寅彦の幾つかの研究テーマを大学時代に知り図書館で借りまくっては朝まで読み耽り、物事の視点や洞察力に関して感性を大いにくすぐられたことを今でも鮮明に記憶しています。
発表された論文は当時はまったく評価されていませんでしたが、テーマの一つに「沼地のひび割れとキリンの模様の奇妙な一致」というものがありました、これはその後の「形の科学」という新しい科学分野を誕生させるきっかけとなりました。
現在では、「生命体の形は予めプログラムされている」という世界的な大きな研究カテゴリにまで発展しています。
またこの分野での研究者も年々多くなっています、亡くなって既に90年近く経ってようやく寺田寅彦の功績が評価され始めてきているのです。
また、「金平糖の突起角度の科学」(食べて美味しいと感じる突起の角度)、「潮の副振動」(波は全て正弦波の合成であるという実証)、「ツバキの花の落下時期」(同時性の法則)、「藤の実の飛び出し角度」(物を遠くへ飛ばす研究)など、自然現象の中の何でもない事に疑問を感じては研究し論文化していました。
そして、これらの研究成果を文学として作品(随筆)にし「珈琲哲学」・「化け物の進化」・「破片」など約300編ほど残しています、こうして科学をできるだけ判りやすい読みものにしたのです、これが「科学と文学の融合」と言う新潮流を起こしました。
私はこんな素朴な天才の見せる人間臭さに惹かれてしまうのです、そして「科学を文学表現する」という試みには脱帽してしまいました。
科学論文はそれまでは計算式などで主に説明する科学者向けの表現が一般的でした、それを一般の人にも解るようにと難しい理論を簡単な文章での表現法を生み出していったのです。
寺田寅彦は表彰や勲章などでの大きな功績こそ残すことはありませんでした、しかし確実に多くの科学を愛する者の心の中に生き続けていると思ってやみません。
私もその一人です、「物事の本質を固定概念や思い込みを排除し、見たままに素直に見極める」はビジネスにもプライベートにも大いに役立っている思考の一つです。
きっと大学時代に彼の論文に出合っていなかったら、現在こうして100を越える特許出願はできなかったのかもしれません。