「速やか」・「早急」・「至急」・「ASAP(as soon as possible )」など、一体何日間が正解なのでしょうか。
これほど適切なようで曖昧な言葉はないと思います。
人によっても企業によってもまるで解釈が異なるようです、したがって自分の都合によって解釈する人もいてもおかしくありません。
以前、顧問弁護士さんにビジネス上のトラブルが発生して契約書などを見てもらった事があります。
その時の顧問弁護士さんの話では、「一般的に速やかにとは7日以内という解釈をします」ということでした。
付け加えて言うと「ただし法的に縛られるものではない」と、これまた曖昧な回答です。
つまり、「相互の良心によってできる限り優先的に扱い短時間で処理して誠意を示す」、という意味で用いられるようです。
当社はその件以来、契約書だけではなく相手に示す書類には必ず日付を示し「*月*日までに」と明記するようにしています。
「良心に任せる」というのは本来のビジネスの姿です、お互いの事情や立場を尊重し誠意ある行動を行うということは信頼関係の証でもあります。
しかし一旦事が起きると、なかなか悠長なことを言っていられないのがビジネスの世界です。
本意ではありませんが、やはり契約事項は曖昧な表現ではなく明確に示す事がトラブル回避につながりお互いに尊重しあえるのかも知れません。
山を登るのには多くの時間がかかります、しかし降るときはその数分の一の時間で降ることができます。
ビジネスの世界でも同じことが言えます、長年かけて収益事業を構築しますが判断ミスや何かをきっかけに急降下してしまうことがあります。
降下する時はほんの一瞬です、軌道修正する間もなく終わってしまうこともあります。
先輩経営者がこんなことを言っていました、「ビジネスも人生も落ちる時は一瞬だ」と。
また逆に一旦落ちた後の回復にも相当の時間が要ります、こんなことから「ビジネスも人生も山の如し」だと思うのです。
私もこれを実際に経験しました、約3年かけて大きな投資を行い収益事業を構築し特許出願に始まり開発そして販売まで漕ぎ着けました。
そして販売を始めるも、ライバルの出現や妨害を受けながらもようやく2年で収益が出てきたところでM&A合戦の末に事業買収の痛い目に遭い全てを失いました。
残ったものは大きな負の遺産、これを完全に回復するのに構築よりも更に多くの時間がかかってしまいました。
昇るのには長期間で落ちる時は一瞬、そして回復には築き上げた時間よりも長期間を要す、これは大きな学びでした。
収益事業を構築しそれを継続させるためには、未来思考で準備期間に全ての憂いを予め断っておくことが肝要です。
事業構築に如何に準備期間が重要かということを身を以って体験した教訓、経営者はこれを心に刻んでほしいと思います。
そして「天の時を待つ姿勢」ということも、ここで言うところの準備期間に他なりません。
パラサイトビジネスという言葉があります、言葉のイメージとは裏腹に企業経営においては一つの成功法則でもあるのです。
例えばベンチャー企業などが大規模な事業を興す際に、大手企業の傘下となり利益分配を担保に大きな資金力や営業力を有効に活用するなどの際に使われる手法です。
このような大規模事業などの際に使われるパラサイトは、良い事例として一考の価値が有りますが世の中にはちょっとちゃっかりすぎるのではないかというパラサイトビジネスも存在します。
その代表例が「パラサイトコンサルタント」です、この言葉は状況にぴったりくる言葉かと思います。
コンサルタントとは本来の意味は、「企業経営において経営力向上などを目的とし経営者と共に経営改善を行う顧問」というものです。
ところが、昨今では経営には無関係な事項にまでコンサルタントという名称を使いビジネスを行う人も多々見られるようになってきました。
これらの人の多くは経営経験も少なく、どちらかというと事業活性化や集客のアイデアを出すだけのようなサービスを展開しています。
自分には当然手に負えない事項も多々出てきます、そこでその際に本来の経営コンサルタントを紹介するという名目でクライアントを受け継いでもらうわけです。
ここまでは、どの業界にもよくあるビジネスリレーションという一種の提携なので問題はありません。
私があえて「パラサイトコンサルタント」と呼ぶ人はその後の行動にあるのです、その他者にバトンタッチした元クライアントが事業を構築し成功した際に、「自分が育てたクライアント」というイメージを作り上げてサイトやメルマガなどで成功実績として取り上げるのです。
自身は紹介だけで何もせずに、結果が出れば自身の手柄にして更なる集客に利用するのですからちゃっかりし過ぎと思わざるを得ないのです。
手に負えないクライアントとは本来はクレームや返金の対象になります、それが他者を紹介して成功すればクレームや返金騒ぎになるどころか「良い人を紹介してくれた」と感謝されます。
そして今度はそれを自身の成功実績として更なる集客に利用する、ただどこかの時点で必ずクライアントは冷静に考え「何かがおかしい」と思うようになります。
でも、こういうちゃっかりスキームを考えるような人はその時にはまた別の回避策を考えることでしょう。
何れにしても、直接間接に他者を自分の利益目的で利用するような行為は必ずどこかで周知の沙汰となり大きなツケが回ってきます。
ビジネスは、自身のできる事だけを汗水たらして行ようにしたいものです。
世間は自分が考えている以上に狭いです、全世界の人と居ながらにして繋がることができる時代なのですから。
何時の時代も世の仕組みが変わると多くの便乗ビジネスが派生します、今も巷ではSNSを集客などに活用すべきとうたったセミナーが雨後のタケノコのように次から次へと生まれては消えて行きます。
SNSは、2011年夏あたりから急拡大し2017年夏ごろから陰りが見え始めています。
これと似た現象は過去多く存在しています。
バブル経済崩壊後から急増した「異業種交流会」があります、一時期は参加しないと恐怖感が起きるほどの熱狂ぶりでマスコミもまたそれを助長しました。
しかし、当時幾つかの「異業種交流会」に参加してみて解ったことは、「みんなが同じニーズ」であるという点です。
つまりは参加者のほとんどが自分のビジネスに有利になる情報や出会いを求める需要側であり、供給側はほとんど参加していないのです。
考えてみても解ります、ビジネスが上手くいっている会社は何処の何者か解らない出会いによるリスクが伴うビジネスを行う必要性もないのです。
ビジネスが上手くいっている参加者の多くは、数回の参加で意味の無いことに気付きその後参加をしないのです。
変わって信頼できる関係者だけの少人数制のクラブ的親睦会、もしくは同業者だけのビジネスマッチングを主としたイベントが密かに行われるようになりました。
これらの会は招待でしか参加することはできず、相互に需給と供給の恩恵を受けることができます。
私も有用性を見極めるためにSNSに参加していたのですが、会ったこともない友達をどんどん増やしている人が多いのには驚かされます、そしてそういう人の多くは需要側であることも先の異業種交流会と同様です。
バブル崩壊後の異業種交流会と同様に、時間とコストを使った割にほとんどの人が利益にならない仕組みなのです。
そしてSNSのもっともリスキーな事、それは個人情報を自ら垂れ流し他人の情報を勝手にバラ捲ける機能です、妙な方向に行かないことだけを祈るばかりです。
ちなみにアメリカでは既にSNSによる殺傷事件や訴訟が毎日のように起きています、さて問題が起きたときにそれを助長したSNS活用セミナー講師やコンサルタントは自分には何も責任が無いと果たして言えるのでしょうか?
対して、ここにきての幾つかのリアルな超ローカライズ作戦、過去の例を見ると真の相互信頼での会員だけに絞られてきており賢い生き残り作戦と言えます。
そしてメディアを使った情報スプレーのSNSから、超ローカルでの密度の濃い繋がりを求める「村社会」の時代が到来すると予測しています。
ビジネスは基本的にリアルでの信頼関係で決まります、幾らSNSで仲間を増やしてもリアルで会った後にどれほど信頼関係を構築できるかは疑問です、結局のところ最後はリアルな人間関係次第ということです。
期待していたことがその通りにならないと結構落ち込みます、特にビジネスでは商談の大幅な規模縮小や銀行融資の断りなどは本当に厳しいものがあります。
どうして期待が裏切られるのか、その根本原因は何でしょうか?
よく考えるとその原因はすべて自分にあることが解ります、行動のまずさやミスではないのです、完璧にやっても同じことです。
原因はたった一つ、それは自分の過度な期待感です。
商談の内容、相手の笑顔、飲食での話し振りなどで自分が相手の考えている以上の期待をしてしまっているのです。
例え相手が当所の内容より結論が変わってきても、それは相手の都合があってのことでありゼロにならないだけ良かったと考えるようにすれば、これも一つの商談成立であり一つの成功です。
ビジネスは自分の思うように行かないのが正常な状況です、相手あっての取引なのですから自分一人で決められる事など何も無いのです。
自分が後悔のないように今を精一杯やるべきことをやり、後は朗報をじっと待つくらいの余裕で構えていて正解なのです。
また、そういう余裕ある心に思ってもいなかった天からのご褒美が降ってくるものなのです、多くの場合に「待つ姿勢」は周囲も含めて状況のプラススパイラルを起こします。
成果を取りに行くような積極姿勢も時には必要ですが、私の経験上やることをやったらじっと待つ方が平和で幸福に過ごせます、そして大きな収穫を得ることが多いものなのです。
決してバタバタ動いて無理やりに取りに行くものではないです、それは「果報」じゃなく「獲物」という代物ですから。