「持たざるリスク」、こんな言葉がバブル経済期に流行しました。
当時は株も不動産も、とにかく何でも買えば1年後には必ず2~30%以上の利益を出して売れた時代です。
つまり、買えるだけのお金を持っている人はどんどん資産を増やし買えない人はみすみす利益を逃すことになる、そんな時代に発祥した言葉です。
そして、これらから「勝ち組VS負け組」という言葉に変わってきました。
しかしバブルが崩壊するや否やそれまでの勝ち組はほとんどが負け組に変わりました、持っていた資産が減るどころか元々の元金を割ってマイナスに転落する人まで多数いたのです。
そして今度は「持つリスク」という言葉が使われ出しました、結局のところはいつの時代もどんな事でも「リスク」は必ず付いて回るのです。
そもそも生きていること自体が「リスク」なのです、「リスク」を避けて通ってはビジネスもプライベートも何もかも上手くはいきません。
逆にリスクを自ら好んで楽しむことが前向きな思考というものです、「リスクはスパイスと同じ」と私は門下生に言います、「無くては味気なく、有りすぎても食えないもの」だから。
そして、「リスク」を意識すると頭は常に考え事をします、これが実は長寿の薬だと考えています、何故ならボケる暇が無いほど脳は常にフル回転するのですから。
だいぶ前になりますが「パラダイムシフト」という言葉が流行しました、企業のホームページや理念などにいまだに使っているところも在ります。
この「パラダイムシフト」は私的には新しいというよりも懐かしい言葉です、最近「パラダイムシフト論」などという言葉まで誕生していますが、これは理論と言う領域ではない言葉です。
「パラダイムシフト」を最も解りやすく説明すれば、それは「進化論」や「遺伝子学」を例にとることだと思います。
例えば、「進化論」では生物が種の保存を遂げるために進化する方法として環境適応と突然変異があります。
環境適応は、環境や食べ物によってその環境に適応するように進化していきます。
それに対して突然変異は、特に起因するものが有るわけでもないのに偶発的に全く別の種が生まれてきます。
この、特に起因するものが無いのに突然異種が生まれる状態こそが「パラダイムシフト」というわけです。
最も簡単な日本語で示せば「進化的脱皮」が適切ではないかと思います。
そして今、「一種の衝撃や気付きによって、ある日突然思考が変わる」という意味で使われるようです。
あまり良い状況でないなら「パラダイムシフト」を期待して異分野の人と出合ったり、今までの価値観が全く通用しない異文化に接してみるのも悪くはないと思います。
「苦手な人=異種の人間=パラダイムシフトする大きなきっかけ」ということです、居心地の良い狭い範囲の仲間たちと何年いても退化しても進化することはありません。
心も思考も鍛えなければ退化します、そして確実に弱い人間になっていきます。
「パラダイムシフト」が上手くいった場合、今まで苦手だった人たちがまるで天使か神様かのように見えてきます、そういう自分に進化成長できたわけです。
私の人生での大きな「パラダイムシフト」は2回あります、1回目は社会主義全盛期のモスクワで食うに食えない地獄日々の体験、そして2回目は死を確実に意識した大手術でした。
この経験を通して大きく自分の価値観も思考も変わりました、人間とは死ぬ気になればとてつもない「生きる」パワーを発揮するものです。
「パラダイムシフト」に必要なのはたった一つ、「自分を変える覚悟を持つ」ということだけです。
どうして人間は10進法で計算するのでしょうか、指が10本だからでしょうか?
どうしてコンピュータは2進法で計算するのでしょうか、それは電気的状態がON(1)とOFF(0)の2つだからでしょうか?
もし人間の指が8本なら、「1、2、3、4、5、6、7、10、11・・・」という8進法になっていたのでしょうか?
人は生まれて物心が付いてくる頃は、全ての情報を選択することなしにそのまま吸収していきます。
しかし成長と共に情報が蓄積されると、今度はそれが今までの経験としてその後の情報を選択するようになっていきます。
つまり、これが「その人の常識」という本質です、言い方変えると「過去の経験による情報のフィルター」とも言えます。
したがって自分自身の「常識」に捕らわれると、今までにない新しい情報が入り込んでくると正確に物事を理解できないようになります。
雷はつい最近まで「神の成せる技」でした、しかし今では完全に科学的に解明され単純なる空間放電現象(自然現象)と皆が理解できます。
しかし、これを当時の人々が理解するのには多くの時間を要したのは想像するに易しいです。
つまり、今現在では常識とされているものが将来的には似非となるという可能性もあるのです。
常に頭を柔らかくし多くの情報を正確に選別し、時に悪意の情報操作に惑わされることのないように自分の判断能力を高めていただきたいと思います。
最後に、情報を正確に把握するための指標を下記に列記しておきます。
・情報の裏にある隠れた本質を見抜くこと。
・第3者からの情報はまず疑うこと、当該者からの1次情報だけ得ること。
・「常識=賛成多数」を疑いもなく受け入れないこと。
・情報の不一致は似非情報が混在している可能性を疑うこと。
・当事者の情報だから正しいとは限らない、あくまでも自分で確認すること。
進化論といえばダーウィンの「種の起源」があまりにも有名です、「種の起源」によれば種は環境に適合させるために種の保存を目的とした突然変異によって進化するということになります。
これは、競争社会を形成し変化に適合できない種は淘汰の道を選び絶滅するということになります。
これをビジネス社会に置き換えて考えてみると、殺伐とした競争原理の基に行われる企業間のサバイバルゲームそのものになってしまいます。
また、ついてこれない企業は淘汰つまり倒産に追い込まれてしまうということになります。
このダーウィンの進化論に対して真っ向から異を唱えたのが京都大学の今西錦司名誉教授でした、彼の説は「生物は自分の生態に適合した環境を選んで生き残る」という住み分け理論を発表しました。
住み分け理論をビジネス社会に置き換えると、それぞれの企業は同じ業界であっても特徴を生かせる分野で棲み分けることにより成長していくということになります。
つまり棲み分け理論には競合や淘汰という殺伐としたものは存在せず、そこに在るのは共存共栄の平和な社会です。
「企業が進化し成長を考えるとき、企業を変異させ競合によって生き残るのではなく、それぞれの特徴に合わせた分野において共存共栄を図りながら業界そのものを成長させていく」、このような考えの方が我々日本人のワビサビの文化に受け入れられる気がします。
ダーウィンの進化論を自社に応用してきた企業は少なくありません。
日本企業の場合、進化論でなく棲み分け理論によって企業成長を考えるようでありたいと願うばかりです。
私も若き血気盛んな頃に、「競争こそ美学」という考えで他社を押しのけてさえも頂点を極めた時期がありました、そして大きな成功を手中に収めました。
その栄誉は一過性のものであり、直後には天国から地獄に落とされるほどの手痛い結果になりました。
そして敗者としてどん底を経験しました、その穴の中で見えたものは自分が自分を苦しめる地獄絵でした。
自己の経験において言わせてもらいますと、「他者を踏み台にした」成功なんて有り得ないのです。
共存共栄を目指した棲み分け理論の実践こそ、参加者全員が利益を共有し成功を収めることができると確信しています。
上手くビジネスを回してキャッシュフローを無難にクリアしていける経営者と、そうでない経営者の違いは何でしょうか。
これは私自身の経験上言えることですが、年間を通した計画を事前に行っているかどうかが大きなポイントです。
年間を通して長期視野で見極めている人は月間での短期状況はあまり重要ではありません、だから焦りも無いし粛々と達成に向け計画をこなしていけます。
また、その間のキャッシュフロー計画も万全です、事前に状況や投資事項を織り込んで資金調達を行っているからです。
売り上げが落ち込んできても、売り上げ状況に関係なくサイト構築から販促品や商品・商材の開発投資を計画通りに実行できるのです。
対してこの年間を通した計画が出来ていない人、もしくは計画してもその通りに実行できない人は自身に対して不安を抱えることになります。
またキャッシュフローの問題で動くに動けず、取り急ぎの日々の活動資金を得る行為に出てしまいます。
こうなっては計画など絵に描いた餅で小さな事しかできなくなります、更にはこの繰り返しで何の進展もないままに時間だけが過ぎてしまいます。
気が付けば創立10年と重ねるも、創立当初と何も変わらない状況となってしまうのです。
経営者とは上手くいかない時期が1年も続いたら何かおかしいと疑問を持たなくてはなりません、そして本格的な軌道修正を覚悟を決めて実行する必要があります。
自身が経営に向いていないと思えば経営顧問を雇う、他社の傘下に入るなど経営者として会社を維持成長させる方法は無数に有ります。
そして、これも経営者としっての大きな仕事の一つなのです。