経営者と言えども特別な存在でも何でもなく普通の人と何も変わりませんし、生きていくうえで特別に有利になることも不利になることもありません。
でも多いのです、起業すると特別な人間だと過剰に意識してしまう人が、そして自分自身に妙な暗示をかけてしまうのです。
その暗示の最たるものが義務感と責任感です、でもこれは真面目な人だからこそであり起業しても起業前と何ら意識も行動も変わらない人よりも全然まともです。
この義務感や責任感は時として自身をストイックに追い込んでしまったり、その結果のストレスを貯め込んでいってしまいます。
会社員時代とはライフサイクルも変わります、時間的な自由がある半面で自身で稼せがなくてはという責任や常に付きまとう経済的な課題で行動や思考に大きな制約を感じる人もいます。
そのストイックなまでに自身を追い込みストレスを感じても、「自分で選んだ道だから」、「経営者なのだから」と自身に更に鞭を打つ人もいます。
運良く有益なメンターに出会えた経営者は、どこかでこの意味の無い自己暗示に気付くのです。
私の場合はこの気付きを得たのが何と起業後20数年が経過したときです、気付きを得た後はスーっと気持ちが楽になったのを今でも思い出します。
2回り以上も年上だった今は亡きその先輩経営者は、当時経営四十数年の経営者人生を隠居し出身地に住居を移し悠々自適に暮らしていました。
「自分に無理を強いても誰も幸せにできない」、心をえぐられるほど痛い一言でした。
この気付きが無かったら、上場を目前にして野に下る判断をしていなかったかもしれません。
自分だけではありません、社員に更なる無理を強いて仮に上場できたとしてもエゴに過ぎなかったと後悔していたかもしれません。
野に下る判断の数秒間、先の先輩の一言がふと脳裏に浮かんだのです。
志半ばでの大挫折という痛恨の悔しさ以上に「自分に無理を通す」自分が急に嫌になったのです、それを通したところで「誰も幸せにならない」と事実を真摯に受け入れられる自分がいました。
経営者と言えども特別な存在でも何でもなく普通の人と何も変わりません、本当の自分に立ち返るきっかけは何処かで必ずあります、そのときは素直に本当の自分を真摯に受け入れてほしいと思います。
事業や経営の失敗など恐れるに足りません、本当に恐れなくてはならないのは人としての人生そのものの破綻なのです。
私は機会がある都度に直接また間接的に何気なくこれを伝えます、多くの人はその場では解った振りをしますがやはり自分に無理することを止めません。
きっとどこかで痛感するときがあるでしょう、そのときで充分です、経営者としてではなく「人として」の本当の自分を取り戻してほしいと思います。
特別な存在という意識から解放された経営者は、その後の経営方針を例外なく大きく転換させていきます。
そして経営や事業推進を、自身に無理のない方法で道楽のように楽しめるようになるのです。
当然のこと苦労することも嫌なことも多々有ります、でもこれは別に経営者に限りません、人として生きていく上には避けて通れないものなのですから。
どんなときも楽しもうと考えるようになるのです、それが「苦楽楽楽」という苦しいときも楽しみ楽しいときも楽しむということです。