経験は多いほうが良いと言われます、確かに少ないより多いほうが良いと思います、それは問題解決などには必ず経験が生きてくるからです。
しかし人生における時間には限りがあります、仕事をする期間は通常の人で40年程度です、限りある期間であれば経験の内容も重要なファクターとなるのです。
私は「した方がよい経験と、しなくてもよい経験」とがあると思います、何でも経験すれば後で生きるとは限りません。
しなくてもよい経験とはしなくても済む経験のことであり、失敗事例とかそういう次元ではありません。
私はずっと技術畑を歩いてきました、しかし経営者でもあります、経営者であれば当然最低限必要な知識や能力があります、私はこれらを設立前に独学で勉強してきました、結果多くの時間も費やしてしまいました。
しかし会社を設立後、実際に会計処理や税務処理は顧問会計士や税理士が行ってくれるので私の出番はありません、最終的な確認だけで済むのです。
ということは、最終的な確認に必要な知識だけを身に着ければ良かったわけです。
当時私はまだ20代、事後の事まで頭が回りませんでした。
「会社を作る=必要な知識と能力を身につける必要がある」、ということだけで行動してしまったようです。
今思うと、先に正確な情報を得てさえいれば他にもっと必要なカテゴリーに時間を費やせたと反省しきりです。
何時の時代も何処の世界でも、大きな災害や紛争は確実に人の意識を大きく変えていきます。
物事が大きな変化を起こす時、そこには大きな意識の変化と共にチャンスが確実に生まれるものです。
日本においては先の大震災で人々の意識が確実に変わったのが「電力」に関してだと思います、そして安全神話とは何かということです。
我が国初の「計画停電」はそれまでの「電気は何時でも使える」という意識を「何時使えなくなるか解らない」という意識に変えたのは事実です。
大手家電メーカやベンチャー企業がその後開発を急いだのが、安価な家庭用の発電機や予備電力としてのバッテリーです。
発電は主に太陽光発電や風力発電で、それを常に使用しながら電気を蓄えて余った電力は売電し発電ができない夜は蓄えた電力を使用するものです。
これまで商品化され今後は徐々にニーズが高まり、大量生産や新型の蓄電池を使うことで大幅に価格を下げ軽量小型タイプが出現してくることになります。
また電気自動車用のバッテリーを改造したポータブル蓄電池も需要が高まっています、持ち運べるタイプで数時間の充電でPCなら10時間以上は使用でき企業の緊急用蓄電池や屋外用としてニーズが高まっています。
電気は無限にあるという時代から何時止まるかもしれないという不安が生むビジネス、確かにビジネスチャンスと言えば聞こえは良いが要は社会の安全神話が崩れたということだけなのです。
そして忘れてはいけないのが災害による犠牲者の事です、これを忘れてビジネスチャンスと浮かれる人に成功の文字はありません。
成功は他者犠牲を忘れては絶対に成さないのです、社会貢献とうたうなら利益重視から社会に豊かな暮らしをもたらすことを優先で考えていただきたいと思うのです。
例え今は大成功を収めている経営者でも、起業したての頃や成長段階においては苦しく厳しい時期が必ずありました。
「今月の給与をどうしよう」、「銀行への返済はどうしよう」、資金的窮地に追い込まれることは経営上珍しいことではないし、どの経営者にも幾度かの経験は必ずあるものです。
仕事が上手くいっていたとしても、キャッシュフローのこうした問題は何時訪れるか解らないのが経営です。
例えば大きな商談が纏まって業務を推進する、当然支払いは納品後であるので大きな商談であればあるほどその間の企業運営コストを維持していかなくてはなりません。
その場合は銀行融資などに頼ることになります、その融資の実行が思わぬトラブルで1ヶ月延びることも想定できるし予定していた入金が遅延することも当然あります。
このように資金的な窮地は、その企業が黒字とか赤字とか会社の業績に関係なく常に起こりうる事実なのです。
そういうときの経営者の心境は穏やかではありません、自分の給与を未払いにしてまで社員の給与や仕入先への支払いを優先するので、精神面だけでなく財布の中身も非常に惨めなことになります。
突如として、家族共々極貧の節約生活に突入する事態も有り得るのです。
しかし、そんな時にお金が無いからといって質素な食事にしていくと本当にドンドン精神的に落ち込んでいきます。
本来であれば、別の方法を探れば解決できるということでも何も考えられなくなるほどに思考が狭くなってきます。
そこで世の経営者に私からの提案です、資金的な余裕が無く精神的に追い詰められたら逆転の発想で無理の無い範囲で家族や社員と贅沢な食事をしていただきたいのです。
人間としての満足の基本が「衣食住」にあるのです、美味しい物を食べると追い詰められて空回りしていた頭が冷静さを取り戻してきます、「明日から再度頑張ろう」と身体の底から前向きになってくるのです。
精神的に追い詰められ更に節約していたら、「こんな食事しかできない様になったのか?」と本当に精神的に落ち込むことでしょう。
追い詰められたら贅沢して美味しい物を食べる、そして良く寝ること、翌朝に再度打開策を考えてみましょう、昨日までとはまったく違った前向きな発想が出てくるはずです。
何もかも自分の思ったようにいかない人に共通している事項を見て取れます、その中で特に思うことが「何かが違うんじゃないの?」という感覚です。
何かが違うから上手くいかないわけなので当たり前と言えばそれまでですが、ここで言うのは感覚的な事項です。
例えば選択肢ですが、信用すべき人が違う、一緒に組む人が違う、気にしなくてはいけない事項が違う、見るべきポイントが違う、行動の順序が違うなどです。
そしてもう一つがタイミング、判断するタイミングが違う、行動開始のタイミングが違う、撤退のタイミングが違う、それを話すタイミングが違う、考えるタイミングが違うなどです。
そういうことを総称して、「何かが違うんじゃないの?」と大きな疑問を抱くわけです。
面白いことに、本人はそれに全く気付いていないのに周囲の人の多くががそれに気が付いているということです。
そして何気なく遠まわしに言ったり的確に話をしても、「自分は正しいと思っているから余計なお世話です」と聞く耳を持ってもらえません。
最近ではそういう大きな勘違いを指摘することは少なくなりました、結局本人が正確に自分の状況を理解できなければ確かに大きなお世話になるからです。
「経験から学ぶ」ことも重要です、しかし「しなくてもよい経験はしないほうが良い」ということも頭に入れておけばもう少し冷静になれるかもしれません。
もう一つ、正しい判断で正しい行動をしていれば、人間関係も事業推進も見事にスムースに動いているはずなのです。
それがスムースに動いていないということ自体が、そもそも「自分の何処かに問題がある」ことに気付いてほしいと思います。
そして、「自分は正しい」と言いきったところで、結果が伴わなければやはりそれは根拠のないプライド(自尊心)と言われても致し方ないということも真摯に受け止めてほしいのです。
過去多くのビジネス相談を受けてきて特に驚いたのが「それだめでしょ!?」という偽善ビジネスです、こればっかりは何とも怒りを超えて悲しい気持ちになってしまいます。
社会貢献や環境保護をうたいつつ、結局は善意あるボランティアを騙しては自己利益にしている人がこれほど世の中にいたのかと驚くばかりです。
しかし本当に手を変え品を変え次々と現れるものですね、他者の善意を踏み台にしたビジネスだけは人間として絶対にやったらだめです。
この仇は必ず身に降りかかり、最期の最期にはろくな死に方をしないと思います。
まあここまではいかなくも、独立起業の道を用意します的な他者の志や未来への希望を食い物にしては結果を保証しないビジネスも同様に偽善ビジネスの類です。
パフォーマンスと誤魔化しでカモフラージュして解りづらい分、もっと悪質だと思うビジネスも多数存在しています。
脈々と過去の多くの詐欺商法そのものが時代を経て形を変え未だに息づいているのです、やってる本人も儲かっていないのですから目的も意味もよく解りません。
善良な人の心の隙間に入り込む偽善ビジネス、どこかで大きな報いを強いられる時が必ずきます。
そして本当に真摯にビジネスに取り組む人は、関わる人やビジネスを安易な気持ちから選ぶのではなく将来をしっかり考え選んでほしいと思います。