どんな情報をいくら持っていても、
どんな人といくら親しくても、
手に余るほどのお金を得ていても、
それ自体には何の価値もない。
持っている情報をどのように発信するか、
持っている人脈の能力を最大限に引き出せるか、
持っているお金を何処へ回せるか、
持っているものを有益に活用できて初めて価値が出る。
何かを幾ら持っていたとしても、
それは自分の為だけの満足感でしかない。
他者の為に使ってこそ持てる者の真価がある。
集めることに固執する者は野心の塊になる。
情報も人脈も財産も何もせずして利益を生むことはない。
上手く活用できる者は全てが有益に機能する。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
運が良いのか悪いのか。
良い事が起こったと喜んでいると、
その裏で別の頭の痛い問題が同時に発生する。
友人は「何も無いより幸せなんだ」と言う、
運が本当に悪ければ良いことも起きないのだと。
でも運が良ければ頭の痛い問題は起こらないはずだ。
「運が悪い人なら既に終わってる」と再度友人は言う。
いずれにしても状況が何であれ平穏に暮らせている事実、
とても幸運で幸福なことだと思う。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
自ら「スペシャリスト」と名乗るのはよいが、
その専門分野の核心事項を知らないなんて、
似非者と言われても仕方がない。
スペシャリストとは自身が自ら名乗るものではなく、
他者が尊敬の意を込めて称するものである。
本物のスペシャリストは極めて謙虚である。
出しゃばることもなく聞かれない事は話さない。
頼りない振りしていざというときには真価を発揮する。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
「これしかない」と悲観することなかれ。
たった一つでも何かを持っていれば大したものだ。
「これだけは持っている」と大いに誇ればよい。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
義を語るなら先ずは義を示すことが肝要。
「義」とは人としての正しい生き方をいう。
正義・義理・恩義・義務、
「義」の付く言葉は理解するほどに重く深くなる。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。