会話や文章などで発する特徴的な言葉にはその人を理解する目的において大きな意味があります、人は記憶や思考に無い言葉を発することはできません、更には発するという行為は確実にその言葉を意識しています。
つまりその言葉を発するのは何らかのその言葉に関連した情報が記憶され更には思考しているのです、文章にしても同じことです、同じ事を表すのに人によって使う言葉が違うのは実に興味深い事実です。
また言葉はその人の考えの陰陽どちらかの状況を確実に表しています、例えば「人間関係」という言葉をよく使う人は「人間関係が重要」という意識の裏で「人間はある意味で怖い」を同時に意識している可能性が高いです。
同じように「心」という言葉をよく使う人は「思いやりや人を気遣う重要性」を意識している裏で「どこかで愛情を欲している」可能性が極めて高いと言えます、加えて言うと元気な人は「元気です!」とあえて言いません、だから「元気です!」と発する本当の意味は「元気になりたい」、もしくは「現在落ち込んでいる」状況なのです。
心が正常であれば心に関する状況を示す言葉は意識しないものです、意識するということ自体が意識せざるを得ない心の状況にあるということになります。
またSNSなどオープンな場所で他者に対して向けた言葉は確実に今の自分や自分の置かれた状況に向けられています、言葉を拾ってその人の状況を推測すれば人は隠し事はできないのです。
聞く人が聞けば、読む人が読めば、心の状況の全てが丸見えとなってしまいます、現在の精神状態を他者に察しられたくなければ冷静になるまでは何も発しないことです、無理に隠そうとすればそれもまた特徴的な言葉となって表れるのですから。
顔を合わせれば厳しい事ばかり言われ提案しても受け入れてもらえない、お願い事も切り出せないほどの威圧感がある、こういう人は多くの場合一緒に居ても楽しくないし自身の思ったようにコントロールできずにメリットも少ないと思われがちです。
逆にこのような人に「自身を成長させてくれる為に存在している」と思えるようになって積極的に会う人は成功する可能性が極めて高い人と言えます、冷静に考えてみましょう、何故その人は本人も楽しい気分になれない人に時間を割いて会ってくれるのでしょうか?
人は意味も理由も無いことはしません、無駄なことに時間もお金も使いたいと思う人もいません、会おうとしてくれている間は何かを学んでほしいと思っているからです。
自身が経験していない事は理解不能です、でもきっとそういう人は多くの経験をしている人です、つまりその人の経験してきている事は自身が経験していない事が多く自身は狭い範囲でしかその人を評価していないのです。
「親の気持ちは子を持って初めて解る」と言います、自身が多くの経験をしてその人と同じ土壌に上がればその人が何を考えて伝えたかったのかが解ることでしょう。
経営に必要な大局の学び、一緒に居て楽しい人からでは僅かな事しか学べません、嫌な人や事項から逃げていては歳を取るだけで本当の学びはありません、だからいつまでも経っても成長しないのです。
知り合いが100人いたら全員に好かれ認められるということはまず有り得ません、どの世界でも個性を出せば出すほどに好かれ認められる割合は減少していきます、万人に好かれ認められるのが生業としている芸能界をみても個性派ほど支持層はマニアックなどと呼ばれるマイノリティとなります。
しかし割合が低ければ低いほど熱狂度が増していく傾向にあることも事実であり統計上も正しいことが証明されています、ある程度の認知度を得ている人はどの世界でも「支持者数×熱狂度」は同じになると言っても過言ではありません。
ビジネス人脈構築においてもこの法則はそのまま当てはまると考えています、そこで考えなくてはいけないのが自身のビジネスはマジョリティを必要としているのかマイノリティを必要としているのかということです、これを把握せずして人脈を開拓しても全く逆効果になる可能性は極めて高くなります。
例えば特徴的な技術を武器にするような人は極限られたニーズである可能性が高いです、であれば誰でも良いということではなくて確実なニーズを持つ人だけに認められればよいことになります。
つまり集客やマーケティング手法はその業種や起業によって完全にアレンジしなくては意味の無いものとなってしまうことを意識しなくてはなりません、業種を指定しないマーケティング論や集客手法などはやってみれば解るように利益に繋がらないものばかりです。
そしてブランディングとマーケティングの最も異なる点がここにあります、ブランディングはターゲットを明確にし入り口からではなく出口から逆に入口へと構築を進めるのです。
ビジネスマインドなのかビジネス手法なのかは別にして敵を作りやすい人が確実にこの世には存在しています、普通はそういう人と例え短期間であっても組むことは自分も同じ類と見られるデメリットを考えて躊躇します、ただ敵を作りやすい人と組むことに関してですが視点を変えると意外なメリットも見えてくるのです。
その一つは本当に覚悟の有る人が寄ってくるということです、つまり組むと決めた人の身辺にどのような人が居ようが「きっと何かの作戦が有ってのこと」と勘を働かせ自身の人を見る目を信じる本物の人達です。
もう一つはビジネスを行うに覚悟の無い人が自然に淘汰されていきます、つまり噂や間接的な事項に気を奪われ仲間に嫌われたくない一心で距離を置こうとする人達です。
更に関連して様子見しながらも何らかの関係を距離を置きつつも保つ人達の存在、この人たちは障害が除かれた瞬間に方針を変える世渡り上手な人達ですが信頼に値するかは別物です。
周辺にいる人脈を自身は何もせずとも自然の流れの中で綺麗に3つのグループに分けてくれるのが敵を作りやすい人の存在価値なのです、ただ長期展望の中での短期勝負として割り切る必要があります、長期化はそれこそ致命傷となります。
自身が敵を作りやすい人だとすれば覚悟さえ本物であれば常にマイペースに人間関係を構築できるという可能性があります、さて敵を作りやすい人とは一体どんな人なのでしょう、少なくてもどうでもよい人であれば敵とか味方という考えをすることもしないということです。
「群集心理」という行動心理があります、特にその中で私が極めて奇異な現象として心に残るのが先の東北大震災での「自粛」という社会現象でした。
まずテレビのコマーシャルが一斉に姿を消し、不夜城と呼ばれる都会の繁華街も火が消えたように真っ暗闇に包まれました、それが数ヶ月間にも続きました、これが奇異な現象でなくていったい何んと表現すればよいのでしょうか。
確かに被害の規模や被災者のことを思えば当然だと思います、しかし本来の「自粛」とはあくまでも自身の心の置き場による主体的な行動であるはずなのです、当時は個々の判断ではなくて「みんなと同じようにしなければならない」という一種の強迫観念に似た空気感が蔓延していたようにも感じました、これが私に実に違和感を与えた事実です。
これは何も大規模な災害だけの話ではありません、例えばイジメの世界もおそらくイジメる側の「そうしなければならない」という空気感が蔓延し正常な判断を狂わせている可能性があります、また株や先物などにも市場マインドという厄介なファンダメンタルズが存在します、特に大きな要因は何も無いのに突如として乱高下し市場にパニック現象を齎してしまいます。
昆虫や動物にも群体変異や集団自殺といった奇異な現象が見られます、いったい神様はどんなDNAを我々地球上の生命体に組み込んだのでしょうか、空気感による「群衆心理」ほど読めない行動はありません、経営者は少なくても群衆の行動ではなく自身の五感で行動判断を行うことが肝要です。
逆に言えばこの群集心理を上手く活用した者は市場を作りヒットを生みだしているということなのかもしれません、それが一つの成功法則でもあるのです。