「ある人の行動や仕草が気になってしょうがない」というジレンマがあります、事あるごとに神経を使ったり自分の思ったように対処できずにイライラしたり終いには距離を置こうともしてしまいます。
しかしこれは多くの場合が嫌いなのではありません、むしろその逆である可能性が高いのです、特定の人の行動や仕草が気になるというのはその人を評価の対象にしているのです、もっと言えば存在を認めている証拠です。
脳科学分野において検証すると、イライラする場合は脳内ホルモンである「ノルアドレナリン」(不快ホルモン)が放出されることによって起こります、逆に楽しいムードは「ドーパミン」(快楽ホルモン)が放出されることによって起こります。
いずれも脳内ホルモンが分泌されるという共通点があり、この2つのホルモンは何かをきっかけに一瞬で逆転することがあります、つまりはどちらも無視できない存在であるということなのです、つまり好きな人も嫌いな人も紙一重であるのです。
対して何も気にならない人の場合は精神安定ホルモンである「セロトニン」が分泌されています、何も気にならない人というのは言い方を変えると「どうでもよい人」と言い代えることができます、「どうでもよい人」は自身にマイナス事を及ぼしませんがプラス事もありません。
つまりは何の影響も及ぼさないのです、そう判断しているから平常心でいられるのです、さて成長に必要なのはどのような人なのか、ここでもう一度考えてみる必要があるのではないでしょうか?
元来、人間の目は脳の機能によって近視眼的にできています、このため誰しも目の前の状況に対応することに全力を尽くしてしまい「気が付けば状況に流されていた」などということが起り得るのです。
目先の動きばかりを気にして大局観を欠いてしまえば大きな流れを捉え損ねて足元をすくわれてしまうのは至極当然のことです、「木を見て森を見ず」という諺どおり目の前の事象に囚われていては翻弄され大きな流れを見失ってしまいます。
主流ともいえる大きな流れを捉え損ねると間違った方向に流されているのにも気付かず取り返しのつかない致命傷を受けてしまいます、このような事態を防ぐためにも大局や大きな流れともいえる主流は常に把握している必要があります。
その一方で目の前で起こっている事実がこれからの主流を作ることもあります、森ばかり見て木を見ていないと上から俯瞰して見た時には美しい森に見えても木の根元の方では腐敗が進んでいるのを見落としてしまいます。
また木ばかり見て森を見ないと自分の周りでは異常が起こっていても森全体からすれば大したダメージではないことなどを見誤る可能性があります、木に張り付いて目の前を見る「虫の目」と上から森全体を俯瞰してみる「鳥の目」、ビジネスにはこのどちらも重要です。
つまり大局を捉えるためには状況に身をおいて今起こっている「事実」を捉える視点と、それら一つ一つを客観的に俯瞰して見渡すための両方の視点が必要なのです。
どちらが欠けても正確な状況把握はできません、この遠近の視点バランスをいかに保てるかこれが成功する人としない人との分かれ道ともなるのです。
塩麹(しおこうじ)が空前のブームを巻き起こしたのはほんの数年前の話です、それが既にデパートには「発酵食品」コーナーが出現しています。
発酵食品といえば漬けものです、50年前の日本では普段家で食べる副食の多くは発酵食品であり熱を通さずに発酵をそのままに食していました、代表格は「糠漬け」や「味噌漬け」ですがキュウリ・大根・カブなどほとんどの野菜は漬けものにしていました。
考えたら昔の人は毎日発酵食品をそのまま食べていたのです、食べ物だけではなく甘酒や麹で醗酵させた米ジュースなども普段から飲んでいました、味噌や醤油なども買うのではなく作ってはそれを使っていました。
そういえば世界中で古代から伝わる家庭療法の多くは科学的にも医学的にも実に理にかなっているという研究結果が近年になって報告されています、長い期間をかけて定着した療法、そこには実際に身をもって工夫されながら試されてきたという大きな事実という実績が在るのです、
理屈までは解らないが「効いた」という根拠があるのです、一つの「理論や理屈よりも経験が全て」という大きな根拠であり確証でもあります。
ビジネスも実はこれに近いものがあります、その企業や人の商品やサービスを真剣に説明するよりも実績や根拠を示せせば説明の必要はありません。
これが本当の意味でのブランディング以外の何物でもありません、逆に言えば実績や根拠の示せない商品やサービスを説明するだけの人には近づくなということです。
例えば誰かにお願いをしたとしましょう、その人がお願いをしっかり行ってくれれば良いのですが、長期間待っても一向に行ってくれなかったとしたらどうでしょう?
イライラしたり感情的になってしまうかもしれません、ただ伝え方が悪くて正確に用件が伝わっていなかったかもしれません、あるいは用件を行っている最中に不測の事態が発生して行うことができなかったのかもしれません。
実はこれらの予め想定できるトラブルはどれも事前に回避可能なのです、つまりお願いをした相手に起こるであろう想定内のトラブルを予測し未然に防ぐ必要があるのです、これは経営においては極めて重要な事項です。
経営者とは社員やパートナーが起こすであろうトラブルを予め想定できる能力を培う必要があります、そして想定を基にトラブルを回避すべく事前策を打っておくことが肝要です
事前策を打たずにトラブルが起こってしまった場合には例え社員やパートナーが起したとはいえ最高責任者である経営者の責任となります、だからこそ上に立つものは何度も何度も見直しと注意喚起を行う必要があるのです。
執拗に確認を何度も行うのは未然にトラブルを防ぎ最終的な利益を上げるためです、年配者に多い「何度も同じことを言う」のはボケているからではなく、確実に物事を進めるための事前策を実行しているのかもしれません。
「経済的に苦労することなく安定した生活がしたい」という言葉を耳にします、ではその人たちの言う「安定」とはいったい何でしょうか?
現在の社会情勢の移り変わりの速さはバブル全盛期の比ではなく日進月歩ならず秒進分歩に変化しています、これだけ著しく変化する世の中にあってそもそも「安定」という状況ががはたして成り立つのでしょうか?
確かに公務員になれば国や地方自治体が破綻するのは例外を除き有り得ないのですから安定した生活を送れるかもしれません、しかし実際はどうでしょうか、EUを襲った金融危機のように自治体が破綻したら公務員といえども無職になりかねません。
それではトヨタやユニクロのようなグローバル大企業に勤めれば安定を得られるのでしょうか、会社が大きかろうが倒産のリスクが無いとは言えません、むしろ大きいからこそ変化に対応しきれず淘汰されていく企業は多々あります。
確かに「安定」という単語は耳触りが良いかもしれません、でもその本質は「今のままでいたい」、「自分だけは守られたい」という保身的な考えの表れなのではないでしょうか?
時代の波に乗れる成功者とは予想不能の変化に常に対応していかなければならず逆に「安定」という言葉を嫌います、そして「安定」を使っているうちは成功者への道のりは程遠いものとなることは確かです。
結局のところ今の時代で「安定」状態というのは幻想でしかなく、それよりも変化を積極的に楽しむ姿勢が好ましいと思います、将来の不安に取りつかれて「安定」に憧れるのではなく積極的に変わりゆく今の世を楽しむことです。