「自由でいたいから組織は持たない」、
そんなことを豪語する経営者がいる。
起業して何時までも一人で事務所も構えないのは、
果たして経営者と呼べるのだろうか?
事務所を構えず雇用しないのは経営者に非ず。
その生き方を果たして他者に奨められるだろうか?
法人化し企業を名乗ってビジネスしてると言えるだろうか?
会社とは営利活動を認められた組織や団体を言う。
法人化した時点では大きな組織を夢見ていたはず。
理想と現実の狭間の中で責任感と義務感が交差し、
一種独特の人間関係を恐れるようになってきた。
更には組織にすれば資金の呪縛も襲いかかる。
トラブルが発生してもすぐに逃げ出すこともできない。
それが正直なところだろう。
本当に自由でいたいなら潔く解散して個人に戻ることだ。
その方が周囲も納得するし言動と行動も一致している。
名だけの法人なんて良いところ取りの自己都合に過ぎない。
覚悟の程は手に取るように解る。
その人を真に理解したいなら、
表面的なところではなく思考のベースを見ることだ。
幹を見ればどんな枝葉ぶりなのかは見なくても解る。
複雑に絡み合う枝葉を見るから混乱させられる。
幹は本質、枝葉は表面。
幹はどんな樹木でも実にシンプルだ。
理解できないと悩むのではなく理解したいと向き合うことだ。
理解したいと強く思う気持ちが幹に目を向けるようになる。
その人を理解するには表面を「見る」のではなく、
心に宿る本質を「観る」ことだ。
他者の良いところだけを真似しては、
上手く事業化する器用な人がいる。
書籍や他者から得た知識や情報を、
疑似体験化し自分のものとして発信している。
でも本物でないなら絶対に長くは続かない。
一時は善しとしても何れは化けの皮が剥がされる。
本物は経験に基づいた根拠と、
長い期間に培われたノウハウがしっかりと存在する。
どう突かれようが本物は本物で有り続ける事ができる。
しかし、偽物は根拠もノウハウも無い。
小さな綻びから大きな墓穴へと化していく。
God is in the details.、「神は微細な部分に宿る」
本物には見えない微細なところに神が宿っている。
自分の周りにいる人達はどんな人なのだろうか。
その人達を正確に分析したことがあるだろうか。
何故なら同じ世界に自分が存在しているからだ。
自分の生き方・姿勢・考え方に、
素直に周囲は同調して寄ったり離れたりしている。
人は居心地が良ければ寄り悪ければ離れていく。
つまり、自分の周囲にいる人達は自分と同類の人だ。
幸福に生きたければ正直に向き合い生きること。
そうしなければ前向きに生きる人は寄ってこない。
寄ってくる人は自分自身が引きよせている。
好まない人が寄ってきているなら、
何かを間違えているからに他ならない。
今の状況は全て自分が創り出した世界である。
思ったような状況にならないのは素直に表現していない証拠。
周囲の人の反応は自分自身の鏡である。
生き方が素直に映し出されている。