「厳しい事を言われる」、「優しく接してくれない」。
厳しい対応は「特別なサービス」と考えたらどうだろう?
あなたが勝手に不信感を抱いているだけで、
相手は必須な教育や指導だと考えているかもしれない。
特別な教育や指導をプライドで台無しにする人は多い。
厳しい指導を省みて軌道修正することが真の学び。
その結果として進化成長を成し得ていく。
意味のないプライドは進化成長の妨げになるだけである。
重要な気付きは「何故、私にだけ厳しいのか」という疑問だ。
指導者は意味も無いことに時間をかけるほど暇ではない。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺がある。
その坊主を憎いと思うと、
関連したものまで全てが憎くなるという例えである。
その逆も妙なり、その人が好きになれば、
その人に関連した事項の全てが好きになる。
「好き」の本質は「そのまま受け入れる」という心理。
どんな悪癖さえも気にならない。
気になるのは好きではないからに他ならない。
褒められないような行為も、
「持ち味」や「個性」として受けとめられる。
何事もその人の立場になって理解したいと考える。
それが「向き合う」という信頼関係の第一ステップ。
「良好なる人間関係」は一方通行では確立しない。
素直に向き合う状況から生まれ、
相手を思いやる気持ちによってスタートラインに立つ。
誰かが一歩踏み出すとみんなそれに合わせてアクションを起こす。
どうして最初の一歩という最も称えられる行動を自ら逃すのだろう?
コメント:
3つ子の魂百までも、誰かの真似をしていれば安心という子供は大人になっても誰かがやるまで行動を起こさない。
これでは、何時まで経っても先駆者利得を得ることはない。
「時間が無い」とか「お金が無い」という理由付け。
これらはやらないことへの言い訳にもならない。
本当にやりたい事なら優先して時間もお金も作るはずだから。
コメント:
「やらない」という理由を「できない」という理由に転嫁すべきではない、これをしているうちは絶対に信頼を得て成功することはない。
自分にとって、相応しくない事や興味が無い事に理由付けは不要である。
他者を信じられない人は自分を信じていない人。
「裏切るから」、「約束を守らないから」、
これらは全部自分の行為に当てはめて考え、
他者も自分と同じだと思い込んでしまっている。
他者を信じられる人は、
「裏切らない」、「約束を守る」のが当たり前と考える。
「他者をすぐ信じてしまうから」などと、
自身の失敗に対する言いわけも言わない。
裏切られたのはその人を信じた結果ではなく、
自分の都合良い期待が思惑どおりにならなかっただけだ。
他者の行為の是非を語っているうちは、
他者ならず自身さえも信じていない証である。