突然ですが、私は昔から観光や出張に行っても暇な時間に行くのは観光名所ではありません。
私が好きな場所はそこに伝わる文化や歴史、そして生活感が浮き彫りにされるような「通り(道)」なのです。
外出先でちょっとした待ち時間があれば、その地のいろいろな通りを見て回るのが一番感動もあるし新しい発見もあります。
営業しているのかも判らないような古いお店や、自宅を改造した喫茶店やビストロなどは必ず寄ってみます。
お客さんがいなければマスターと会話します、実にこれがビジネスで偏りかけた思考や視点の修正になるのです。
そして何よりも活きた景気状況がはっきりと手に取るように解ります、これが私には最高の景気のトレンド情報です。
世の中にはいろいろな人がいてそれぞれの人生があり哲学があります、それに触れたときに「はっ」と大きな気付きを貰うこともあります。
私の「ぶらり独り歩き」の原点は見て回る探索というより、そこにしかないリアルな人間との触れ合いを求めているのかもしれません。
普段なら知り合うこともないだろう人たち、その人たちと出会い会話することが私には必要な瞬間なのかもしれません。
経営者は時間を見つけてはいろいろな通りを歩いて見て回ってほしいと思います、気分転換にもなるしビジネスの大きなヒントがたくさん落ちているものです。
成功しない人はせっかく新たな地に入っても何も学ばず、ただ何時もと同じことをして過ごすようです。
人にはそれぞれ個性というものがあります、服の好みも食べ物の好みも違います。
更には自分の好む人好まない人がいます、ここで重要なのは好まない人に媚びを売ってまで好かれようとしない方が賢明だということです。
媚びを売れば更に人は嫌いになっていきます、好かれようとは思わずに自分をそのまま出していけば寄ってくる人もまた自然と増えてきます。
未熟・弱さ・無知などを隠す必要はありません、正直に出していけばちゃんとフォローしてくれる人が現れます、逆に隠すから誰もフォローしてくれないのです。
こういったことは教えられなくても経験を積んでくると解るものです、人生を豊かに暮らしたいと思っている人は「嫌われる事を恐れません」、嫌われる覚悟が有れば自分流で何事も心地よく進められる事を経験で解っているからです。
そしてもう一つ大事なことがあります、それは「恨まれないこと」です、「恨みを持たれる」ことは最悪で何もかも失うことに繋がります。
人生を愉しく豊かに過ごしたいなら、「嫌われてもよいが恨まれるな」ということを忘れてはなりません。
「仁義礼智信」の五文字を一度は見たことや聞いたことがあるでしょう、この「仁義礼智信」の五文字は「漢書」に記されているもので人として守らねばならない最低の行いを説いたものです。
漢書にまとめられる以前に孔子によって「仁」と「礼」が説かれ、孟子によって「仁」・「義」・「礼」・「智」の4つが説かれていました。
漢書にまとめられる際に、何者かによって「信」を加え中国文化伝承(五行思想の基)の五文字(五常)として組み立てたものです。
日本では津藩主である藤堂高虎が、息子である二代目津藩主高次へこの五文字を使って「武将たる者の心得」として亡くなる5年前に残したことが記されています。
さて、この「仁義礼智信」の各意味ですが、簡単にまとめると。
「仁」は、思いやりや慈悲の心。
「義」は、人として正しい生き方。
「礼」は、礼儀・謙虚・秩序。
「智」は、知識をもって正しきを判断すること。
「信」は、信用・信頼・正直。
となっています、「仁義礼智信」、これをまっとうできる人生こそが成功人生だと思います。
状況こそ似て本質は大きく異なる言葉に、「信頼」と「依存」があります。
信頼とは互いに信用して頼りにすることであり、その状況を共有することが信頼関係というものです。
特にビジネスにおいては、この信頼関係が成り立たなければ大きな事業を共有することはできません。
支払いや資金不足の問題、また技術や経営課題、こういった諸事に関して信頼関係があれば暗黙のうちに互いに助け合うことが当たり前になってきます。
互いに相手の利益を優先しつつも、その先には双方が幸せになれば結果よしという事項が暗黙のうちにでき上っています、これが信頼関係の基本であり本質です。
対して依存は信頼関係に見るような互いに信用しあっての暗黙のルールがありません、ただ自身の利益を優先しての他者に頼る行為をいいます、そこには互いに成長し利益を共有するという結果も起こることはありません。
真の信頼で行われる事項に関して「それは共依存だ」という人がいます、悲しきかなこの人は本当の信頼関係を構築できている相手がいないのではないかと思うのです。
信頼と依存とは、まったくその本質や根底にある心の繋がりの重みが180度異なります。
他者を真に信じることができない人は、他者間で行われている信頼関係での諸事を共依存と見えてしまっても仕方ないのかもしれません、何故なら信頼関係という他者との真の繋がりを経験していないからに他なりません。
ビジネスの成功には依存は厳禁であり信頼関係は必須です、この本質を真に理解できる人が多くのパートナーや協力者に囲まれ成功者となれる人なのです。
ビジネスを通した大きな利益を互いに生む強い信頼関係と、寂しさをカバーするためのコミュニティのような表面だけの繋がりを混同している人は何時まで経ってもビジネスの成功は有り得ません。
皆さんの考える「成功」とは何でしょう、ビジネスにおいての目標達成でしょうか、それとも手に余るほどの巨万の富を得ることでしょうか。
私はずっと自分なりの「成功」の定義を模索してきました、最も参考になった多くの成功者の言葉は「自分の思い通りに事業が急成長し手に余るほどのお金を得た、でも同時にそれが自分にとって何の意味も持たなかったことに気がついた」というものです。
もしかして、多くの成功者は成功を夢見て大きな目標を持って行動しているときが一番人生で輝いていた時期なのかもしれません。
お金も無いし毎日苦労の連続、でも心から楽しかったと後から解るのでしょう。
ところで再度皆さんの思い描く成功とは何でしょう、やっとここにきて私なりの答えが見つかりそうになっています、私が思う成功とは少なくてもビジネスにおいてではありません。
悔いを残さず心穏やかに余生を過ごし現世での人生の終焉を気持ちよく迎えられること、ビジネスではなくて人生においての幸福感が最大の成功だと思うのです。
ビジネスでの一過性の成功とは成功者の言葉を借りれば逆に人生の敗北者なのかもしれません、つまり愛情・友情・信頼・仲間など本当に大切なものをそれによって失ってしまう可能性もあるからです。
若いころの私はビジネスでの成功だけを追っていた感じがあります、それによって失ったものも実に多いです。
心から愉しんで気心が知れた仲間たちとお酒を飲めるようになって、淡々とした時を過ごしながら「自分の生き方はこれなんだ」と一人納得しています、人間ですから人間らしい人生を全ういたしたく思います。