「一時が万事」、一つの事象を観れば他の事象も推測できるということを意味します、これは人間に関して公私に関係なく全てにおいて言えることだと思います。
プライベートでの些細な約束事も守れない人は、やはりビジネスでも信用できない問題が多々起きてきます。
逆に趣味であっても完璧なコレクションや拘りを持って真剣に行っている人は、ビジネスにおいても結果に完璧さを求めようとします。
「たかが遊び、されど遊び」、遊びやゲームを真剣に楽しめない人にビジネスも真剣に行うことはできないとさえ思ってしまうことがあります。
ビジネスで常に詰めが甘い人はやはり遊びでも最後に何かミスをやらかしてしまいます、普段の姿勢がいざという時に出てしまうのも頷けます。
どんなことでも一度やり始めたら中途半端にしないことです、こういう癖は何時かどこかで本当にここぞという時に見事に出ますから。
終わらせるなら奇麗に清算してきっぱりと終わらせ、継続するなら本気で真剣に取り組むこと、何事も中途半端は何も生まないどころか負を生む可能性すらあるのです。
「良い状況のときも悪い状況のときも常に謙虚に振る舞え」、私が日頃から門下生やパートナーに事あるごとに話していることです。
時にこれが仇になることもあるようです、それは謙虚な姿勢を勘違いして捉える人が少なからずいるからです。
例えば相手の気持ちを考えて遠回しに柔らかく話をすることがあります、それをどう取ったのか「もっと自信を持った方が良いですよ」と話の内容よりもその話し方を指摘する人がいるのです、自分から質問しておいて何を勘違いしているのでしょうか?
また逆に相手に自信を持ってほしいがために腰を低く落として話をすることもあります、実績のない人に「私も、これからですから」と気遣うって言うと、「一緒に頑張りましょう!」と腰を低くしている人に同じ目線もしくは上から目線のような表現が返ってくるのです、これも同じように何かを勘違いしているのです。
謙虚な姿勢の言葉をそのまま受け取ってしまう、素直と言えばそれまでなのですがあまりにも社会通念と他者への配慮が足りないという他に言葉が見つかりません。
きっとその人は「近くに来たら寄ってください」という社交辞令もそのまま受け取って本当に遊びに来る人、また「その服似合いますね」というと本気で自分のセンスの良さをひけらかす人なのだと思います。
自身がどう感じるかではないのです、人間関係でもっとも重要なのは相手がどんな気持ちで話しているかを悟ってあげることです、これが理解できない人は成功など夢のまた夢に終わるでしょう。
成功の基本は正常なる人間関係から生まれる信頼関係の構築が第一歩なのですから、自身の気持ちを優先しているうちは信頼関係の構築すらできないと思います。
自身の事ばかりの視野の狭さを克服して、相手の気持ちを最優先して正確に受け入れる術をマスターしてほしいものです。
私の中での強い記憶に2008年大阪国際女子マラソンでの出来事があります、15年も前の出来事ですが未だに脳裏に鮮明に焼き付いて離れません。
その出来事とは、ハーフマラソンで日本記録保持者である福士加代子選手の期待されてのフルマラソン初チャレンジの結末です。
なんと30km手前まで2位を2分近くも離しての独走状態であったにも関わらず、30kmを超えた辺りから顔をゆがめ突然減速し結局歩くような状態でゴールしました、順位は言うまでもなく招待選手の中で最下位でした。
競技後のコメントでは「急に身体が動かなくなり記憶が無くなった」といいます、極度の脱水状態による脳麻痺状態であったことが覗えます、最後は気力だけで無意識のうちに歩いていた状態であったのではないでしょうか。
同じマラソンという競技でも距離が2倍に伸びれば全く違う競技です、また彼女は練習でも30km以上は走ったことが無いと言います、まさに未知なる領域にチャレンジしたのです。
マラソンに限らずボクシングやカーレースでも、クラスが変わればまるで違うスポーツになると言われています。
ビジネスでも趣味でも日常生活でも同じことです、未知なる事項に関しては何が待っているかも判らないのです、何故なら経験が無いからです。
誰でもどんなことでも未知なるチャレンジには大きなリスクが伴うということを忘れてはいけません、そしてリスクを解ったうえでチャレンジし失敗の連続から学んで行くことです、つまり「経験による学習」です。
「成長にリスクと失敗は付き物」、それが怖ければ何もしなければよいだけです。
未知なる領域にチャレンジするのか現状維持で甘んじるか、それはそれぞれの価値観の問題だと思います。
期待していたことがなかなかその通りにならないと充分に幸せな状況下でもちょっと落ち込みます、ビジネスでは商談の大幅な規模縮小や銀行融資の減額などは一応の達成をしているので悪い状況ではないのですが何故か手放しでは喜べなかったりします。
ところで、どうして良いことが起きているにも関わらず何となく不満を感じたりするのでしょうか?
よく考えてみるとその要因の全てが自分にあります、行動のまずさとかミスではないのです、完璧にやっても同じことです、要因はたった一つで自分の「過度なる期待感」です。
商談の内容、相手の笑顔、飲食での話し振りなどで自分が相手の考えている以上の期待を持ってしまったのではないでしょうか。
相手が当所の内容より結論が変わってきても、それは相手の都合や全体のバランスを考えてのことであるかもしれません。
物事は自分の思うように行かないのが普通です、まあ9割以上がそうです。
ビジネスもプライベートも生きていれば身の回りに起きること全てが相手あってのことで、自分が勝手に決められる物は何一つ無いのです。
何事にも過度の期待は捨てて自分が後悔のないように精一杯頑張る、後は朗報を待つくらいの余裕で構えて正解です。
「水は流れ流れて落ち着く処に落ち着く」、「物事収まる時に何もしなくても収まる」、これ自然の摂理です、そして物事全て人生もまた同様に。
突然ですがブランドとは何でしょう、ロゴが付いている高価なものでしょうか?
そうではありません、ブランドとは品質やデザインなどの安心感や価値観を消費者に提供する「証」です、その対価として消費者は高くても購入するのです。
したがって価格対価値(コスト/バリュー)で見て損の無い物だから消費者は安心して買うのです、それが真のブランド商品というものです。
ところで「価値」とは何でしょうか、上記の場合は商品としての品質保証の証ですが他方絵画の場合では1日でパッと描いた絵と1年がかりで描いた絵だと当然1年がかりのほうが価値が高そうです。
しかし消費者は1日であろうか1年であろうがそんなことはどうでもよくて、「これは1年もかけて描きました」と言って高く売れるのであれば誰でもがそうします。
絵画の場合は自分の感性とマッチするかどうか、もしくは貴重価値が重要であり作られた時間を買うわけではありません。
更にプロ野球の選手の年俸はどうでしょう、シーズンを通して出ているレギュラーより年間100打席しかない代打の方がはるかに多くの年俸を貰っている場合があります。
これはその一振りで試合を決めた場合、しかもそれが優勝への大きな一勝だとしたらその一打席に膨大なお金を払っても損はしないと考えてもおかしくはありません。
何故なら、プロ野球とは興行でありファンが喜ぶ試合をして多くのファンに来てもらうことにより商売が成り立つからです。
一般的なビジネスで言えば、その商品やサービスがどれ程の時間とリソースを使ってできあがったものかなどどうでもよいことなのです。
消費者は、それを購入し利用する事によりどれほどの利得を得て効果が上がるのかを期待して買うか買わないかを決めるのです。
良いものかどうかメリット有るものかどうかは買い手が決めるものであり、売り手が決めるものではありません。
どんなビジネスでも売り手の価値観ではなく、買い手の価値観によって成り立っていることを再認識することが肝要です。