目の前に広がる景色。
それは本当にそこに存在するのだろうか?
大きな目標を立てる。
それは本当に成し得るものなのだろうか?
もしかして幻想を描き、
追いかけているのではないだろうか?
でも幻想であっても後悔はしない。
追いかけた自分は確かに存在しているのだから。
動いた経験はしっかりと残る。
何かを追い求めるときは幻想であろうが関係ない。
自分の行動した結果は経験で得られた果実。
それが最も尊いものだから。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
状況が良ければ良いほど、
物事が上手く運べば運ぶほど、
冷静に次の一手を熟考することが尊い。
99点は0点と同じこと、
100点ではないということにおいては。
中途半端な成功なんて有り得ない。
99点までは誰でも到達することができる領域。
そこからの1点、更なる1点、
99点からの1点が真の実力が試される。
99点までの数十倍も険しい「神」の領域にある1点。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
人生楽しい方が良いに決まっている。
でも勘違いしないで欲しい。
「楽しい」とは行動した結果であって、
決して楽して暮らすことではない。
真の楽しい人生とは幾多の試練を乗り越え、
その結果として得ることができるもの。
簡単に手に入るものはどんな事でも簡単に崩壊する。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
良い状況はそう長くは続かない。
人はよく永遠に続くと勘違いして無茶をする。
良いときは謙虚さを忘れてはならない。
悪い状況はそう長くは続かない。
人はよく永遠に続くと勘違いして塞ぎ込む。
悪いときは大胆さを忘れてはならない。
長い人生、良いことも悪いことも、
何度も何度も繰り返されるものなのだから。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「60歳にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
失敗しても良い、
失敗から生まれたものなど幾らでもある。
意図してそうなるようにした、
と考えれば一つの成功である。
新しい経験が増えたと考えれば安いものだ。
勝ち続ける人なんてこの世にはいない。
失敗は失敗で謙虚に受け止めることだ。
失敗を笑う人もこの世にはいない。
自分が笑われていると勝手に思い込んでいるだけだ。
周囲はそれほど一人の人に注目していない。
失敗は謙虚に受け入れる、
そしてそれを成功の糧にすればよい。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。