どんなに実力が有っても運が無ければ勝てない。
どんなに運が無くても負けないのが真の実力。
ということは何事も実力100%で運100%。
決して中途半端な50%ずつではないということだ。
自らの実力も運も無くても心配無用。
それを補完してくれるのが有益な人脈である。
どんな有益な人を身内にできるかで勝敗が決まる。
有益な人を身内にできるのも真の実力と運。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
これが本物のダイヤモンドかどうか?
疑うのなら割ってみればすぐ解る。
問題は本物の原石かどうかではなく、
それを確認する勇気が有るか無いかということだ。
確認しなければ何も無かったで済む。
割ればシロクロはっきりして満足するか、
損害賠償するかどちらかの話し。
割って確認する勇気が無いなら、
出されたものを素直に信じることだ。
それが最も成功する賢い生き方ということだ。
屁理屈言っては自身の方針を通すなら、
この話しは最初から無かったことにするだけだ。
覚悟が無い者は成功とは程遠い世界で生きるのが善い。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
自分が行動して起こる事象。
如何なる結果も、
それはゴールではなく未来へのスタートである。
失敗は失敗に終わらせずリカバリーに務める。
成功したら慢心せず次に繋げる工夫を凝らす。
落胆や慢心には必ず悪魔が忍び寄る。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
取り決め事は詰めるのに時間を要す。
しかしこれらはあくまでも体裁上の約束事。
樹木で例えるなら「枝葉」である。
重要なのは「総論」である。
つまり何を目的として契約するかである。
樹木で例えるなら「幹」である。
本当に重要なのは互いに信頼するということ。
互いに相手を思いやる「心」の問題である。
樹木で例えるなら「根」である。
更に契約を交わすことだけが「契約」ではない。
口頭であれ約束すればそれはもう契約と同じ。
約束を守らないのは「契約不履行」に他ならない。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
その人を一度でも信じたら、
何が起こっても最後まで信じきることだ。
他者を心から信じることができない人は、
自分を一番信じられない人である。
人間とは自分を基準に他者を測る生命体。
他者を信じることができない人を、
他者もまた信じることはしない。
寄ってくるのは自分と同じ、
自分を信じていない人ばかりとなる。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。