一見バラバラな情報が散在している。
これらを時系列で考え関連性を紐付けていく。
更にそれを元に情報同士を結び付けていく。
すると見えなかった事象が明確に浮かび上がる。
「こうなるだろう」ではなく「こうであった」という確かな事実が。
これは未来予測などではない。
この先は「こうだった」という未来に起こる結果である。
未来に起こる事象を確実に読みその先を考える。
これが「未来の結果を読む」ということだ。
もし本当に秘密にしておきたい事なら、
一部の情報でも他者に漏らすべきではない。
未来結果を読める人が確実に存在しているから。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
輝ける人を望むのはいいけど、
相応の年齢になったらギラギラからキラキラに変えることだ。
「ギラギラ」には「キラキラ」にない4つの点が存在する。
独善・無責任・自尊心・思い込み。
そういう要らぬ点を取れば謙虚さだけが残る。
そして「キラキラ」に変わる。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
経済の3原則である統計・ファンダメンタルズ・マインド。
最も基本的事項は過去の事例の統計である。
ただし100%という統計は見たことがない。
統計とはマジョリティを示しているに過ぎない。
統計値に100%が無い限り例外は必ず存在する。
みんなが駄目と言うものでも、
自分が正しいと思えばそれを行うことが尊い。
例え1%の可能性であってもゼロではない。
更にはゼロでもやってみる価値は極めて大きい。
何故なら新しい事例を作ればよいだけだから。
どんなことでも最初の事例の前は常にゼロである。
どうせやるなら最初の1人になればよい。
最後に結果を残した者が勝つ。
それが次世代に過去の事例となる。
世界初の事業において前例はどこにも存在していない。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
今の状況しか見えない思い込み人間とは、
常に人生設計の選択肢を誤り続ける。
人が羨むほどの幸福感と避けて通りたい苦境。
実はこの2つは全く同じ次元に存在している。
その意味は未来において実感することになる。
善い事と悪い事。
今の状況とはその瞬間までの過程と、
その後の状況との通過点でしかない。
今この瞬間の状況は、
天国へのエスカレーターなのか、
地獄への階段なのかは誰にも解らない。
その通過点での刹那な状況を見て善悪を判断するのは、
長い人生において何の意味も持たない。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
世の中には2種類の人種が確実に存在している。
自分を優先するか他者を優先するか。
「理」を重んじるか「情」を重んじるか。
他者に任せるのか自ら主導するのか。
光と影の如しで陰陽両立は自然の摂理なり。
人間にも陰陽二極の人種が存在する。
どちらが良いか悪いのかの話しではない。
どちらの極を選んで生きるかの問題である。
自分は陰陽どちらの人間か解らない?
類は友を呼ぶが如しで気が合う人種ですぐ解るはずだ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。