2022年12月26日 00:00
「信じる者は救われない」とは、
「信じる者は足元を掬われる」から転じた言葉。
信じた結果において騙されようが、
期待はずれだろうが潔く受け入れることだ。
一度でも信じた人を信じ通すには覚悟が問われる。
最後まで覚悟が決まらない人が、
言い訳で作る言葉には心が微動だもしない。
私はこれまで信じることで失ったものは何もない。
2022年12月26日 00:00
「信じる者は救われない」とは、
「信じる者は足元を掬われる」から転じた言葉。
信じた結果において騙されようが、
期待はずれだろうが潔く受け入れることだ。
一度でも信じた人を信じ通すには覚悟が問われる。
最後まで覚悟が決まらない人が、
言い訳で作る言葉には心が微動だもしない。
私はこれまで信じることで失ったものは何もない。
2022年12月25日 00:00
他者の好意を粗末にするな。
いつかは自分が粗末に扱われるから。
因果応報、どんな行いも必ず報いとなり戻ってくる。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
2022年12月24日 00:00
詭弁で幾ら語っても、
本人の期待とは裏腹に自分を安くするだけだ。
語るなら常に本音に留めることだ。
例え嫌われたとしても自分に失望することはない。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
2022年12月23日 00:00
家族や友人と楽しく(楽して)過ごしてきた時間、これはこれでその人にとっては確かに有意義な時間だったと思います。
でも同じ時期に社会人になって同じ時間を費やした友人は、この間に様々な事に興味を持って物事のファンダメンタルズや理論を経験によって学んでいたとしたらどうでしょう?
5年もすればノウハウと身につけた各種能力は雲泥の差となって現れ、その後の両者の人生は別次元のものになっています。
学生時代に必要な学習は知識の記憶であり、社会人に必要な学習は経験を通したノウハウの蓄積とそのノウハウによる発想や思考からくるクリティカルな行動です。
更には自立した大人としてのマナーや社会通念を身につけることです、つまり学習方法とその結果における出力の次元がまったく異なります。
自立した社会人に必須な学習に時間を割いてきたか、これは既婚者か独身者かは全く無関係な話しです、その人が何をして過ごしてきたかの問題です。
既婚者でも家族が寝た後に一人パソコンに向かうことは可能ですし、休日に道楽に没頭したり異業種の人と交流することも可能です、逆に独身者でも休日は自宅でぼんやりテレビばかり観て過ごしている人もいます。
要はその本人がいろいろな物事に興味を持ってあらゆる物事のファンダメンタルズを学んできたか、そして道楽や異分野の人との交流を通して各種のノウハウや社会通念を得てきたかどうかです。
同様に子供の頃にどんな過ごし方をしてきたかで大人になってからの思考が形成されるという報告があります、野や山など自然の中で持てる時間を自由に過ごした子供、決められた勉強やスポーツばかりでそれ以外の事はやってこなかった子供、自分の世界に閉じこもって一つの事だけを徹底的にやってきた子供、その子の将来の思考は8歳までにベースが構築され13歳で固定化されるという研究成果が報告されています。
「するべき時期にするべき事をやっておく」ことが極めて重要です、社会人になっても柔軟思考の人はどんどん新たな経験や人との交流を通してオールマイティに各分野での知恵とノウハウを獲得していきます。
逆に固定概念に囚われてしまう人は毎日をルーティングで過ごしては学生時代のやっつけ学習を行うだけで表面上の知識しか身につかず、社会人として獲得すべき新たな知恵やノウハウを心身を通して学んでいきません。
この差は歳を追うごとに格差が広がっていきます、40歳を越えればこの両者は別世界で生きてきたかのように発想も思考も、更には脳の情報処理構造や処理速度さえも全てが異なっているのです。
見た目は同じ人間です、しかし脳の情報処理構造や処理速度が異なると同じものを見て同じ文章を読んでも捉え方や解釈が全く別のものとなってしまうのです、オーバーな話が種族が異なると言っても過言ではないでしょう。
ちなみに脳の処理構造や処理速度は話をすれば一発で解ります、更にキーボードの打ち込み精度と速度にも同様に現れます。
過ごしてきた時間は取り戻すことはできません、日々同じことを繰り返すルーティングほど人生の時間を無駄に過ごすことは他にはないとさえ思います。
もっとも、その日々繰り返される平凡な人生に価値感を得ている人はそれはそれで幸せだと思いますし異論はありません、ただしこの両者が同じ目的で結びついた場合は話しは別です、価値感の大きな相違から固定概念に囚われている人は柔軟思考の人に大きな拒否感とストレスを与えてしまいます。
もしも固定概念の人が人生を変えたいと柔軟思考の人達と共に歩むのであれば、これまでのささやかな幸福事と身に付けた固定概念の全てを捨てさることです。
そして気が付いたら省みる、省みたら修正する、残り少ない人生を真の意味での生まれてきた使命を見つけ愉しみたいと思っているならそうするしかないというだけの話しです。
もしくは無意味にこれまでの生き方に抗うことをせずに、楽しく(楽して)過ごしてきた幸福事に専念することが自分と家族の平和を維持する方法だと思います。
「お前がいつか出会う災いは、お前がおろそかにした時間の報いだ」、誰よりも遅く寝て誰よりも早く起きていたと言われるナポレオンの残した名言は誰も否定することができないほどに実に深く的を得ています。
「寝ている時間が一番もったいない」、大きな目標を持っている人はみな同じことを言い老いても益々進化を遂げていきます。
最後に、「楽しく(楽して)過ごしてきた時間」と「使命を見つけて愉しみたい」、同じ「たのしむ」の漢字の使い分けに気付き、その意味と理由が明確に解って読んだ人は柔軟思考の人だと思います。
2022年12月22日 00:00
「儲かるビジネスは意外や道楽から始まる」、これは経営者歴40年の経験則ではっきり言えることです。
世の中にはビストロやコレクターズショップなど道楽からビジネスへ転じて成功している例は幾らでもあります、道楽に志や覚悟などはまったく不要です、動機は不純でもまったく関係なく志や覚悟などは逆に道楽の邪魔になるだけです。
ここが生業とするビジネスとは180度異なるところなのです、つまり心から愉しむ事が道楽の本質であり本分だからです、ここでも重要なのがどのようにして道楽をビジネスに繋げるかの愉しいロジカルシンキングです。
話は変わりますが、私はバブルの頃に余剰資金や個人のお金を使い本業のIT事業とは全く違うことをプライベートカンパニーを創設して幾つも事業化してきました。
今そのプライベートカンパニーは社名を変えて自然摂理や運命を研究するという、これもまた道楽事の会社になっています。
当時のプライベートカンパニーでは、熱帯魚レンタル・オフィスビル向け託児所・幼児向けパソコン教室(加盟店)・オフィス向けストッキング販売(加盟店)・飲食店(ダイニングバー、ショットバー、スナックの3店舗)などを同時並行で行っていました。
事業として全て10年以上続け、本業法人が大手企業の傘下に入る際に事業ごとにそれぞれのスタッフに無償譲渡する形で引き継ぎ、私は納得の上でこれらのサイドビジネスからフェードアウトしたのです。
店舗内装などの多額の初期投資は全てを回収できなかったものの、雇用を生みピーク時はサイドビジネスだけで20名以上ものスタッフの給与を10年以上支払い続けたという実績を残しました。
これらはその後の経営手法にも大きな意味を持たせることができました、これが何よりの成果だと思っています。
そして当時の本業であるIT事業を併用できたのも、その後に経営コンサルタントとして生業にできたのも、全てが道楽で始めたサイドビジネスのおかげです。
というのはIT業界以外の各種の業界人脈やノウハウを短期間に多数得ることができたからに他なりません、余裕の中で行う道楽ビジネスは赤字が何年間も続いても毎日が本当に愉しくてしかたがありません。
逆に本業でのストレスも解消できて本業までもが上手くいってしまうのです、5年前にこの当時の感覚が突然降りてきてまずは飲食店経営に再度乗り出し、更には10年ぶりに新たな道楽ビジネスを幾つか立ちあげることを決意して現在先行投資と準備に粛々と勤しんでいます。
やっぱり道楽は愉しいです、そして過去の例と同様に本業までも上手く回転してきているのです。
ただし、道楽ビジネスは本業という経済ベースが構築されて初めて可能となります、まずは経済ベースをカッチリと確立することが肝要です、そうでなければ道楽ビジネスではなく本当の道楽です、これでは上手くいくわけがありません。
隠居後は本当の道楽に加えて幾つかの道楽ビジネスを愉しんで行えれば、きっと最高に幸福な余生を送ることができると考えているのです。
ビジネスでのロジカルシンキングとはまったく別物で、道楽ビジネスにおけるロジカルシンキングはワクワクして顔がにやけてしまいます、こんなお気軽ロジカルシンキングはストレスフリーで愉しくてしかたありません。
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