人として重要なのは「正しい人の道を歩む」こと。
「正しい人の道」とは自分に嘘をつかない正直な生き方。
どんな理由であろうと、
相手を思いやってのことだろうと、
嘘だけは絶対に伝わらないし心に響かない。
他者の為の嘘は仏様だけに許された「方便」だけだ。
自分だけが納得しても相手は傷つく。
相手を思っての嘘とは、
あくまでも自己優先の極みである自己都合でしかない。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
井の中の蛙(かわず)、
大海を知らずにいれば幸せだった。
中途半端な覚悟で井戸を出るべきではなかった。
それに気づいて井戸に戻るも自分次第である。
ただし二度と夢を抱き井戸から出るべきではない。
井戸の中で大人しく暮らしているのが安全だから。
これ以上誰も傷つけずに済むから。
他者と上手く関われないのであれば、
他者と関わずに済む場所が定住の場所だということだ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
成功する人は常に正しい流れに自ら乗る人。
正しい流れを肌で感じ、
誰に何を言われようが反対されようが、
抗わずに素直にその流れに身を任せる。
その流れを一度たりとも信じたら、
一度たりとも乗ってしまったら、
愚問や不安を一切脱ぎ捨て流れに抗わずに従う。
今までの価値観なんてこの瞬間には無意味である、
次の流れによって新しい価値観が生まれるのだから。
正しい流れに身を任せ一体となれば、
自然の摂理に従い自動的に成功へと導かれる。
これを実践できる人は何をやっても成功し、
できない人はどんなに頑張ろうが成功しない。
成功を収めた人だけが得られる秘訣がこれだ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
できるかできないかを思考するのではなく、
やるかやらないかを決断するのが先決である。
一度でもやると決めたら、
実現できる方法を後でじっくり考えればよい。
一度でもやらないと決めたら、
後で何が起きても後悔しないことが肝要だ。
できるからやる、できないからやらない。
決断とはそういう次元ではなく、
何事も「伸るか反るか」の決断が肝要。
もっと言えば決断の結果責任を取れるか否かだ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
人はそれぞれの方法で生きている。
生きるために身に着けた方法、
大切なものを守るために身に着けた方法、
それを他者がとやかく言うことではない。
好む好まざるは別にしてまずは認めることだ。
どんな人にも生きる権利と守るものが在る、
それを認めて客観視できるのが大人の思考。
人としての道さえ間違ってなければ、
いろんな生き様が在ってもよい。
ただし認めることと理解することとは別物である。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。