羊羹なら絶対「とらや」の黒砂糖。
どら焼きなら絶対「うさぎや」日本橋本店のもの。
サンドウィッチなら絶対「まい泉」のヒレカツサンド。
昔から自分の中には定番の味がある。
単なる拘りではなくその味でないと別物だと認識してしまう。
人にはそれぞれの定番の味がある。
これが一つの「当たり前」という根拠である。
他のものと比較する必要も無いし意味も無い。
代替品では物足りない何かが確かに存在する。
人に対してもこれと同じ。
その人に代われる人は世界中探してもいない。
自分にとって他に代えられない存在なら、
絶対に手放したり代わりの人で妥協してはならない。
妥協しても後悔を残さず計画通りの結果を残すなど在り得ない。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
「幸せとお金の間にある符号を無くせ」
この符号とは「=」(イコール)のことである。
幸せとお金を同じ次元で考える人は、
幸せとは無関係の価値世界で生きている。
お金が一銭も無くても毎日美味しいものを食べ、
自身の事業を興し毎日愉しくビジネスしている。
この事実を見たら誰もが信じるしかないだろう。
お金が有れば幸せだという人に限って、
幸せとは程遠い生活を送っている事実は如何なものだろうか。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
解りやすいアマチュアとプロの違いを一つ。
アマチュアは過程を楽しむことに猛進し、
プロは結果を楽しみに日々の努力を怠らない。
アマチュアは嫌いなことを避け好きなことだけに集中し、
プロは嫌いなことを行うことで新しきを学び成長する。
アマチュアは知っている些細事を自慢げに話すが、
プロは熟知している事でも知らない振りをする。
アマチュアは自分を理解してもらおうとするが、
プロは相手を何とか理解しようと尽力する。
その道でお金を貰うプロの姿勢とはこういうことである。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
人との出会いの瞬間とは本当に面白い。
更には自分の価値観と180度違う人ほど面白い。
異種思考のすれ違いによる摩擦と衝突。
受け入れるか否かの葛藤の連続。
でも受け入れなければ成長もない。
若い頃は多くの人がある種の偏見を持っている。
狭い思考視野で考え一部の情報を信じるからに他ならない。
出会ったことがない存在が平和な頭を混乱させる。
新しき価値観を認めなければ成長はない。
成長とは新しきカルチャーを受け入れることである。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
ときどき人は大局を忘れて局所に拘り道を誤る。
他者動向に脳を支配された人は手が付けられない。
他者委譲する人は生かされているのと同じである。
にも関らず自分の拘りだけは優先している矛盾が在る。
「我が道を行く」と言うなら、
先ずは自分の意思で自立歩行することだ。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。