2024年7月 2日 06:00
姿勢の伴わない言葉ほど相手に対して根拠も示せず説得力が無いものは他にありません、だから常に一緒にビジネスを行う仲間にはこの姿勢の重要性を説いています。
ここで時々感違いを起こす人もいます、それは姿勢という見えない概念を物理的な目に見えるポーズ(振る舞い)で応えようとする人です、姿勢とは目に見える行動や行為などの物理的なものではありません、姿勢とは生き方や心持ちをベースにして他者への思いやりや配慮などの本心からの気遣いをいうのです。
もっと言えば「信頼関係を保証する心の契約を行う」ということです、その覚悟や心意気を姿勢といっても過言ではありません、そういう意味では姿勢の意味を真に理解して真摯に姿勢で応えられる人にはどんな自己犠牲を払ってでも守ってあげたいと思います、それが私の思う真の信頼関係であり血が繋がっていない他人であっても真の身内なのです。
だから「姿勢を改めます」とか「姿勢を正します」などと簡単に姿勢という言葉を使ってほしくはないのです、姿勢とは極めて重い意味を持っているのですから。
姿勢の真の意味を悟るには自分と自分の周りの見えるものしか見ていない表面思考の人にはとうてい理解することができない神の領域に存在する代物だと思います、経験を積むと他者の言葉は一切信じなくなるのです、何故なら言葉は必ず嘘をつきます、でも見えない姿勢は嘘をつかないのです、否つけないのです。
他方で「慇懃無礼(いんぎんぶれい)」という言葉があります、これは表面的な言葉や表情は丁寧で穏やかでも相手に失礼な言動や振る舞いを行うことを意味します。
例えば指導している最中に話しを遮るような頷きや高笑いや意味の無いつっこみ発言などは慇懃無礼の代表格の一つです、結局その時に指導した事項が守られることはありません、なぜなら全てが表面的な拒否反応の一つであり真に理解しようとしたくないという心理の表面化現象だからです。
その人の姿勢を心の目で観て測れば人はいったい何を隠すことができるでしょうか、そして常に言葉やポーズだけで何時までも姿勢を改めない人とはやはり同じ目標に向かって歩むことはできません。
私は時々どこかでそんな貯め込んだストレスが一瞬の些細な出来事をきっかけにして大爆発を起こしてしまうのです、私はきっと何歳になっても他者の姿勢の問題に関しては耐性が無いのだと思います、事業全てが吹き飛ぶような大失敗をしても笑って見過ごすことができるというのに、どうも心で嘘をつき自己利益欲しさに近寄ってきたり何かを得ようと虎視眈々と目論む人を看過することはできないようです。