2021年11月 3日 00:00
これまでの人生を振り返ると大きな変化の直前には深い反省があったことに気付かされます、私事で言えば12年前の人生初にして最大の挫折、一歩間違えば会社ごと吹っ飛んで25年間築き上げてきたもの全てが一瞬で消えて無くなっていました。
その時には自身の強引な企業成長戦略を大いに反省しました、そして「天の時を待つ」という意味と本質を正確に理解することができたのです、当時は上場申請の直前期で上場支援を受けていた証券会社や顧問から強引で性急な拡大戦略に対して咎める意見を多数貰っていました。
しかし当時の私には全社一丸となっての一大チャレンジに対して身内からブレーキをかけられているとしか思えず大いに反発したのです、そしてその結果が先述のとおりです、そんなとてつもなく痛い経験から門下生がその人らしい成功へのゴールとは違う方向へ向かっている行為を咎めることでペイフォワードしようと考えることもしばしばあります。
ある意味では老兵心からの余計なお節介かもしれません、でもお節介されているうちはまだ華なのです、人間とは自身と家族を冷静に観察することはできない動物なのです、それが人間だけに天が与えた「業」という自己利益優先欲望の塊である仕業なのです。
そして好きな色を似合う色だと勘違いして周囲の冷ややかな視線とは逆行し自分だけが妙に悦に入ることも珍しいことではありません、今の私に教えられることはこのくらいのことですからあらゆる方法で直接間接に伝えることに尽力します、それが自身で門下生に選んだという責任のまっとうでもあるのです。
しかし当時の私と同じで聞く耳を持たない人も少なくありません、言葉も表情も反発が先に出てくるのはすぐ解ります、面白いことに聞く耳を持たない人には大きく2つのタイプが存在しています。
一人はノリノリ状態で自身の生き方を信じ切っているのかそれともドーパミンとノルアドレナリンが出っぱなしなのか不自然に笑いながらも必死に無理して自身の考えを貫こうとするタイプ、もう一人は何をやっても上手くいかず数ヶ月単位で手を変え品を変え就く人をコロコロ変えては何年間も堂々巡りをして終いには経済的にも精神的にも追い込まれ自身を見失っていくタイプ、しかし私から見れば陰陽極まっているだけで同じ次元に存在している人だと結論付けています。
他者の声に耳を貸さないが異常なほどに他者の言葉や行動を意識している人達であり同じ種の負のスパイラルに入り込んでいるのが解ります、また時には地雷を踏んでまでも相手の反応を見て自身の考えを確かめる行為も実に面白い共通点として持ち合わせています。
さてある程度の期間に直接間接で伝えても一向に耳をかさずに同じことを繰り返している人をどうするか、私の場合はある日突然距離を置き放置(無視)することにしています、本人もその方が一瞬であっても気が楽になるだろうと思うからです、場合によっては最後の戒め事を伝えて外科手術的に一切の関係を断ってしまいます。
その意味は自分の思うようにやってみて大きな失敗と共に挫折と後悔、そして自身への失望感をたっぷり味わってもらうことが一番の薬になるという名分からです、一緒に同じ目標を目指し絶対的な信頼を持って何事も行えなければ私の信条である結果を保証できるはずもありません、そもそも一緒にいても互いに楽しくもありません。
それが最も効果があり、深い反省と共に1年ほどで戻ってくる人もいるしそれっきりで音信不通になる人もいます、自分の考えだけでやってみて、それで仮に上手くいけば大きな実績と根拠になるのですから、これも結果良しだと思います、何れにしても例え一時でも潔く去る人はまだ正常な神経の持ち主かもしれません。
自身を認めてもらえない反発なのか自分は特別な存在だと思いたいのか、それとも単に構ってほしいのか、後付けでの言い訳ばかりで自身の思惑とは裏腹に何年経っても低位であがき苦しんでいる人よりかはずっと潔いと思います、そういう人は自分だけは常に安全な場所を確保し誰とも中途半端な距離を保ち、中途半端な関係を維持しようとする選択の他者委譲性が強いのも特徴です。
自分を特別な人だと本当に思うのなら他者を頼らず好き勝手やっても大成功するはずです、誰もが今日明日にでも手軽に参入できるようなハードルの低いビジネスなど今すぐにも止めたらいいのです、経験もノウハウも必要で普通の人にはできないと思っているのは自分だけなのです。
ちなみに自身の時間単価を割り出してみれば解ります、時間単価はその人の能力含めた絶対評価であり存在価値です、そして社会からの存在の必要性をものの見事に数字として表しています。
本当に自信が有るなら自分を中心に世界が回り他者に干渉されずに済む世界初の独自の一大事業を巨額資金を調達してブチ上げたらいいと思います、それなら誰も何も言えません、だから他者の言葉に翻弄される事もなくまさにオンリーワンで常に口癖のように言っているとうりの誰にも干渉されずに自由で悠々自適に過ごせると思うのです。
そこまでやるなら私のような老兵に就いてくるまでもなく互いに気持ち良くお役目ごめんにできるというものです、結局ビジネスも人間関係も法人化に経営も生き方含めた人生丸ごと全てが中途半端なのではないかと思います、それでも起業家として経営者を名乗り、ビジネスを行い人生を楽しんでいると言えるのでしょうか?
「稼ぐためなら何でもする」、それこそ進むべき道と方法を間違えているのではないでしょうか、結局のところ常に必死に自分擁護の言い訳に始終しては自分の生き方と考え方が正しいの一点張り、そして上手くいっているかのような振る舞いを表示しながらも自らの逆ブランディングとも思える行為をしその結果を一切省みようとしないだけなのです。
ただ本人はそんなことは全て解っているのです、解っていても軌道修正の方法が解らないし過ちを認めた時点で自分自身を支えられなくなるのが怖いから、だから過ちの惰性と解っていても何とか誤魔化して生きていくしかないのです、結局何年経っても言う事もやる事も生き方全てを何も変えようとはしない、否できないのです。
果ては年収も生活ギリギリの横ばい、その状態が低位であがき苦しんでいると映るのです、世間は解っていて大人の対応しているだけです、そんな人は過去に百人以上も見てきています、だからこの先どんな生き様になるのかも解るのです、そういう人の成りの果てでの再生コンサルも実際にこれまでにたくさんやってきています、60歳を超えた男性経営者が「全ては自分の責任です」と言って目の前で泣き崩れることもありました。
大いに反省し自分と真摯に向き合う事ができれば何歳になっても軌道修正は可能です、軌道修正は若ければ若いほど効果があります、その後の人生が無駄にならないからに他なりません、ただ私も他者事でのお節介はそろそろやめにしようかと思っているのです、それよりも自身の理想郷構築に幾許も無い時間と最後の予備タンクにストックしてあったエネルギーを費やしたいと思います。