毎年のように空気が冷たく感じてくると年末年始を意識するようになります、これは何歳になっても変わらない意識です、そして口をそろえて「昨日まで正月が開けたと思ったらもう年末・・・」と言うのです、これも毎年変わらない口癖です。
本当に1年なんてあっという間です、「起業家になったら3年は赤字でも興した事業を続けろ」と周りの起業家に言ってきましたが、待つ時間は始まる前は長く感じても終わってみればあっという間なのです。
事業を行うに3年など序の口です、10年続けて初めてその事業が継続できたという価値が出はじめてくるものです、ビジネスってパッションなどではなく初心忘れず努力の継続で決まると言っても過言ではありません、所詮ビジネスとはそんなものなのです。
さっぱり売れなかった商品も10年続けていると世間の価値観や流行が変わってきます、そして見向きもされなかった商品にいきなりスポットライトが当たることなど珍しいことではありません、だから最低でも3年は継続させないとその事業を興したことが正しいかどうかも解らないのです。
10年という期間の放つもっとも大きな価値は起業した覚悟が本物かどうかという証を示せることです、これは大きな根拠となります、今世界に名を馳せる料理人や職人のほぼ全員が10年以上の下積みがあったからこそです。
どんなすごい料理を作れたとして名を残せないのはその世界に誇る根拠が何も無いからに他ならないのです、料理人だけではなく天才的な技術者も技能者も全てが実力も然りだけど同じことを継続してきたという根拠が最も重要な事項なのです、儲からないからと次々に職や付き合う人を変えているようでは成功しないのは当たり前なのです。
突然ですが、デスク周りは勿論のことオフィス内や家の中が不要物などで埋め尽くされていませんか、何故こんなことを書いたかというと、私の45年の経営経験でほぼノーミスでクロージングも1発で決めるような人のデスクは非常に整然としておりデスクの周辺に不要物の一つもそのままにしてないからです、当然私も不要物はすぐ捨てるし自分で使ったものは自分で片づけたり洗ったりしています。
逆にいつまでも成果を上げられない人の机の上には不要になった書類が山と積まれ引き出しの中もごちゃごちゃです、更には年末の大掃除の日も他の社員が必死にやっているのに忙しい振りして何もやりません、自分で使ったものまで他の社員に片づけさせています。
さて、身の回りを常に綺麗にしている人は何故ミスもなくビッグチャンスに強いのでしょう、まず身の回りを整然とさせている人は業務を溜めない人であり当然納期遅れもありません、また資料も端的に他者目線で書かれています、自分一人でできない事も周囲が手伝ってくれます、何故なら皆から好感を持たれている人だからです。
大企業との商談でクロージングを1発で決める理由は、それなりの企業の重役は言葉ではなくて姿勢やちょっとした仕草をみて一緒にビジネスできるかどうかを見極めているからです、何故なら経営判断する立場の人は身の回りを整然とさせている人だからです、自分と同じ匂いを発しているか否か、そこだけを見ているのです。
きっと、自分の事も人任せで掃除も自分でやったことが無い人って自分ではそういう感覚に極めて鈍くなっているので他者からそう見られていることも気づきません、そして周囲からも尊敬されずに誰も進んで手伝おうともしません、結局組織に在って孤立し孤軍奮闘で始終するのです、だらしない大人を観て好感を持つ人はだらしなさに鈍感な人だけです、だから成果が出ない、極めて簡単な理屈なのです。
28歳で起業して以来数々のビジネス上の別れを経験してきました、社員にパートナーに取引先と相手との関係性は別にして当初は自分の何が悪かったのかと落ち込んだ時もありました、ただそんなことを繰り返し経験してくるとその後に起きることも共通していることに気付くのです。
それは新たな出会いということです、まるで必然の別れだったかのように新たに入社してくる人に新たな取引先が現れるのです、だから私はそれ以来別れに対して不安も恐怖心も何もありません、そもそも最初から同じ未来を見てビジネスを楽しむことができない人たちだったということに落ちつきます。
何故なら同じ目標を見て同じ苦労を共にできる人であればどんなに意見が食い違おうがミス連発で堪り兼ねて当たり散らそうが別れは一様に来ないからです、それよりも別れの不安や恐怖心から媚びたり妥協したりする方が互いにストレスとなり距離を置くようになるのだと思います。
出会いに理由が無いように別れにも理由付けなど一切不要です、互いに別れるべくして別れた、その事実だけでいいのです、逆にその事実を受け入れられない人はいつまでも過去を引きずり大事な目標を見失うのではないかと思います、出会いも別れも自然の摂理そのものです、そう割り切って生きれればストレスとは無縁のものとなるのでしょう。
面白いことに何でも出来て一人でも生きていけるというような人ほど多数の人に囲まれ、他者を頼らなければ生きていけないような人ほど孤独を味わっている事実、世間とは上手くできているようでいて実はいろいろな意味で陰陽二極分化するように仕組まれているように感じます。
28歳で起業した当時私はある起業家育成塾に入っていました、その師匠から言われた言葉が今でも忘れられません、それは「お前は名を売ろうとするなフルーツ(実)を採ることを優先しろ」というものでした。
当時の塾生の中には早々に各業界で名を馳せていた人が多数いて師匠からは私が悔しい思いをしているのではないかと思われていたのでしょう、ただ私はまったく他者の活躍には興味が無くマイペースにIT技術の腕を磨いていました。
さてそんな一件があって以来何かにつけて他者を「名を売る人か実を採る人か」と見るようになってしまいました、昔から政治に経済に名を売る人は多数います、でもその人が人生成功者になるかどうかはまた別次元の話です、事実SNSで名を馳せた人が数年で破綻し海外逃亡を繰り返し隠れるように生活している例も多数あります。
ところで上場企業は日本に4,000社超ありますが一般に名前が知られている経営者は何人いるでしょう、ほとんどの人は銀行や有名ブランドの会社でさえ経営トップの名前を知らないのではないでしょうか、本当にビジネスで成功している人は名も顔も一般には知られていないものなのです、だからどこに行っても普通の人のように振舞えるのです。
そして「名を売る」のと「名を残す」のとは別次元のものです、「本業で成功して実を採りその後に名を残す」、これが本当の人生成功者なのではないかと思うのです、政治や経済の世界で名前だけが独り歩きしているような人もいます、注目されるのがきっと心地よい人なのだと思うのですが逆に失敗した時の人生リスクは知られていない人の数万倍大きいです、「名か実か」、最近の社会情勢を見ていてふと思い出した言葉です。
「成功者の定義とは何?」と聞かれて自分は何て答えるだろう、そんなことを還暦辺りから考えるようになりました、私的に出てきた答えは「好きなことを好きなようにやれること」でした、そのためには最低でも3つのカテゴリにおいて自由でなければなりません。
その3つの自由とは「経済的要素(お金)」・「時間」・「空間」です、お金を経済的要素としているのは「お金はやりたいことや欲しいものを手に入れるための媒体」として考えているからです、有り余るほどのお金を持っていてもやりたいことや欲しいものを得ることができなければ意味のない媒体であり経済的要素にはなり得ません、逆に生活するに充分且つ余裕ある経済基盤がなければ好きなようにやりたいことができません。
時間は拘束されることがない立場ということにも繋がります、業務や例え家族であっても他者に拘束されている間は自由に活動することは極めて困難です、少なくても余命幾許もない老後は自分のためだけに時間を使えることが一つの人生における成功だと考えています。
空間も時間と同じことで自由にできる空間を持つことが成功と呼ぶに必須事項です、その意味でいうと私が庭と畑付きの家を購入したのは何でも思ったように自由にできるからに他なりません、賃貸住宅では壁一つ自由に変えることはできません、壊すのも自由、作り変えるのも自分の自由にしたいのです、何故ならそれが自分の好きなようにできる空間ということですから、その意味で言うと一人暮らしでないと持ち家でも自由にはできないと思います。
さてそう考えると隠居して完全に自由な時間が手に入れば人生成功者の仲間入りができるかなと思います、そのために辛いときも必至で突っ走ってきました、目も前にスローライフへの扉が見えてきた今、天からのご褒美をやっと貰える時がきたのかと思え感慨もひとしおです。
最後にもう一つおまけの項目があります、それは孤独ではないという生活スタイルです、人生成功者になったとしても孤独を味わっていては本末転倒です、特に老後の人生において孤独を感じていては成功者と呼べないでしょう、その意味では心から信頼できる仲間の存在は必須だと思います、家族がいても孤独感を抱えている人も多いですから物理的な要素以上に心理的要素が強い項目です。
「自分は人生成功者なのか?」、そんな疑問が浮かんできたら是非ともこの3つのカテゴリにおいて自由かどうかと信頼できる仲間の存在の有無を思考してみては如何でしょう、意外なことに3つのカテゴリ全てにおいて自由ではないという人がほとんどではないでしょうか、そして最後の信頼できる仲間の存在は3つのカテゴリ以上に難関だと思います。
これらは全て正しく生きてきたか否かの結果です、正しく生きてきた人であれば3つのカテゴリにおいて全てが自由であり仲間に囲まれ孤独ではない人生を歩めるのだと思います。