過去別のブログで時事経済か何かのカテゴリで投稿した記憶があるのですが、ここ数年の世界情勢が極めて第一次世界大戦後から第二次世界大戦開戦直前の情勢と酷似していると思うのです。
例えば愛国心豊かな排外的なリーダーの誕生です、これが自由民主国家の幾つかの国で同時多発的に誕生している現在において偶然では片づけられないと考えています、また日本でも極右勢力が躍進しています、場合によっては極右派のリーダーが日本でも誕生するかもしれません。
ところで右翼とか左翼とは何でしょう、これはフランス革命時のフランス国会で議長席から見て右側に保守派が陣取り左側に革新派が陣取っていたことから「右翼VS左翼」という言葉が誕生し、以後世界中で使われるようになったのです、簡単に言えば右翼は愛国心が強く排外的な思想であり左翼はその古く排他的な考え方を改めグローバルな改革を推し進めようとする思想です。
さて自国を愛するのは決して悪いことではなく正常な考えだと思います、ただこれが極まった方向に行くと確実に戦争になります、何故ならそれぞれの国が最優先であり脅かされれば排除しようとする考えがそれぞれの国が持つようになるからです、つまり世界同時多発的にこれが起こった現象が第二次世界大戦なのです。
私の大学時代はちょうど学生運動が沈静化し始めた頃で大学時代はよく友人らと安保や戦争と平和というテーマで飲み明かしたものです、そんなローカルな場でさえ意見は合わないしまとまらないのです、人それぞれに正義があって守るべきものがあります、つまり歴史も文化も異なる人種が同じ価値観を共有するのは簡単ではありません。
平和な状況は互いに自己優先ではなく他者優先の考えから生まれるのです、この時代に果たしてそんな呑気なことを言ってられるのでしょうか、少なくても少数の際立った思考も持ち主によって犠牲になるのはいつの時代も国民です、真の愛国者であるなら国民を最優先にした愛民者であってほしいと願うばかりです。
28歳で起業して以来数々のビジネス上の別れを経験してきました、社員にパートナーに取引先と相手との関係性は別にして当初は自分の何が悪かったのかと落ち込んだ時もありました、ただそんなことを繰り返し経験してくるとその後に起きることも共通していることに気付くのです。
それは新たな出会いということです、まるで必然の別れだったかのように新たに入社してくる人に新たな取引先が現れるのです、だから私はそれ以来別れに対して不安も恐怖心も何もありません、そもそも最初から同じ未来を見てビジネスを楽しむことができない人たちだったということに落ちつきます。
何故なら同じ目標を見て同じ苦労を共にできる人であればどんなに意見が食い違おうがミス連発で堪り兼ねて当たり散らそうが別れは一様に来ないからです、それよりも別れの不安や恐怖心から媚びたり妥協したりする方が互いにストレスとなり距離を置くようになるのだと思います。
出会いに理由が無いように別れにも理由付けなど一切不要です、互いに別れるべくして別れた、その事実だけでいいのです、逆にその事実を受け入れられない人はいつまでも過去を引きずり大事な目標を見失うのではないかと思います、出会いも別れも自然の摂理そのものです、そう割り切って生きれればストレスとは無縁のものとなるのでしょう。
面白いことに何でも出来て一人でも生きていけるというような人ほど多数の人に囲まれ、他者を頼らなければ生きていけないような人ほど孤独を味わっている事実、世間とは上手くできているようでいて実はいろいろな意味で陰陽二極分化するように仕組まれているように感じます。
もうすぐ選挙の投票日です、昔は選挙速報などを見ては自分の応援する人や党の結果を気にしていたのですが最近の私は少し政治に冷め気味です、そして政治に何かを期待するということも無くなりました、結局は誰が当選しようが何も変わらないということをもう50年も経験してきたのですから。
昨今若い人が新しい党を作ってSNSなどを駆使して大きな勢力を得ています、また若い人が政治に興味を持って応援することは悪くはないと思います、少なくても若いのに未来を考えない人よりも全然ましだし現状を変えたいと思わない人よりも好感できます、幾許も無い老兵だって生きている間にやり残したことを全部やっておこうと思っているのですから。
そして勢力を拡大する党もあれば衰退の一途をたどる党もあります、結局国民の支持を得られれば繫栄し得られなければ衰退するのです、党の方針云々よりも国民の意識をどのくらい理解しているかという問題です、ビジネスで言えばプロダクトアウト志向ではなくマーケットイン志向が重要だと思います。
結果はどのようになろうがスローに田舎で暮らそうと考えている私には選挙結果よりも明日の天気の方がよほど重要です、怒られるかもしれませんが実際のところは多くの人はこんな感じなのではないでしょうか。
28歳で起業した当時私はある起業家育成塾に入っていました、その師匠から言われた言葉が今でも忘れられません、それは「お前は名を売ろうとするなフルーツ(実)を採ることを優先しろ」というものでした、当時の塾生の中には早々に各業界で名を馳せていた人が多数いて師匠からは私が悔しい思いをしているのではないかと思われていたのでしょう、ただ私はまったく他者の活躍には興味が無くマイペースにIT技術の腕を磨いていました。
さてそんな一件があって以来何かにつけて他者を「名を売る人か実を採る人か」と見るようになってしまいました、昔から政治に経済に名を売る人は多数います、でもその人が人生成功者になるかどうかはまた別次元の話です、事実SNSで名を馳せた人が数年で破綻し海外逃亡を繰り返し隠れるように生活している例も多数あります。
ところで上場企業は日本に4,000社超ありますが一般に名前が知られている経営者は何人いるでしょう、ほとんどの人は銀行や有名ブランドの会社でさえ経営トップの名前を知らないのではないでしょうか、本当にビジネスで成功している人は名も顔も一般には知られていないものなのです、だからどこに行っても普通の人のように振舞えるのです。
そして「名を売る」のと「名を残す」のとは別次元のものです、「本業で成功して実を採りその後に名を残す」、これが本当の人生成功者なのではないかと思うのです、政治や経済の世界で名前だけが独り歩きしているような人もいます、注目されるのがきっと心地よい人なのだと思うのですが逆に失敗した時の人生リスクは知られていない人の数万倍大きいです、「名か実か」、最近の社会情勢を見ていてふと思い出した言葉です。
昔アクアリウムにはまっていた頃は毎週日曜日になればアクアリウムショップに新しい熱帯魚や水草を求めて通いました、そこで「うん?」と違和感を感じることがあります、それは何かというと大型熱帯魚の生き餌として与えられる小型の金魚やメダカが食べられるのを見て「可哀そう!」と叫ぶ女性の声です。
フナやドジョウは「すごい!」と言って見ているのに何故金魚やメダカだけが可哀そうと言うのか意味不明です、どれも生き餌として養殖されている小魚です、自分が毎日のように食べている畜産された牛や豚と何も変わりません、見た目の姿形だけで感情が左右されるという筋が通らない思考の持ち主の典型的な例だなと思うのです。
さて横道にそれましたが大自然に生活の場を移すと都会では考えられないことが多々あります、先日は本丸で自生している竹藪を整備していて両腕を蚊に22ヶ所も刺されました、蚊は大したことないのですがブユ(ブヨ、ブト)がやばいです、たった1ヶ所ですが2週間腫れて痒みで苦しみ1ヶ月経っても跡が消えません。
でもこれが自然と共に生きるということです、野鳥や綺麗な蝶は来てほしいけどヘビや虫は不要とは言ってられないのです、何故なら植物も動物もこの自然の中で共生しているからです、虫がいなくなれば野鳥も来なくなりヘビがいなくなればネズミが増えるのです、すべてがバランスを取りながら太古の時代から自然を守ってきたのです、自然のバランスが崩れるとしたらそれは人間のエゴで自然を変えようとしたときです。
先のブユもこの環境に綺麗な湧き水が在るという証です、ブユは澄んだ水が無いと繁殖できません、そしてアユやヤマメの餌としても重要です、逆にブユの幼虫は水中でアユやヤマメの排せつ物を分解して水が汚れるのを抑えてくれます、このように自然とはすべての生命体が順に命を互いに繋ぐように仕組まれているのです、そこに人間が割り込んで変えるべきではないのです。
近くに綺麗な湧き水が在るからブユがいるのです、畑に有益なミミズがいるからモグラがいるのです、餌となる果樹があるから野鳥や蝶が集まるのです、自然とはこういうことなのです、その中で人間は自己都合で自然を我が物にするのではなく受け入れてもらえるように振舞う必要があると思うのです。