28歳で起業して以来数々のビジネス上の別れを経験してきました、社員にパートナーに取引先と相手との関係性は別にして当初は自分の何が悪かったのかと落ち込んだ時もありました、ただそんなことを繰り返し経験してくるとその後に起きることも共通していることに気付くのです。
それは新たな出会いということです、まるで必然の別れだったかのように新たに入社してくる人に新たな取引先が現れるのです、だから私はそれ以来別れに対して不安も恐怖心も何もありません、そもそも最初から同じ未来を見てビジネスを楽しむことができない人たちだったということに落ちつきます。
何故なら同じ目標を見て同じ苦労を共にできる人であればどんなに意見が食い違おうがミス連発で堪り兼ねて当たり散らそうが別れは一様に来ないからです、それよりも別れの不安や恐怖心から媚びたり妥協したりする方が互いにストレスとなり距離を置くようになるのだと思います。
出会いに理由が無いように別れにも理由付けなど一切不要です、互いに別れるべくして別れた、その事実だけでいいのです、逆にその事実を受け入れられない人はいつまでも過去を引きずり大事な目標を見失うのではないかと思います、出会いも別れも自然の摂理そのものです、そう割り切って生きれればストレスとは無縁のものとなるのでしょう。
面白いことに何でも出来て一人でも生きていけるというような人ほど多数の人に囲まれ、他者を頼らなければ生きていけないような人ほど孤独を味わっている事実、世間とは上手くできているようでいて実はいろいろな意味で陰陽二極分化するように仕組まれているように感じます。
もうすぐ選挙の投票日です、昔は選挙速報などを見ては自分の応援する人や党の結果を気にしていたのですが最近の私は少し政治に冷め気味です、そして政治に何かを期待するということも無くなりました、結局は誰が当選しようが何も変わらないということをもう50年も経験してきたのですから。
昨今若い人が新しい党を作ってSNSなどを駆使して大きな勢力を得ています、また若い人が政治に興味を持って応援することは悪くはないと思います、少なくても若いのに未来を考えない人よりも全然ましだし現状を変えたいと思わない人よりも好感できます、幾許も無い老兵だって生きている間にやり残したことを全部やっておこうと思っているのですから。
そして勢力を拡大する党もあれば衰退の一途をたどる党もあります、結局国民の支持を得られれば繫栄し得られなければ衰退するのです、党の方針云々よりも国民の意識をどのくらい理解しているかという問題です、ビジネスで言えばプロダクトアウト志向ではなくマーケットイン志向が重要だと思います。
結果はどのようになろうがスローに田舎で暮らそうと考えている私には選挙結果よりも明日の天気の方がよほど重要です、怒られるかもしれませんが実際のところは多くの人はこんな感じなのではないでしょうか。
28歳で起業した当時私はある起業家育成塾に入っていました、その師匠から言われた言葉が今でも忘れられません、それは「お前は名を売ろうとするなフルーツ(実)を採ることを優先しろ」というものでした、当時の塾生の中には早々に各業界で名を馳せていた人が多数いて師匠からは私が悔しい思いをしているのではないかと思われていたのでしょう、ただ私はまったく他者の活躍には興味が無くマイペースにIT技術の腕を磨いていました。
さてそんな一件があって以来何かにつけて他者を「名を売る人か実を採る人か」と見るようになってしまいました、昔から政治に経済に名を売る人は多数います、でもその人が人生成功者になるかどうかはまた別次元の話です、事実SNSで名を馳せた人が数年で破綻し海外逃亡を繰り返し隠れるように生活している例も多数あります。
ところで上場企業は日本に4,000社超ありますが一般に名前が知られている経営者は何人いるでしょう、ほとんどの人は銀行や有名ブランドの会社でさえ経営トップの名前を知らないのではないでしょうか、本当にビジネスで成功している人は名も顔も一般には知られていないものなのです、だからどこに行っても普通の人のように振舞えるのです。
そして「名を売る」のと「名を残す」のとは別次元のものです、「本業で成功して実を採りその後に名を残す」、これが本当の人生成功者なのではないかと思うのです、政治や経済の世界で名前だけが独り歩きしているような人もいます、注目されるのがきっと心地よい人なのだと思うのですが逆に失敗した時の人生リスクは知られていない人の数万倍大きいです、「名か実か」、最近の社会情勢を見ていてふと思い出した言葉です。
昔アクアリウムにはまっていた頃は毎週日曜日になればアクアリウムショップに新しい熱帯魚や水草を求めて通いました、そこで「うん?」と違和感を感じることがあります、それは何かというと大型熱帯魚の生き餌として与えられる小型の金魚やメダカが食べられるのを見て「可哀そう!」と叫ぶ女性の声です。
フナやドジョウは「すごい!」と言って見ているのに何故金魚やメダカだけが可哀そうと言うのか意味不明です、どれも生き餌として養殖されている小魚です、自分が毎日のように食べている畜産された牛や豚と何も変わりません、見た目の姿形だけで感情が左右されるという筋が通らない思考の持ち主の典型的な例だなと思うのです。
さて横道にそれましたが大自然に生活の場を移すと都会では考えられないことが多々あります、先日は本丸で自生している竹藪を整備していて両腕を蚊に22ヶ所も刺されました、蚊は大したことないのですがブユ(ブヨ、ブト)がやばいです、たった1ヶ所ですが2週間腫れて痒みで苦しみ1ヶ月経っても跡が消えません。
でもこれが自然と共に生きるということです、野鳥や綺麗な蝶は来てほしいけどヘビや虫は不要とは言ってられないのです、何故なら植物も動物もこの自然の中で共生しているからです、虫がいなくなれば野鳥も来なくなりヘビがいなくなればネズミが増えるのです、すべてがバランスを取りながら太古の時代から自然を守ってきたのです、自然のバランスが崩れるとしたらそれは人間のエゴで自然を変えようとしたときです。
先のブユもこの環境に綺麗な湧き水が在るという証です、ブユは澄んだ水が無いと繁殖できません、そしてアユやヤマメの餌としても重要です、逆にブユの幼虫は水中でアユやヤマメの排せつ物を分解して水が汚れるのを抑えてくれます、このように自然とはすべての生命体が順に命を互いに繋ぐように仕組まれているのです、そこに人間が割り込んで変えるべきではないのです。
近くに綺麗な湧き水が在るからブユがいるのです、畑に有益なミミズがいるからモグラがいるのです、餌となる果樹があるから野鳥や蝶が集まるのです、自然とはこういうことなのです、その中で人間は自己都合で自然を我が物にするのではなく受け入れてもらえるように振舞う必要があると思うのです。
備蓄米を放出するも米の価格が一向に下がらず高止まりしています、新農水相に期待する声も高まりますが果たして価格は下がるのでしょうか、米価格は置いておいて主食がパスタやクラッカーの私には共に1年前の2.5倍になっている方が深刻です。
そもそも何故昨年から一気に米価格が上がったのでしょうか、私が思うに世間で言われている業者の買い占めやどこかの組織の価格調整だけではないと考えています、価格が上がりだしてからの群集心理により消費が進んだためだと考えています、つまりみんなが買って消費したから市場から米が消えたのです。
その根拠ですが、普段はいつでも買える米を買い置きする人はいないと思います、ところがニュースで米価格が上昇しているというのを聞いて買えるときに買っておこうと普段1袋なのに2袋買っているのではないでしょうか、これは家庭だけではなく飲食店や加工業者も含めて一斉に行われたら市場から一気に米が消えてなくなってもおかしくはありません。
そういえば私が高校生の頃にオイルショックが起こり日本から石鹸と紙が一斉に消えてなくなり価格が急上昇しました、その後流通業者の倉庫に大量保管されていることが報道されるや一気に価格が下がりました、今回もどこかのタイミングで同じことが起こるのではないかと思うのです。
最初の価格の上昇は確かにどこかの業者が買い占めしたのでしょう、日本米は日本食ブームも相まってどこの国でも高級米で富裕層を中心に爆買いされていますから、その後はオイルショックと同様にみんながこぞって買いに走った結果小売店の在庫がなくなり価格があっという間に上昇したということです、まあ政策なのか買い占め業者が高いうちに売ろうと放出するのかは解りませんが一旦価格が下がり始めたら一気に元に戻ると考えています。
ただいつの時代も群集心理は侮れないです、みんなで同じ行動を起こすエネルギーは破壊的でもあります、米が無いなら主食を他のもので代用するなど冷静に状況や近未来を見守れる人は高い米を買わされることもなくマイペースに食事を楽しめるのかもしれません。