誰が使いだしたのか日本国内で同時多発的に「ギュられる」というネットスラングが使われるようになりました、ちなみに「ギュられる」とは「AIが人間の能力を超える瞬間」という「シンギュラリティ」から発祥し「AIが人間の職を奪っていく」ことを意味しています。
またこれが世界に飛び火して日本初のネットスラングがそのまま英語になっています、ちなみに英語圏のネットスラングでは「get gyu-ed」と言います。
ここで多くの人が「シンギュラリティ」の本来の意味を取り違えていることを指摘したいと思います、勿論AIに限定して言うのであれば「AIが人間の能力を超える瞬間」でも間違いではありませんが、本質的には「進化によって元の世界には戻れない状況」ということを指しています。
例えば携帯電話の誕生によって公衆電話やテレホンカードが世の中から消えていきました、eメールの普及によってFAXが使われなくなりました、CDやDVDの誕生によってフリッピーディスクが消えました、つまりあるモノの誕生や進化によって淘汰されるモノがあり元の世界には二度と戻れないということなのです。
これは職種に関しても例外ではありません、ある技術やサービスの誕生によってこれまでも多くの職種が淘汰されてきました、電話交換手やキーパンチャーなどは一時期は花形職種と言われ数万~数十万人もいましたが現在一人として存在していません。
今はAIの普及によって多くの人間の職が奪われていく途上にあります、ITを仕事としている企業でさえプログラミングや試験をAIが行うようになり技術者余りが起きています、つい2年前まではAIの仕事が増え技術者不足という状況だったにも関わらずです、AIを造った者がAIによって滅ぼされるという悲劇が起きているのです。
AIは今後益々進化を遂げていきます、大手企業にあって専門職と言われていたコンサルタントやアドバイザーもAIが行うようになっていくでしょう、士業もうかうかしていられません、各種の法務書類作成も申請代行もAIが行ってくれるのですから。
過去に起きたバブル崩壊やリーマンショックで起きたリストラの嵐、シンギュラリティの現実味はこんなものではありません、これまで築いてきた人間社会の価値感までも大きく変えてしまう可能性があるのです。
そんな時代にどう生きていくのか、そろそろ真剣に考えるべき時がきていると思うのは私だけでしょうか、こういう時代はAIを積極的に取り込み共存していくのか、それともAIに頼らなくてもよい自然を相手にした人生をまっとうするかのどちらかでしょう、中途半端な生き方で世の流れに翻弄される人は確実に淘汰されていくのです。
ついに始まりました自転車の青切符制度、歩道を我が物顔で暴走し赤信号無視や逆走も平気で行い常に危険を感じていた私としては歓迎すべきですが、行き過ぎた取り締まりも後々社会問題に発展するかもしれないと思っています。
そんな心配を他所に早々に警察ともめ事を起こしている人も少なくありません、流石にこれまで通り自転車に乗っていて突然罰金を払わせられるのですから大人しく払うのを拒む人は多いのは頷けます。
自転車に乗っている人の多くは自転車は軽車両であり自動車と同じように交通ルールを順守しなければならないことを知りません、これまで大目に見ていただけです、特にどんなケースにおいても車両に乗っている以上は歩行者が最優先です、それを邪魔だとばかりに歩道をベルを鳴らし暴走しているのですから咎められても仕方ないでしょう。
ちなみにこの青切符ですが歩道を走行できる例外もあります、それは歩道を自転車で走行できる標識がある場合、70歳以上の高齢者、13歳未満の子供、工事などで車道を走行するに危険な場合の4つです、自転車は軽車両です、是非とも交通ルールを守って乗ってほしいと思います。
入社したばかりの人で初日早々に退社を決める人がこの数年来急増しているようです、4月2日以来退社手続き代行会社への相談が急増するといいます、春は新入社組に加えて数年働いてきた人の相談も多くなります、春は初々しい表面に対してリスキーな裏面も持っているのです。
春という季節は動かなかった物事が突然のように動き出す季節であり心身にいろいろな影響を与える自然環境の変化があります、プラス面では植物が芽吹き山の色が一変します、マイナス要素としては春の5Kがあげられます、春の5Kとは強風・乾燥・花粉・黄砂・寒暖差でありどれも心身に微妙な影響を与えます。
話は変わりますが私の生まれた時代は戦後の復興期であり今のような物に溢れる時代ではありません、とにかく何でも我慢する教育を受けてきました、無いなら工夫して継続する道を探して解決する、そんな感覚が子供のころから染み込んでいます。
またマナーや社会通念に関しては家でも学校でもスパルタ的に身体に覚えさせられたものです、反発しようものなら起き上がれないほど愛の鞭を入れられたものです、軍国主義が少なからず色濃く残っていた時代だったのです。
対して現在は何でもすぐ手に入る時代です、家でも学校でも法律に守られて健やかに暮らせます、我慢せず労せずして楽な方法で人生を切り開いていける時代です、どちらが幸せかは解りません、ただ少なくても世代別に生き方や人間関係に対しての向き合い方と価値観が微妙に違うように感じるのは私だけでしょうか。
2024年9月から始まった米価格の上昇ですがあっという間に倍の価格になりました、昨年の9月には新米が出るので政府の備蓄米の放出と合わせて供給過剰により価格は下がると思われていましたがその気配もなく価格は横這いで推移していました。
ところがここにきて米価格が急落し始めています、スーパーでは既に5キロで3,000円を切っていますしネット通販でもブランド米の新米が送料込みで5キロ3,500円ほどで買えるようになっています。
市場予測では6月にもう一段の価格下落が入り、更に9月ごろから今年の新米が出回るので米価格は2024年の9月の上昇前の価格に戻るのではないかと囁かれています。
その予測を受けJAは政府に米の買戻しを打診しているようです、大手米業者も倒産するところが出るのではないかと言われています、この予測を後押しする各種の指標も出ています、いずれは米価格が供給過剰により暴落するのは必至でしょう。
農政策の読み違いに加えてJAや大手米業者の利益優先の思惑が入り込んだ末の今回の米価格の急騰の結末が米暴落です、国民の主食を投資対象にした代償は極めて大きいです、今更米の需要を促したところで誰も振り向かないでしょう。
実は国民の米離れは20年も前から進んでいたのです、それでも備蓄米という建前もあり税金を使い米農家から一定の数量を高値で買い支えてきたわけです、農政策とはいったい何なのでしょう、政府主導で米を作れと言ったり作るなと言ったり日本の農政策は政治と権力と密接に結びついており戦後から何も変わっていないのです。
大学時代に二度にわたるオイルショックを経験してきた私にとって現在の原油高はとても他者事ではありません、大学卒業時は第二次オイルショックで就職難の時代です、紙や石鹼などの生活用品が市場から消えたことも強い記憶として残っています。
そもそも80数年前に日本がアメリカに宣戦布告をして参戦したのもアメリカの日本に対するオイル封鎖施策がきっかけです、現代社会において原油不足は世界共通の死活問題なのです。
時々聞かれる「ガソリンの価格が上がっても車持ってないから関係ない」という言葉、これはとんでもない無知もいいところです、原油価格はガソリンや石油価格だけではなくほぼすべての生活必需品の価格に影響します。
食品も生活用品もすべての生産に石油が使われています、また合成繊維もプラスチックなどの化学素材も原油から作られています、更には無関係と思われる野菜の価格にも影響します。
野菜を育てるのに使うトラクターなどの農業機械類は軽油が使われますし、温室の暖房にも石油が使われます、またすべての産業で共通の問題が輸送コストがあります、ガソリン代が上がれば当然輸送コストが上昇し価格に反映されるのです。
他にも電気代も上昇し家計を直撃します、オイル離れというエネルギー革命が叫ばれて半世紀、いまだにオイルは生活するうえで必須の存在なのです。