私の第二の故郷ともいえる池袋ですが、考えてみたら人生の3分の2をここで生活しています、そんな池袋の秋と言えば「ふくろう祭り」です、丸2日間をかけて全国からよさこいチームが結集し大イベントが繰り広げられます。
審査が行われるメインの駅前ステージや駅前公園のステージに加えて4つのメイン通りを激しく踊りながら行進します、色華やかな衣装に加えて掛け声も若々しく元気を貰います、また各種の神社の祭りも毎週のように開かれ神輿行列で道路も封鎖され賑やかな夜となります。
ところで祭りは氏神や産土神(うぶすながみ)など家や土地にまつわる神様と深い関係があるのですが、その意味では日本人というのは仏教やキリスト教などの宗教とは切り離して神様信仰が並行しているのが世界的にみても極めて稀で面白いと思います。
その意味で多くの家では仏壇と神棚が同じ部屋に在ったりします、加えて初詣には神社へ行き盆はお寺に、そしてクリスマスのイベントも楽しみます、これはどの国でも見られない文化であり日本古来の信仰感覚だと思います。
私もその意味では住んでいる地の神様には初詣に行きますし、永住の地の敷地内にも神様を祀る祠を建てたいと思っているのです、一つの守られているという安心感が心穏やかに過ごせると思うのです。
神様を祀ることを他力本願だというトンチンカンな人もいますが私は大いに結構なことだと思います、むしろ心開ける心の拠り所は持つべきだと思います、人は一人では生きていけないのです、どんな人でも苦しいときもあれば辛いときもあるのです、それを世の中や他者のせいにするのではなく自分の行いを顧みることが肝要かと思います、それを後押ししてくれる存在が在るとするならばきっとそれを神様というのではないでしょうか。
最近の若い人は無駄な時間に関して強く意識しているようです、特に飲み会や社員旅行などを「タイパ(タイムパフォーマンス)が悪いと言っては参加を拒否する傾向があるのだそう、昔なら参加しなかったら先輩にこっぴどく叱責されたものですが昨今では強要はすべてハラスメントに当たるようで下手なことは言えなくなってきているようです。
私も実はほぼ強要された飲み会は大嫌いで社会人になりたての頃は嫌で仕方ありませんでした、意味のない会話に突き合わされて強引に飲まされ「イジメだ」と意識したこともあります、まあでも歳とともにタイパの悪いことも時に重要だと考えるようになります、話が重要なのではないのです要は付き合いの問題なのです、つまり進んで参加するかどうかの意識問題です。
世の中には無駄な時間や労働など幾らでも存在しています、でも本当にそれは無駄なことなのでしょうか、例えば意味が無いと思って付き合いで参加した飲み会で未来を決めるような出会いや自己業務のヒントが転がっていることが多々あります、私も45年のビジネス人生で幾多もありました。
その出会いやヒントは時間換算できません、1万時間かけても得られないかもしれないからです、要は常に世の中すべてがセンスの問題だと思うのです、つまり無駄事に関する感覚です、無駄を無駄に終わらせない姿勢と判断が肝要だと思うのです、そういう人は確実に時間と飲み代以上の利益を得られる人です。
この歳になると無駄事にこそ人となりが素直に表れるのだと思います、無駄事を無駄で終わらせない思考と無駄事に価値を見出すこと、これができれば少しは成功の文字が見えてくるのかもしれません、何歳になっても無駄事の向こう側を観るようにしたいものです。
毎年のように5月の連休とか夏休みは何処に行っても人が溢れ電車に乗れば子供の泣き声でイライラモードになってしまいます、永住の地に月に何度か車で行くのですが決まってこの季節は行き帰りに渋滞に嵌まります、サービスステーションで休もうと思ってもテーブルは人で埋め尽くされていてゆっくり食事もできません。
5月連休や夏休みは大手企業は一斉に休暇に入り1週間ほどビジネスが止まることになります、毎度のことなのでそんな時にはマイペースに進めるので問題なしです、ただ一斉に休みを取る5月連休と夏冬の連休はどうにかならないかと思うのです、何故みんなが一斉に取るのでしょう。
私は外資系企業に勤めていたルールをずっと起業後も適用し5月連休も夏冬の連休も自由に取れるようにしています、5月連休が終わってから1週間休んでもOKなのです。
私は「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な集団心理がすごく苦手です、みんなが休んでいるときに仕事をしてみんなが仕事しているときに休む、こんな自由な世界が好きなのです、さてそんな鬱陶しい夏休みもそろそろ終わりです、ゆっくり長期休暇でも取りましょうかね。
第二次世界大戦後の世界はアメリカと旧ソビエト連邦による冷戦状態により西側諸国と東側諸国に別れてパワーバランスを取ってきました、それが1991年旧ソビエト連邦の解体によりカオスの状況に陥り変わって中国が台頭してきて現在に至ります。
この10年間ほどは偏りはありながらも一応のバランスが取れているように思えます、ところがアメリカファーストを打ち出した現リーダーの出現により悪いながらもバランスの取れた世界秩序が突然壊れるのではないかと推測する有識者が増えてきたのも確かです。
それを物語るようにアメリカから富裕層や有名人がどんどん出国しています、彼らはヨーロッパ各国にいる親戚などを頼りに世界に散らばっています、そして今後世界はどのように変化していくのでしょうか、その中で日本はどのように振る舞えばいいのでしょうか。
インドはクワッドの枠組みで日米豪と経済と安全で連携してきましたが、ロシアから原油を買っていることを理由にアメリカから突如制裁的な高い関税をかけられロシアや中国と連携する動きを見せています、日本も自動車などの輸出先として新たに環インド洋諸国(アフリカ諸国&インド・中東諸国)と協議を始めています。
いつの時代も悪いながらも安定していたパワーバランスが崩れる時は必ず争いが起きます、現在では火力による戦争ではなく経済戦争の方が深刻です、負けた方の国民は生活苦という悲惨な状況を迎えます、誤った政策を行うリーダーを止められるのは選んだ国民の義務です、義務を果たせなければ自分たちが犠牲になるだけですから、しばらく世界情勢から目が離せません、何故ならパワーバランスの変動により少なからず日本も大きな影響を受けるのですから。
多くの人が8月の季節は夏だと思っているようで驚きます、夏休みは8月が主なので子供の頃からそういうイメージを持ってしまうのかもしれません、しかし暦のうえでは8月初旬(2025年は8月7日)に立秋となり秋になります、でも実際には立秋の前後10日ほどが暑さのピークとなります、つまり暦と実際の季節感は1ヶ月ほどずれているのです。
例えば最も太陽が高くなり一日の太陽が出ている時間が長い夏至は6月下旬(2025年は6月21日)ですが本格的な暑さは一か月後の7月下旬からとなります、この季節と実際の気温のずれは何処からきているのでしょうか、諸説ありますが単純な話が海水の温度がじっくりと上がり、じっくりと下がるから季節感が暦よりも遅れているだけのことです。
ただ風は素直で8月に入ると急に夜風が気持ち良くなります、湿度も8月に入ると低くなりはじめますので日陰に入ると風が気持ちよく感じるようになります、この傾向は都会よりも田舎の方が正確に表れます、その理由は都会はどこもかしこもコンクリートで固められているので太陽の熱が吸収保持され、それが夜でも反射されるので太陽が沈んでも暑く感じるのです。
そこへ行くと田舎は山に川に緑や水辺がいっぱいです、したがって昼間の太陽光線の温度が保持されるものが無いので太陽が隠れれば本来の季節の風を素直に感じることができるのです、そういえば私の故郷である信州の夏は昼は太陽がじりじり照らして暑いのですが夜はほぼエアコンなしでも過ごせます。
昨今の日本の夏の地獄の暑さは世間的には地球温暖化のせいにしています、しかし私はコンクリートで固められた地面とエアコンに車や電車がもたらす熱によるヒートアイランド現象での温度上昇の方が深刻だと思います、車が通るたびホームで電車が止まるたびに暑い空気が沸き上がります、この熱を何とかすれば日本の都会の気温は少しはましになると思うのです。