寒冷地で生まれ育った人はほぼ全員が身体が寒冷モードに切り替わるスイッチが自身に付いていることを自覚しています、私も信州の中でも極寒地と言われる中心部で育ったので寒冷モードスイッチが勿論付いています、この寒冷モードスイッチというのはある時期になると突然身体の冷感覚が鈍くなり寒さに極端に強くなる身体に切り替わるというものです。
ところが大学時代に東京に住むようになってから徐々に真冬でも寒冷モードスイッチが作動しなくなっていったのですがスキーに行ったり冬季にパリやモスクワに出張に行ったりすると突如寒冷モードに切り替わります、一旦切り替わると春になるまで戻らないので東京の冬が暑くて過ごしずらかった年もありました。
寒い冬を無難に乗り切れる身体の寒冷モードですが若干の注意点があります、一つはモードチェンジ後の数日間は異常に睡眠時間が長くなるということ、また甘いものを欲するようになるということ、一度モードチェンジすると春まで切り替わらないので他者と快適な温度が大幅に異なり暖房が息苦しくなったり更にはオーバーな話がちょっとした掃除などの動作でも大汗をかいてしまうということです。
そんな私ですが昨年同様に今年も既にモードチェンジが完了したようです、やはり昨年も今年も地方拠点でマイナス気温を体感し忘れかけていた寒冷モードスイッチが作動してしまったようです、高齢になると特に寒い冬は身体に厳しいといいます、それでも信州は男女ともに平均寿命が全国トップクラスなのはこういった身体の寒冷モードチェンジ機能を獲得しているからなのではないかと思うのです、根拠は何もないのですが調査してみると意外や面白い結果が出るのではないかと思ったりしています。
一連の某国の高市首相を狙い撃ちした陰湿なる執拗な攻撃ですが高市氏は堂々と無視を継続しています、私はこの姿勢が一番賢い作戦だと思っていますので個人的にも大歓迎です、高市氏は経済だけではなく経営戦略や他国文化などにも長けている人で当然某国の「論語と兵法」を相手によって使い分けるというダブルスタンダード文化も研究し尽くしているでしょう、流石の見事な対応だと思います、こういう時に日和って下手な謝罪や発言撤回すれば次の作成がオートマチックに発動され永遠に収束しないと思います。
そもそもですが某国は高市氏が首相になるのを最も懸念していた国で与党連合から公明党の離脱を主導したという陰謀論(事実だという指摘もある)まで出ているのですから何をしても足を引っ張りたいわけです、そんな見え透いた作戦にまんまと乗る必要もないのです、「エスカレートして軍事行動に出たらどうする?」などという妄想を通り越した寝惚けた意見を言う日和った老害政治家や識者もいますが見当違いも甚だしいと思うばかり。
理不尽な攻撃(口撃)には何も言わない何もしない戦法が一番、何かを言ったり行えば更に輪をかけて手を変え品を変えては因縁をつけてくるだけです、かっこ悪いと言われようが怖気づいたと思われようが、そんな輩の存在も含めて無視を続けるに限ります、戦略無視は本当にジワリと力強いメッセージを発揮しだします、先手を打った相手は何を考え何をしてくるかと熟考し続けます、そのストレスから些細な凡ミスを犯します、何かを仕掛けるならその凡ミスに乗じて特大の攻撃を仕掛けるのが戦略経営の定石です。
また某国の経済制裁的な数々の嫌がらせも自国民向けの体裁に過ぎずマスコミが騒ぐほどの影響はほとんど無いというのが事実です、数年前はまだしも今では某国の観光客数は全体の15%程度に過ぎずキャンセルは主に団体旅行であり直接高級化粧品や家電を仕入れる爆買いのビジネス来訪者は一向に減少していません、ホテルも他国の観光客や受験生での予約でキャンセル分はあっという間に解消し大きな被害も無かった様子です。
日本の優れた民族性は災害や事故といったマイナス面での学びからプラスに転じる軌道修正が早いことが世界的にも評価されています、この機にインバウンド然り輸出入然りで某国に依存する事項から脱却を試みる方針が早くも論議されています、私個人的には日本の未来ビジョンは極めて正しい道を歩み出したと感じています。
このような政治的な動きとは裏腹にここ池袋は相も変わらず別世界のようです、行き交う人の言語は某国語ばかり、私の行きつけのレストランもオーナーだけではなく従業員全員が某国人、ちょっと前まで通っていた歯科医も某国人、良く買い物するミニスーパーのオーナーも某国人、政治的な問題など何もなかったように全てがいつも通りの日常で明け暮れしています。
突然ですがAという事項が極めてBに酷似しているとして、あるときにAがCに変化したのであればBも遅かれ早かれCに変化していくと予測できます、これが一つの自然の摂理という流れの法則です、ビジネスであれ経済的な問題であれ未来を見極めることができる人は今この状況に楽観もしないし悲観もしません、そしてマイペースに状況の変化を愉しみながら天の時を待つこともできます。
でもこういった一つの法則的な流れをまったく意識することもなく日々繰り返す出来事に翻弄されながら生きている人もいます、そして些細な人間関係でのトラブルでパニックになり絶望することさえあります、また僅かな喜びごとに浮かれ優先すべきことすら忘れてこの喜びが未来永劫続くものと考え満足してしまいます。
多くの人がこういう日々の些細な出来事に翻弄される生き方をしていると思います、これに関しては悪いこととは思わないしそれが所謂人間らしいとも思います、ただし普通の人生ではなく何かを興して自身の理想とする世界を築きたいと考えているなら市井の人と同じ思考で生きていても絶対に満足な結果は得られません、むしろ無謀な夢など持たなければよかったと自分の人生に失望すら覚えるようになるでしょう。
理想とする世界を生きている間にどうしても築きたいのであれば今すぐにでも市井の人の思考を捨てることが重要です、そして今の状況を見て考えるのではなく5年後10年後を見据えて今そして未来に何をすべきかを思考することが重要です、それには冒頭の法則から思考する癖のようなものを獲得しないと自然に思考し行動を起こすことはできません。
では自分にその能力が無い人や獲得できない人は理想とする世界を得られないのでしょうか、否可能です、そういう思考ができる人のできるだけ近くで活動し人生のパイロットランプの如く意識して思考と行動を真似するだけでよいのです、これも一つの成功するための流れに素直に従うということかもしれません。
自然の流れに抗って生きても苦労は多けれど何一つ得ないで終わる可能性が極めて高いです、人生は生きている間だけです、生きている間に何をしたかであの世に逝く瞬間ににこやかに笑えるか否かが決まると思います、充実した思い通りの人生で終わらせたいのであれば先ずは成功するための正しいプロセスを正しい順序で踏んでいくことです。
毎年のように空気が冷たく感じてくると年末年始を意識するようになります、これは何歳になっても変わらない意識です、そして口をそろえて「昨日まで正月が開けたと思ったらもう年末・・・」と言うのです、これも毎年変わらない口癖です。
本当に1年なんてあっという間です、「起業家になったら3年は赤字でも興した事業を続けろ」と周りの起業家に言ってきましたが、待つ時間は始まる前は長く感じても終わってみればあっという間なのです、事業を行うに3年など序の口です、10年続けて初めてその事業が継続できたという価値が出はじめてくるものです、ビジネスってパッションなどではなく初心忘れず努力の継続で決まると言っても過言ではありません、所詮ビジネスとはそんなものなのです。
さっぱり売れなかった商品も10年続けていると世間の価値観や流行が変わってきます、そして見向きもされなかった商品にいきなりスポットライトが当たることなど珍しいことではありません、だから最低でも3年は継続させないとその事業を興したことが正しいかどうかも解らないのです。
10年という期間の放つもっとも大きな価値は起業した覚悟が本物かどうかという証を示せることです、これは大きな根拠となります、今世界に名を馳せる料理人や職人のほぼ全員が10年以上の下積みがあったからこそです。
どんなすごい料理を作れたとして名を残せないのはその世界に誇る根拠が何も無いからに他ならないのです、料理人だけではなく天才的な技術者も技能者も全てが実力も然りだけど同じことを継続してきたという根拠が最も重要な事項なのです、儲からないからと次々に職や付き合う人を変えているようでは成功しないのは当たり前なのです。
104代首相は過日自民党総裁に選出された高市氏に決まりました、日本憲政初の女性総理に各国もトップニュースで伝えました、私は維新の会を味方につけた時点で高市氏の勝利は確実視していましたので驚きはしませんでした、そしてこの一連の動きを「覚悟」という視点で傍観していました。
当初は維新の会ではなく政策的にも近く高市氏と早期に接触していた国民民主が与党連立の要となっていました、しかし党首の玉木氏が煮え切らないのか野党連立の可能性との狭間で風見鶏のような曖昧な姿勢の振る舞いに始終し、結局はその間に維新の会に座を奪われてしまいました。
風見鶏的な振る舞いは野党からも見放され首相選後の支持率は半減し玉木氏のスキャンダルが再燃し党員も離れかねない状況に陥っています、こんなにもリーダーの覚悟が問われる瞬間はそう多くは無いでしょう。
日々何を語ろうが自由ですが、リーダーたるものここ一番の瞬間に覚悟が問われます、そして覚悟が無いと判断された瞬間に群れから孤立します、これは自然の摂理そのものです、大草原のライオンの群れ然り、猿山の猿の群れ然りです、覚悟が無いならリーダーに成るべきではないのです、それは本人も含めて誰も幸せにはならず関係者全員が不幸になるのです。