友人の多くは既に定年退職しています、そんな友人たちとときどき飲むのですが皆さん口を揃えたように同じことを言います、「定年退職して解ったことだけど毎日行くところがあるって幸せなことだよね」、なるほど私は今までに一度も考えたこともなかったのですが行くところが無くなった人にとっては家にいることが如何に辛いことなのかと考えさせられます。
多くの友人はサラリーマンや公務員です、退職したら悠々自適に暮らせると考えていたのでしょう、ところがいざ退職してみると気力が湧かずにやりたい事も手が付かないのだと言います、だから皆さんシルバー人材センターに登録して仕事を探すのでしょう、そこには経済的な手段よりも行くところが在るという生き甲斐を見い出そうとしているように思います。
そんな話をしていてふと考えたのですが私の事業で幾つか同世代の人に手伝ってほしい事が山ほどあることに気が付きました、例えばオーディオの修理やメンテナンスは今やオーディオメーカーで技術職だった人たちが定年後に会社を立ち上げて細々とやっています。
高度成長期時代は常に技術者不足でオーディオメーカーはどんどん採用していきました、そして今どんどん定年退職していきます、更にはアナログからデジタルに移行し求められる技術分野がガラッと変わっています、つまりそういう高齢技術者が数多く埋もれているのです、また現在は真空管アンプやレコードプレーヤーなどアナログが復活しています、つまり極めてニッチな人材が不可欠なのです。
また隠居後の道楽事の一つに考えている自然農法や園芸事などで専門職人が各種必要になります、そんな専門分野の高齢者と何かできないかとロジカルシンキングしていたら次から次へとどんどんアイデアが出てくるのです、採用する側も善し、される側も善し、そして社会に善し、面白いことがたくさん出来そうな気がしてきました、また一つ老後の愉しみが増えました、「長生きすれば善いことがたくさん待っている」、徳川家康はいい言葉を残してくれました。
突然ですが「道楽」とは「本業以外の好きな事にふけること」と辞書にあります、考えてみれば私は本業も心から愉しめない状況になれば即座に撤退し興味を引かれる新しき事をやり始めてしまいます、その意味では私の人生そのものが「道楽」に集約されるのかもしれません。
子供のころからミニカーや怪獣グッズをはじめ興味のあるものは全てコレクションし、顕微鏡や望遠鏡でミクロやマクロの別世界を覗き、小学校のころから祖父に学び真空管を使ってラジオやアンプを作っていました。
本格的に道楽として没頭したのは大学時代に始まったオーディオです、また合わせてジャズのレコードコレクションもアルバイトで稼いだ全財産を投入して狂ったように集めまくりました、当時はオーディオとレコードに費やすお金が欲しくて春夏秋冬の長期休暇全てを遊びにも行かずにアルバイトに充てたものです。
そんな私が社会人になるとオーディオ道楽と並行してスコッチウイスキーやリキュールに興味を持ち始めます、そしてウイスキーコレクションをしながら連日連夜のバー通い、日本で買えるアルコール類のほぼ全てを飲んで納得したものです。
30歳代になると一転今度はアウトドアと釣りにはまり週末は河原や海辺でバーベキューを行い釣船を1日貸切っては社員と海釣りを愉しみました、40歳代にはサイドビジネスを行うようになりサイドビジネス用の会社を設立してショットバーやダイニングバーを3店舗運営しました、更には熱帯魚レンタル・子供向けパソコン教室・天然素材の肌着販売などのサイドビジネスを複数同時並行で行いました。
その後人生の一大転換期が訪れそれまでのサイドビジネス全てをそれぞれの従業員に無償譲渡して、今度は有り余った時間を使って陰陽五行を応用した学問の確立と研究に没頭します、今更ながら考えてみると私はどうも生業の本業とは別に常に何かをやっていないと落ち着かないようです、きっといろんな意味での精神的バランスを保とうとしているようにも思えます。
いろんな事をやってはノウハウを得て納得してきました、それでもアンティーク家具やオーディオショップ、更には農業に畜産業に養殖業とやりたいと思っていた事でやり残したものは山ほどあります、加えて最近は食と健康や昔取った杵柄であるアクアリウムやテラリウムに意識が向っています、いったい私はどれ程の道楽を愉しめば満足するのでしょうか?
きっと生きている間は常に新たな道楽事を次々とやっていく気がします、それも何かを終わらせてから始めるのではなく新たに生まれる道楽事を並行してですから大変です、でも辛さも悩みも愉しみも生きている間だけなのです、やりたい事は全てどんなに大変で辛くても納得するまで徹底的にやってみる、私は人生に納得しないうちはあの世には気持よく逝けないと思うのです。
私にとって「道楽は長寿の薬」です、道楽に没頭できている間は生業の経営と共に心身が元気だというバロメーターなのです、そして生きていく為には無関係な満足感を得る為にどれほどの時間とお金を使ってきたのでしょうか。
でも私はこう思うのです、それが好きなようにできているからこその生業に活力が生まれるんだと、生きる為に食べるような行為は私には耐えられません、やりたいことを行う為に健康で長生きして毎日美味しく食事をしたいのです、「食べる」と「食事」は大違い、私は食べる行為は実は面倒だと思う事項でも食事をすることは大好きなのです。
生きてく為に不要な事項にこそ私は生きる価値を見い出しています、生きていく為だけの生業ならそれは強いられた労働という代物です、そんな人生に私は喜びも幸福も感じられません。
道楽こそ私の人生そのものなのです、初めての食材は取りあえず買ってみる、海外に行けば珍しい料理は食べてみる、手に入るアルコール類は全部飲んでみる、気になったものはとりあえず買って試してみるのです、生きていく為に不要なものに価値を見い出しては更に工夫して愉しむのです、生きている間に生身の人間でしかできない事を全部やってみるのです。
ここにお金や時間がもったいないという概念も意識も皆無です、そもそもお金は好きな事をやる為の媒体であってそれ以外の価値を見い出していないのですから、どんなことも気になればやってみるのです、何故なら理由があって私は人間に生まれてきたと思うからです、生まれてきた理由を知りたくて子供の頃からずっと探し求めているのです、「明日はどんな心奪われるものに出会えるのかな?」、そう思って寝ると自然に暗いうちから目が覚めてしまうのです。