つい先日還暦を迎えたと思っていたら時が経つのは早いものであっという間に8年も経ってしまいました、ビジネスの世界に身を置いて46年、経営者人生40年、長いようであっという間の出来ごとでした。
さて新型コロナウイルスパンデミックの影響で延期した隠居計画は今度こそ第四コーナーを回りラストスパートの直線コースに入りゴールも見えてきました、隠居への準備に加えて理想郷を得るための各種の具体的行動を起こしています。
10年ぶりに事業家に返り咲いて早6年、この数年間は猛スピードで各種の憂いごとの清算と事業が展開しました、現メイン法人のIT事業会社では幾つもの最新技術分野で特許出願しオリジナルプロダクツとサービスを創出させ現在においては大きな収益源となっていることが何よりも嬉しいことです、加えて債務の清算により隠居の際も何の憂いも無く後継者にバトンタッチできるまでになりました。
そういえばブログは書き始めて20年を超えました、ブログ開始時の自分との約束事である「毎日更新」は自身に課したノルマとはいえ正直厳しいものでした、始めた当時は予約投稿という機能が無いのですから出張中も高熱で寝込んでいる時も何とか毎日書き続けたものです。
でもこれが長い期間をかけて結果的に「不屈の精神力」を磨いたのだと思います、「必ず有言実行する」という精神力とここぞの時の爆発力は半端なく向上しました、私の周囲の人でもアドバイス通り毎日きっちりブログ更新している人は自身の精神力や思考が大きく成長したことを自覚していることでしょう。
ブログとはいえ調べて纏めるのに1記事で半日以上を費やすことも珍しくありません、寝る間も惜しんでブログを書き続けるなんて馬鹿じゃないかと思われるでしょう、でもこの経験は決して無駄にならないどころか未来に大きく羽ばたくのです、脳は長期に渡る苦しい自己ノルマによって多くの情報を短時間に整然と処理できるようになり、更に他者に文章で正確に伝えられるリテラシーが向上します、これはそのままビジネスに有益に直結してきます。
記憶力・洞察力・調査能力・分析能力・ロジック展開能力、ビジネスに必須な能力を日々少しずつ確実に磨くことができるのです、世界中のユニコーン企業の経営者は何歳になっても何故毎日ブログを書き続けているのでしょうか、成功者は意味が無い事は行わないのです。
話変わって道楽の話しですが、これもまた10年間封印していたオーディオとホームシアター道楽を事業家復活の年にシンクロするように復活しました、現在の夢は隠居後に実家から貴重な70年代の真空管アンプや大型フロアスピーカーなどのオーディオ機器と1000枚を超えるレコードを理想郷に持ってくることです、これでやっと50年の空白の歳月を埋めることができます。
生きていく為には全く必要もない戯れに大きなお金と時間を使えること、これが幾許も無い人生を濃厚にさせてくれると考えています、そういう意味では道楽に費やす費用と時間は残り少ない人生を濃厚に過ごすためのサンクコスト(利益ゼロの投資)だと考えています。
ある期間は休まず遊びもせずにビジネスに邁進する、ビジネスで一定の成果を上げたら長期休暇を取り経済的な憂いも無くゆっくりする、これが私流の一つの成功人生だと思うのです、そして私流の「自分へのご褒美」とは日々のささやかなグルメや旅行などの庶民感覚での癒し事ではありません、数年単位の有り得ない規模の癒し事です。
この長期スパンでの陰陽両極メリハリは人生を太く長く愉しむための秘訣です、人生は振り子の原理と同じで長期スパンで人生リズムの流れを作れば状況の善し悪しの振れも大きくなりますが太く長く愉しんで生きられるのです、逆に些細な歓び事での短期スパンで人生リズムの流れを作ると小さな事を短期間でコロコロ回すことしかできずに細く短く淡い人生になってしまうでしょう。
数年間プライベートでの愉しみを封印してビジネスに徹し、そして長期休暇を取り仕事やお金の心配もなく心からゆっくり過ごす、こういう普通の人には到底真似できないことをやれるのが起業した人間としてのひとつの成功だと思うのです。
そして隠居後に何かビジネスチックなことをやりたくなったら道楽ビジネスとして思いっきり愉しもうと思います、なぜならその時にはお金を稼ぐという必要性も意味も仕事をしなくてはいけない義務も責任も一切存在しない状況になっているのですから、生活に充分な経済基盤が確立していてやらなければならない債務が何も無いことが悠々自適なスローライフを送るための必須事項なのです。
友人の多くは既に定年退職しています、そんな友人たちとときどき飲むのですが皆さん口を揃えたように同じことを言います、「定年退職して解ったことだけど毎日行くところがあるって幸せなことだよね」、なるほど私は今までに一度も考えたこともなかったのですが行くところが無くなった人にとっては家にいることが如何に辛いことなのかと考えさせられます。
多くの友人はサラリーマンや公務員です、退職したら悠々自適に暮らせると考えていたのでしょう、ところがいざ退職してみると気力が湧かずにやりたい事も手が付かないのだと言います、だから皆さんシルバー人材センターに登録して仕事を探すのでしょう、そこには経済的な手段よりも行くところが在るという生き甲斐を見い出そうとしているように思います。
そんな話をしていてふと考えたのですが私の事業で幾つか同世代の人に手伝ってほしい事が山ほどあることに気が付きました、例えばオーディオの修理やメンテナンスは今やオーディオメーカーで技術職だった人たちが定年後に会社を立ち上げて細々とやっています。
高度成長期時代は常に技術者不足でオーディオメーカーはどんどん採用していきました、そして今どんどん定年退職していきます、更にはアナログからデジタルに移行し求められる技術分野がガラッと変わっています、つまりそういう高齢技術者が数多く埋もれているのです、また現在は真空管アンプやレコードプレーヤーなどアナログが復活しています、つまり極めてニッチな人材が不可欠なのです。
また隠居後の道楽事の一つに考えている自然農法や園芸事などで専門職人が各種必要になります、そんな専門分野の高齢者と何かできないかとロジカルシンキングしていたら次から次へとどんどんアイデアが出てくるのです、採用する側も善し、される側も善し、そして社会に善し、面白いことがたくさん出来そうな気がしてきました、また一つ老後の愉しみが増えました、「長生きすれば善いことがたくさん待っている」、徳川家康はいい言葉を残してくれました。
突然ですが「道楽」とは「本業以外の好きな事にふけること」と辞書にあります、考えてみれば私は本業も心から愉しめない状況になれば即座に撤退し興味を引かれる新しき事をやり始めてしまいます、その意味では私の人生そのものが「道楽」に集約されるのかもしれません。
子供のころからミニカーや怪獣グッズをはじめ興味のあるものは全てコレクションし、顕微鏡や望遠鏡でミクロやマクロの別世界を覗き、小学校のころから祖父に学び真空管を使ってラジオやアンプを作っていました。
本格的に道楽として没頭したのは大学時代に始まったオーディオです、また合わせてジャズのレコードコレクションもアルバイトで稼いだ全財産を投入して狂ったように集めまくりました、当時はオーディオとレコードに費やすお金が欲しくて春夏秋冬の長期休暇全てを遊びにも行かずにアルバイトに充てたものです。
そんな私が社会人になるとオーディオ道楽と並行してスコッチウイスキーやリキュールに興味を持ち始めます、そしてウイスキーコレクションをしながら連日連夜のバー通い、日本で買えるアルコール類のほぼ全てを飲んで納得したものです。
30歳代になると一転今度はアウトドアと釣りにはまり週末は河原や海辺でバーベキューを行い釣船を1日貸切っては社員と海釣りを愉しみました、40歳代にはサイドビジネスを行うようになりサイドビジネス用の会社を設立してショットバーやダイニングバーを3店舗運営しました、更には熱帯魚レンタル・子供向けパソコン教室・天然素材の肌着販売などのサイドビジネスを複数同時並行で行いました。
その後人生の一大転換期が訪れそれまでのサイドビジネス全てをそれぞれの従業員に無償譲渡して、今度は有り余った時間を使って陰陽五行を応用した学問の確立と研究に没頭します、今更ながら考えてみると私はどうも生業の本業とは別に常に何かをやっていないと落ち着かないようです、きっといろんな意味での精神的バランスを保とうとしているようにも思えます。
いろんな事をやってはノウハウを得て納得してきました、それでもアンティーク家具やオーディオショップ、更には農業に畜産業に養殖業とやりたいと思っていた事でやり残したものは山ほどあります、加えて最近は食と健康や昔取った杵柄であるアクアリウムやテラリウムに意識が向っています、いったい私はどれ程の道楽を愉しめば満足するのでしょうか?
きっと生きている間は常に新たな道楽事を次々とやっていく気がします、それも何かを終わらせてから始めるのではなく新たに生まれる道楽事を並行してですから大変です、でも辛さも悩みも愉しみも生きている間だけなのです、やりたい事は全てどんなに大変で辛くても納得するまで徹底的にやってみる、私は人生に納得しないうちはあの世には気持よく逝けないと思うのです。
私にとって「道楽は長寿の薬」です、道楽に没頭できている間は生業の経営と共に心身が元気だというバロメーターなのです、そして生きていく為には無関係な満足感を得る為にどれほどの時間とお金を使ってきたのでしょうか。
でも私はこう思うのです、それが好きなようにできているからこその生業に活力が生まれるんだと、生きる為に食べるような行為は私には耐えられません、やりたいことを行う為に健康で長生きして毎日美味しく食事をしたいのです、「食べる」と「食事」は大違い、私は食べる行為は実は面倒だと思う事項でも食事をすることは大好きなのです。
生きてく為に不要な事項にこそ私は生きる価値を見い出しています、生きていく為だけの生業ならそれは強いられた労働という代物です、そんな人生に私は喜びも幸福も感じられません。
道楽こそ私の人生そのものなのです、初めての食材は取りあえず買ってみる、海外に行けば珍しい料理は食べてみる、手に入るアルコール類は全部飲んでみる、気になったものはとりあえず買って試してみるのです、生きていく為に不要なものに価値を見い出しては更に工夫して愉しむのです、生きている間に生身の人間でしかできない事を全部やってみるのです。
ここにお金や時間がもったいないという概念も意識も皆無です、そもそもお金は好きな事をやる為の媒体であってそれ以外の価値を見い出していないのですから、どんなことも気になればやってみるのです、何故なら理由があって私は人間に生まれてきたと思うからです、生まれてきた理由を知りたくて子供の頃からずっと探し求めているのです、「明日はどんな心奪われるものに出会えるのかな?」、そう思って寝ると自然に暗いうちから目が覚めてしまうのです。