「起業したら事業で成功し自分らしく生きる!」、
これは正直に言えば例外なく経営者の建前である。
お金の心配はしたくないし面倒な事はしたくない。
付き合いは限られた人だけにしたい。
これを実行したら志を示せないし生活もできない。
だから「起業家だから」という名分を作っては、
自分に無理を強いているのが事実としてある。
でも経営者だって普通の人と同じなのだ。
自分に無理して頑張って幸福なのか?
お金を得るためなら他者を踏み台にしていいだと?
そんな身勝手な人に人生だ理想だのと哲学を語る権利は無い。
自分ができない事を妙な理屈で捏ね回し、
何も知らない人に奨めてほしくはない。
「人として自身の心に正直に生きる」、
これができて初めて勝者への階段が目前に現れる。
リーダーは何事にも絶対的な「力」を示さなければならない。
「力」の無いリーダーには誰もついてこない。
リーダーは構成員に安全と利益を保障しなければならない。
安全且つ生活の保証のうえで組織は有益に機能する。
リーダーたる者は構成員に優先して与えなければならない。
人脈・チャンス・ノウハウ・環境・お金、
先ずは与えることによって結果自身も潤うことになる。
ルールで縛れば人心は離れ、威厳を示せば寄ってくる。
「力」の無いリーダーほど細かなルールを強いたがる。
「力」の有るリーダーは構成員を信じて成果を上げる。
大きな器と広い視野で組織員と接することが肝要。
そのリーダーの下で組織は自発的に拡大成長していく。
「美味しいよ!」、そう言われてポンと渡された高級食材。
それが何かが解らなければ調理法も知る由もない。
こうして無知なる人によって高級食材は無駄にされる。
高級食材を美味しく食べるためには食材知識は不可欠。
更には美味しく食べるための調理知識は必須である。
ビジネスも然り、どんな商材もビジネススキームを理解し、
マネタイズ方法を考えられなければ宝の持ち腐れとなる。
多くの人はその知識とノウハウが無い。
だから目の前の金種をみすみす見逃すことになる。
勝者と敗者を分ける最大の理由がこれだ。
常に無難な食事を作りそれを食べ続けても、
生きることはできても人生を愉しむ食事はできない。
調理もビジネスも愉しみの中に予想外の利益が潜んでいる。
調理でいう「味の向こう側」はビジネスにも存在している。
時代が変われば価値感も変わる。
ビジネス手法も変えなくては利益を得ることはできない。
現代において成功するビジネスは全て「待ち」のビジネスである。
勝者のビジネストレンドは「動」から「静」に確実に移行する。
集める集客方式から集まる集客方式へのシフト。
売る販売方式から売らない販売方式へのシフト。
売らないオンリーワンビジネスを確立すれば、
集客しなくても自然に人は寄ってきて買っていく。
今の時代に商材や関連情報を一方的に流しても、
迷惑がられるだけで効果はゼロに等しい。
プッシュ型ビジネス思考から、
プル型ビジネス思考へパラダイムシフトすることが肝要。
「集めて売る」という「動」の思考の人には、
「静」なる思考の勝者の原理を理解することはできない。
欲しがる人には欲しがる人しか寄ってこない。
陰の共感で引き寄せた結果は容易に想像できる。
与える人には与える人が寄ってくる。
「陽」の理論と根拠で引き寄せるから。
次代のビジネス手法は「陰」で思考は「陽」である。
「嫌われるのはいいが恨まれたらお終い」、
縁有って出会った人によく言ってきた言葉である。
この言葉にはあえて最終章を除いている。
この言葉に続く最終章は、
「最悪なのは遺恨を残すこと」である。
恨みよりも恐ろしいのが遺恨、
これは生涯忘れることができない呪縛のようなものだ。
人は無意識のうちに恨みを持たれることがある。
ブログで何気なく使った借り物の言葉や文章。
そのオリジナルを作った人が、
それに大きな意味を込めていたとしたらどうだろう?
当人やリスペクトしている人が怒りを覚える。
それが何度も度重なったとしたら、
恨みを飛び超えて大きな遺恨を抱かせることになる。
書籍や書類にメールにメルマガ、
その情報は配信した途端に他者の手に渡り残る。
一旦他者の手に渡った文章は、
ブログのように簡単には修正も削除もできない。
「遺恨」は忘れたころに災いとなって押し寄せる。
たかが文章、されど文章、
文章表現は自身のオリジナル表現に徹することだ。