将棋やチェスの達人の必勝法。
「相手に自分の打ってほしいところに打たせる」
つまり無言の誘導である。
百戦錬磨の達人は相手の戦法に乗せられた振りをして、
相手のミスを誘いながら絶好のチャンスを伺う。
そして突然流れを一変させる起死回生の一手を放つ。
その後はイニシアティブを取って最後には確実に勝つ。
終わってみれば最初から最後まで、
全てが達人の掌の中で進められていたことになる。
ところでラクダは人に操つられているように見せて、
実はラクダが人を導いているに過ぎない。
ラクダは砂漠の好きなところに自由に行けるが、
人はラクダがいなくては移動は極めて困難だから。
「他者を上手く操っている」と思っている人は、
ほぼラクダに導かれている人と同じなのかもしれない。
相手に乗せられた振りして相手を誘導する。
勝者が得意とする誘導戦略は実に奥が深い。
進むも戻るも止まるのでさえも読まれているのだから。
誘導させられたくないのであれば、
心を開いて信頼関係を構築し真の身内になるか、
そうでなければ手の届かない所へ逃げるかである。
中途半端に付き合うから探られ誘導されるのだ。
10年以上有益な付き合いをしている人は何人いるか?
5人いたら正常な人間関係を構築できる人である。
その人達と継続した公私ともに関係があるなら、
もうその人達とは真の仲間であり家族も同然。
常に正直ベースで何でも相談し合える家族である。
経済基盤も有益な情報も共有でき、
可能な限りの要望に応えたいと互いに心が動く。
長期に渡る仲間が多ければ良いということでもないが、
まったくいないのであれば考えものだ。
真の仲間とは数の勝負ではなく、
継続した信頼関係が維持できているかが最重要である。
水は高いところから低いところに流れ落ちる。
これ自然の摂理。
水と油はどんなによく混ぜても何時かは分離する。
これも自然の摂理。
人間もそれぞれが自然の摂理に従って生きるべきだ。
各種の諸事情が重なって同じ道を歩んだとしても、
結局それぞれが落ち着くところに落ち着く。
無理して合わせる必要もない、無理して交わる必要もない。
それぞれがそれぞれに、
居心地の良い方法で自然に生きるべきだ。
それが自然の摂理通りに生きるということ。
全ての事項が計画よりも遅れに遅れている。
こういう時は何か大きな意味が在るものだ。
今知る必要もなければ、知っても意味がない。
その時が来れば天が教えてくれるから。
それよりも大いに愉しむ時間を貰ったと考えることだ。
その方が前向きになれるから。
程良い緊張感の中で、
理想の実現を待つ時ほどワクワクすることはない。
一つの計画の達成、
それは一つのストーリーの終わりでもある。
ワクワクする理想郷へのストーリーならば、
長く愉しめたほうが幸福なのにきまっている。