物事の本質を熟知し、
事象や人の行動を洞察し隠れた真実を見抜く人。
志高くビジネスを真面目に行いたい人にとっては、
こういう人は心強い味方であるはずだ。
しかし、こういう人を遠ざけてしまう人もいる。
もし自身のビジネスが志や使命感ではなくて、
単なる生活の為の手段だとしたらどうだろう?
その人は言葉や行動の矛盾から、
お芝居や嘘、言い訳や正当化を簡単に見抜いてしまう。
したがって全てを見通せる人の前では、
慎重にならざるを得ないから本来の自分を出せない。
全てを見抜いてしまう存在は驚異の対象でしかない。
だから無意識に遠ざけてしまうようになる。
結果、同類の人との付き合いに留まってしまう。
これでは成功など望むべくもない。
「飴と鞭を使い分ける」という言葉がある。
優しさ(仏心)と厳しさ(鬼心)を例えての言葉である。
私は認めた人には鞭を使うことはしない。
ただし、飴は飴でも弱さずるさを気付かせる意味で、
鞭より痛い飴なのかもしれない。
私の飴には七味ある。
スイート・マイルド・ミルク・ソルティ・スパイシー・ビター・無味。
無味とは「何も言わない、何も教えない」という不思議な味。
「黙ってやらせて結果で考えさせる」、
ある意味では無味が一番深い味わいなのかもしれない。
「考え方が古い」、「有益な人脈がない」。
実はこれは昔ある人に広められた私の噂。
私は誰が流したかを確認ししばらく静観していた。
思った通りで真実を知っている人は、
逆に寄ってくるようになった。
噂を流した人は思惑と裏腹に世間を狭くしていった。
静観したのは誰が信頼できるかを見極めるため。
陥れは「百害有って一利無し」、真実が周知されるから。
似非情報操作は思惑とは逆にエールを送る行為となる。
自身にとってマイナス情報が独り歩きしたら、
10倍のプラス効果に転じるように思考を凝らす。
これが自然にできればマイナス情報など恐れるに足りぬ。