会話における共通する申し合わせ事項、つまり会話のベースが双方で共有されていないと話しが噛み合わない、もしくは大きな勘違いや思い違いでトラブルになったりします、例えば一方が経営者としての立場をベースに話しをしているとします、しかし片方が人間としての生き方をベースに話しを聞いたとしたらどうなるでしょうか?
経営者の立場というのは生き方のうちの限られた時空間での各論ということになり総論ではありません、したがって例外も有れば時と場合によっては生き方とは真逆の理論も展開されることは多々あります、それが「ビジネスライク」な思考という曲者なのです。
しかし生き方というのはビジネスやプライベートは関係なく人としてどう生きるべきかの話しであり生き方としての総論ということになります、片方が各論を展開しもう片方が総論として聞いていては総論として聞く方は全面否定されるという結果も生まれてもおかしくはありません、特に女性の場合はビジネスも含めて生き方の一つと考える人が極めて多いので経営者としての考え方の話しだと限定して話しをしても途中で生き方と重なり感情的になる人も少なくありません。
この会話のベースをコンテクスト(共有事項)と言いますがコンテクストの相違は会話でも勿論ですが特にブログやSNSなどで特に起きやすくなります、なぜなら情報は発信者からの「一方的な私的情報」だからです、読み手は書き手がどの立場で書いている記事なのかを見誤ると書き手の伝えたい事が全く別の方向で伝わってしまいます。
特に私の記事は結構こういう誤解を生みやすいのかもしれません、常に経営者という立場の各論での思考や行動がベースにありますが時として人生そのものの総論での幸福感ということにも触れているからです、ただできるだけ解りやすくする目的でビジネスと人生という2つを分けるために各カテゴリには解りやすいカテゴリ名を付けるように工夫しています。
読む人によっては自身の生き方を全面否定されたなどと思う人もいるかもしれませんが、生き方そのものはその人の自由であってどの立場の人も他者の人生に何かを言う資格はないでしょう、各論では経営者としてビジネスや関連する人間関係を考えた場合に「こうあるべきだ」という経営者の立場での限られた空間における思考や行動を語っているに過ぎません。
家に帰って何をしようが、休みの日に何をしようが、それは経営者の立場ではなくて一人の個人としての自由空間です、経営者であろうがなかろうが個人としての過ごし方は自由でありどんな立場の人にもそれを指摘する権利も意味もありません、問題はプライベートは自由なのですがビジネスに持ち込むと話しは別になります、これが経営者としての各論での厳しい話しとなるのです。
少なくても私はクライアントの個人的な生活様式には興味はありません、ビジネスするうえで経営者としての立場での思考と行動に関して「モノ申す」を行っているに過ぎないのです、一貫としているのは経営者であるなら「ビジネスに私情を持ちこむな」、「ビジネス空間とプライベート空間での思考と行動をきっちり分けろ」ということだけです。
SNSもビジネスに使っているならプライベートを一切出さない、プライベートで使っているならビジネスに関する表示をしない、特に経営者はこのどちらかに限定することが好ましいと思うのです、私の場合は過去にSNSを行っていた時にはビジネスでもプライベートでもない中庸の「独り言」にあえて徹するようにしていました。
プライベートは勿論、ビジネス情報もSNSで表示するのは仕事柄好ましくないという結論に達したからです、ビジネスとプライベートをごちゃまぜにするから不要なトラブルが起きたり言われなくてもよい事を指摘され炎上するのです、つまりは全てが自身で作った原因の結果ということなのです、もっとも炎上することが好ましいと考える人には何も言う事はありません、その人とは住んでいるフィールドそのものが経営者という感覚もないだろうし生き方そのものが別次元だからです。
私は経営者という立場の人とは同じ感覚で接することにしていますが同じ次元に住んでいない人とは全てにおいて関わらないことにしています、関わったところで無益な争い事は生じても有益な事を生むことは何一つありません、これも私の不要な時間とエネルギーを使わないという他者との付き合い方の原則なのです。
3・6・12ヶ月の都合21ヶ月間、これは私の「その人が信頼できるかを見極める時間」、つまり「信頼構築のクリティカルタイム」です、幹部社員や特別顧問などある意味においてその業務に関して自分に代わりその業務の全権を委ねるような人材の確立に迫られた時に誰にするかを見極めるに絶対的に必要な期間が先の3・6・12ヶ月なのです。
つまり3ヶ月・6ヶ月・12ヶ月をマイルストーンとして最長都合21ヶ月かけて重要任務を任せられる人材を見極めています、この数字は誰に教えられたものでもありません、長年の経営経験の中で培われた統計上はっきりと言える期間なのです、つまり生きたデータです。
まず適任者候補にいきなり任務や役職を与えます、それが一般社員からいきなり取締役や子会社の代表だったりもします、そして使命と目的を簡単に説明した後は3ヶ月間放置します、たいていの人は何も成果が出ないどころか何もできません、しかしこれは既に織り込んでいることですので慌てることもありません、そして成果が出ない理由とこれからどうするのかを聞きます、そして回答した方法を次の6ヶ月間で行わせます。
つまりリカバリーのチャンスを与えると同時に自己申告した目標を全うできるかを今度は見極めます、この6ヶ月間で結局何も変わらない場合はそこでリセットします、つまり何もなかったという事にして次の候補者の確保に移ります、また6ヶ月間で自己申告した目標をある程度達成できた場合には更に12ヶ月延長して様子を見ます、つまり一過性のラッキーだったのか本物なのかを見極めるに必要な期間ということです。
この21ヶ月を乗り越えてきた人間は見事に逞しくなっています、まさにその業務に関して全権を与えても何ら不安もありません、そしてその後互いの周囲にどんな事が起こっても決して疑いもない強固な信頼関係で結ばれるのです、そういう強固な信頼関係が構築されている人が最低3人いればどんな業種でも如何なる難局をも乗り越え存続できると確信しています。
人材とは能力の優劣ではありません、信頼できる人が最も重要な人材なのです、一度も成功したことが無い人とは相互信頼関係という重要性に何らの価値をも見出せない人なのだと思います。
ビジネスとは仕事ではありません、ましては作業や業務でもありません、ビジネスとは「商い」なのです、つまりは一連の行動の結果において最終的に利益を生んで初めてビジネスとして評価されるのです、名刺を山ほど持って人脈の多さを誇る人、思考方法や営業手法を学び多くの知識をひけらかす人、私は「それが何?」と疑問を持ちます。
ビジネス感覚に長けている人は「持っている人脈や知識を最終的にお金に変えることができる人」なのです、人脈の多さや知識(技術)の多さは利益を生まなくてはビジネスにおいては何の価値もありません、人脈を多く持てばビジネスが成功するのであれば誰だって異業種交流会にせっせと出かけては名刺交換しています、でもそんな行動は知りえた人を活かせなければ時間とお金の無駄にしかなりません。
知識もそうです、本を沢山読んでいろんな人の話を聞いて解ったつもりでも経験してそれを活かすことができなければ単なる「情報オタク」に過ぎません、起業したての起業家に多いのですが毎日忙しくいろんな人に会って歩きながらも携帯片手にメールしたり電話したり常に動き回る人がいます、もしかしてそれをビジネスそのものと勘違いしているのではないでしょうか。
確かにそのような行動も利益を得るための重要な活動の一つですが、それはビジネスとは異なるワーキングに過ぎないのです、少なくても自分を忙しくすることであたかも上手くビジネスをしているかのように自分自身を慰めているとしたら何時かは借金の山に慌てることになります。
ビジネスとは何でしょう、少なくても経営者ならビジネスの基本を正確に理解して行動していただきたいと思います、利益を得なければ事業推進どころか生活すらままならなくなることを再度意識していただきたいのです、そしてビジネスが上手くいっているとしたら経営陣は時間を持て余すほどに暇なのです。
起きてから寝るまで365日休まず精を出して頑張っても結果がどう出るのかは別問題です、ビジネスとは本当に厳しいものです、ところでビジネスでの結果という事項ですがこれを正確に理解できていないと上記のような理不尽なことが多々起きてきます。
一言で言うと「ビジネスとは価値を売る行為」と言っても過言ではありません、その人の存在価値を他者に評価されなければどんなに時間をかけようがそれは意味の無い行動であり結果も当然伴わないのです、これはサービス業だけではなく商品販売でも同じことです。
クライアントがお金を払うのはその人の労働に対してではなくて結果における価値に対してなのです、ここを勘違いしてはいけません、極端な例を言うと1年間頑張って描いた絵や書いた小説、それだけで他者に評価されて買ってもらえますか?
ビジネスとはどれほど頑張ったかとか自分の努力や気持ちがどれほどのものかなど正直まったく関係ありません、他者がそれに価値を見いだせるかが最も重要なのです、同じように一生懸命頑張って提案書を作り必死で説明しても相手がそれに価値を見いだせなければ発注されることはないのです。
ビジネスはすべてが相手次第です、自身の頑張りや満足度などは価値の無いエゴでしかありません、数分で描いた絵、別の仕事の合間に適当に描いた小説、妄想をまとめた提案書、そんないい加減に思えるものでも他者から見れば感動し最大限の評価を得るなんてことは珍しいことではありません、そしてこれがビジネスという世界の真実なのです。
思い入れや頑張りではなく結果において他者が価値を見いだせばお金を払ってくれる、これがビジネスの本質なのです、この根拠に同じ保険や金融商品でも何故売り手の人によって結果に雲泥の差が開いてしまうのでしょうか、成績の上位者は共通して「自分を買ってもらっている」と言います、これこそがビジネスの本質なのだと思います。
あなたはクライアントの顔を思い浮かべながら、そしてクライアントの気持ちを考えながらビジネスしていますか、極論を言えば自身の価値判断など自己満足に過ぎずビジネスするならきっぱりと捨てた方が良いです、重要なのは相手の評価だけです、これといった成果が出ていないのであれば必死に頑張って成果を上げることです、そうでなければ成果を上げるという感覚が身につかないからです、必要なのはお金を払ってくれるクライアントに喜んでもらいたいという気持ちだけです、それが価値を見いだせるかという結果に繋がってくるのです。
来た仕事を流れ作業のように終わらせることを最優先してやっている、自分は頑張っているんだと周囲の目ばかりを気にしている、そんな印象を受ける人をしばしば見受けることがあります、正直言うと心が凍りつきます、その人から人間らしい暖かさや他者に対する思いやりを一切感じることはありません、だからどんなにやってる感を出しても感動もしないし評価もしないのです、結局嫌みこそ言うが信頼することはありません。
ビジネスとは「誰が誰と何をする行為」なのでしょうか、今更ながら言わずもがなです、最後にビジネスと労働(ワーキング)の違いを正確に理解することです、多くの人はビジネスと労働を同じ次元で捉えています、ビジネスは労働ではありません、ビジネスはどれほどその作業を行ったかでは決して評価されることはありません、ビジネスはあくまでも価値評価です、しかしその領域に到達するまでは多くの労働を経験しなければならないのです。
毎年のように終戦記念日を前後して日本と近隣諸国との間では複数同時多発的に各種の緊張が走ります、以前からこういう局面では必ず日本国民は政府の弱腰政策を嘆きます、しかし本当に日本の政府は後手後手で弱腰なのでしょうか?
例えば日本という国家を企業に例えると私個人的には極めて判断と行動が正しいと手放しで評価しています、それは何かと言えば、最も評価できない行動が「挑発に乗って感情的な行動を起こす」ということです、次に評価できないのが「何も言わない」ことです、その視点で観ると日本政府は冷静に世界に対して自国の正当性を表明し相手国には一貫とした態度を示しています、しかも挑発に乗った安易な行動は一切行っていません。
この意思表明と反撃を行わないという点で最も適切な判断と行動をとっていると評価できるのです、感情に任せた行動はどの場合でもその時はすっきりして良いかも知れませんが最も不幸な状況になります、そして犠牲になるのは常に国民なのです。
意思の表明と共にしばらく何もしない、つまり「無策の策」が最も相手にとってはボディブローのように時間が経てば経つほどに強烈に効いてきます、報復策として最良なのは厳しい経済制裁や世界世論を味方につけて何をするか予知できない状況を作り出すことです、行動を起こせば相手に手の内を見せることになり効果は限定的で酷い場合はゼロになります。
意思を伝えたら何もしない、これほど相手に強烈な処置はないのです、相手はある程度の結論が出るまでの長い時間をずっと自身の行動や言動を意識していなくてはなりません、そして何かを行う度に後悔の念が襲ってきます、弱腰政策と言われている日本の官僚政治は過去の実績を含めると極めて適切に戦略を練られていると言えます。
ストレートパンチには肩透かしで、怯んだすきにボディブローを複数回連発させる、こんな冷静なる対応はなかなか普通は執れるものではありません、日本の政策は弱腰どころか柳腰というのが正しいのかもしれません、柳はしなやかながら切ろうとしても力が流れて切れず武器に使えば強い鞭のようにも使えるのです、柳腰戦略は見事な大人の対応です、そして効果は絶大且つ確実なのです。