2024年6月28日 07:00
会話における共通する申し合わせ事項、つまり会話のベースが双方で共有されていないと話しが噛み合わない、もしくは大きな勘違いや思い違いでトラブルになったりします、例えば一方が経営者としての立場をベースに話しをしているとします、しかし片方が人間としての生き方をベースに話しを聞いたとしたらどうなるでしょうか?
経営者の立場というのは生き方のうちの限られた時空間での各論ということになり総論ではありません、したがって例外も有れば時と場合によっては生き方とは真逆の理論も展開されることは多々あります、それが「ビジネスライク」な思考という曲者なのです。
しかし生き方というのはビジネスやプライベートは関係なく人としてどう生きるべきかの話しであり生き方としての総論ということになります、片方が各論を展開しもう片方が総論として聞いていては総論として聞く方は全面否定されるという結果も生まれてもおかしくはありません、特に女性の場合はビジネスも含めて生き方の一つと考える人が極めて多いので経営者としての考え方の話しだと限定して話しをしても途中で生き方と重なり感情的になる人も少なくありません。
この会話のベースをコンテクスト(共有事項)と言いますがコンテクストの相違は会話でも勿論ですが特にブログやSNSなどで特に起きやすくなります、なぜなら情報は発信者からの「一方的な私的情報」だからです、読み手は書き手がどの立場で書いている記事なのかを見誤ると書き手の伝えたい事が全く別の方向で伝わってしまいます。
特に私の記事は結構こういう誤解を生みやすいのかもしれません、常に経営者という立場の各論での思考や行動がベースにありますが時として人生そのものの総論での幸福感ということにも触れているからです、ただできるだけ解りやすくする目的でビジネスと人生という2つを分けるために各カテゴリには解りやすいカテゴリ名を付けるように工夫しています。
読む人によっては自身の生き方を全面否定されたなどと思う人もいるかもしれませんが、生き方そのものはその人の自由であってどの立場の人も他者の人生に何かを言う資格はないでしょう、各論では経営者としてビジネスや関連する人間関係を考えた場合に「こうあるべきだ」という経営者の立場での限られた空間における思考や行動を語っているに過ぎません。
家に帰って何をしようが、休みの日に何をしようが、それは経営者の立場ではなくて一人の個人としての自由空間です、経営者であろうがなかろうが個人としての過ごし方は自由でありどんな立場の人にもそれを指摘する権利も意味もありません、問題はプライベートは自由なのですがビジネスに持ち込むと話しは別になります、これが経営者としての各論での厳しい話しとなるのです。
少なくても私はクライアントの個人的な生活様式には興味はありません、ビジネスするうえで経営者としての立場での思考と行動に関して「モノ申す」を行っているに過ぎないのです、一貫としているのは経営者であるなら「ビジネスに私情を持ちこむな」、「ビジネス空間とプライベート空間での思考と行動をきっちり分けろ」ということだけです。
SNSもビジネスに使っているならプライベートを一切出さない、プライベートで使っているならビジネスに関する表示をしない、特に経営者はこのどちらかに限定することが好ましいと思うのです、私の場合は過去にSNSを行っていた時にはビジネスでもプライベートでもない中庸の「独り言」にあえて徹するようにしていました。
プライベートは勿論、ビジネス情報もSNSで表示するのは仕事柄好ましくないという結論に達したからです、ビジネスとプライベートをごちゃまぜにするから不要なトラブルが起きたり言われなくてもよい事を指摘され炎上するのです、つまりは全てが自身で作った原因の結果ということなのです、もっとも炎上することが好ましいと考える人には何も言う事はありません、その人とは住んでいるフィールドそのものが経営者という感覚もないだろうし生き方そのものが別次元だからです。
私は経営者という立場の人とは同じ感覚で接することにしていますが同じ次元に住んでいない人とは全てにおいて関わらないことにしています、関わったところで無益な争い事は生じても有益な事を生むことは何一つありません、これも私の不要な時間とエネルギーを使わないという他者との付き合い方の原則なのです。