2024年5月30日 00:00
伊勢正三の詞に思い巡らす。
「泳ぐ魚の群れに石を投げてみた、
逃げる魚達には何の罪が有るの」
時として人は誰かに石を投げたくなることもある。
ただ、ふと我に返って石を投げたい気持ちを抑える。
天が人間だけに与えた欲である「業(ごう)」は、
当たり前のように誰もが持っているもの。
しかし相手の立場や気持ちを考え、
家族や心を共にする仲間に係る迷惑を意識し、
踏みとどまるのが自律した大人というものだ。
不愉快なのはのんびり泳ぐ魚達の存在ではなく、
どうしようもない自分自身の心の置き場である。
石を投げてしまう者には、
石を投げられた者の気持ちは一生解らない。
石を投げられた者は、
石を投げた者のことを一生忘れることはない。
例え投げる者の気持ちを正確に理解できても、
「石を投げられた」という記憶は消えることはない。
幸福に包まれた時が双方に訪れたとしてもだ。
のんびりとした幸福なる老後を意識するようになったら、
他者の気持ちを素直に聞ける「耳順」の心を持つことだ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。