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オーディオ界には、昔から名機と呼ばれる製品があります。
しかし、その明確な定義というのは存在していません、オーディオ評論家やオーディオマニアなど多くの人から絶賛された製品が後に名機と謳われるのです。
その意味でアンプの名機の多くはその時代を代表するような傑作品で、価格・音質・スペックとどれをとっても優れた製品を称え名機と呼ばれます。
その意味からして高級なハイエンド製品は全て名機かというとそうでもありません、何故なら価格が高くて音質が良いのは当たり前だからです。
手頃な価格でありながらハイエンド製品に劣らぬ音質で大ヒットを飛ばし、且つ後続機を出しながらシリーズ化されロングセラーを続けたミドルクラスの製品に付けられる傾向があります。
サンスイであればAU-α607であり上位機種のAU-α907ではありません、ソニーであればTA-F333であり上位機種のTA-F555ではないのです。
私もこういったミドルクラスでありながら、上位機種やハイエンド製品と同じ回路を使った定格出力だけのダウンサイジング版など、音質・音色は同じで価格だけが手ごろ感のあるアンプを高く評価し購入する傾向にあります。
また、後に系譜を辿るとその製品が実は名機であることが解ると後追いで優良中古を求めることもあります。
70年代のヤマハのCA-2000が絶大な評価を得た後、その系譜の発祥であるCA-1000が製造中止になっていたにも関らず人気を博して中古価格が上がり初め慌てて購入したこともあります。
こういった製品は、歴史的な価値と製品そのものの音質的価値が評価され後に名機と謳われるのです。
名機と謳われるアンプにはそれなりの意味と理由が存在しています、持つ喜び以上にこういった名機は何年経っても音質の古さを感じさせません。
名機とは名機と呼ばれる根拠がしっかり在ります、ストックラックに収まっていても名機に相応しいオーラを何時までも放っているのです。
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ラックスマンの祖業は錦水堂額縁店のラジオ事業でした、当時錦水堂が発刊した「ラヂオブック」は多くの電子工作マニアを釘付けにした電子工作の神本でした。
これをきっかけにして、多くの電子工作雑誌が発行されるようになったのです。
ちなみに昭和初期の頃は「ラジオ」ではなく「ラヂオ」と記述していました、面白いですね。
日本の電気工学ものづくりに大いに貢献した1冊、どれほどの価値が有るか解りません。
私が電気工学に目覚めたのは中学2年生くらいの頃です、いろんな物を雑誌を見ながら作りましたが、大作は真空管5本を使ったラジオ(五球スーパーヘテロダイン)です。
生まれて初めてのハンダ付け、祖父に教えてもらいながら半日かかりましたが、音が出た時には嬉しかったですね。
この真空管ラジオ、まだ実家に残っています。
実家から真空管アンプや大型スピーカーを持ってくる時に、一緒に持ってくる計画です。
そんな電子工学少年の育成に貢献した「ラヂオブック」、その頃の雑誌に表紙だけ載っていた記憶があり、50数年経った今ネットで探したらなんと書籍の全てが公開されていたのです、なんという善き時代になったのでしょう。
真空管アンプの基本がここに在ります。
錦水堂ラヂオブック 出筆者:早川迭雄(ラックスマン創業者)
https://ay-denshi.com/download/radiobook_1.pdf
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この数年来は週一程度でスタッフとオーディオラボで家飲みしています、この家飲みですが皆さんじっと落ち着いて飲まないのです。
その理由は、今まで聴いたことのない音質に驚いてスピーカーの近くに寄って聴いたり離れてみたりと何やら興味津々で落ち着かない様子です。
そしてサックスやドラムのソロパートになると、その場で演奏してるかのようなリアルな音に反応して「はっ」とした顔をします、その表情を見ては私も愉しく飲んでいます。
先日ボーカルのリファレンスソースで使っている尾崎豊のアルバムを聴かせてあげたら、「尾崎の声ってこんなにも高かくて澄んでいたんですね」と聴き入っていました。
ボーカルの余韻やエコー領域は14Khz以上の高音域が綺麗に出ていないと澄んだボイスになりません、またウッドベースの余韻は逆に60Hz以下の低音域が綺麗に出ていないと響きません。
まあ、こういった反応をする人は確実に将来オーディオマニアになって行きます、イタリアンレストランのスタッフは昨年私の秘贓品をお店にセットアップしてから完全にオーディオの虜になってしまって、店をオープンする前と閉めた後で一人でジャズを聴いては愉しんでいるといいます。
そんなスタッフ全員にマイオーディオを選定してあげてそれぞれがマイオーディオで愉しんでいます、それぞれの趣向や生活環境を考えて組み合わせを選定する、これもまたオーディオ道楽の愉しみです。
エントリークラスとはいえ、将来スピーカーをグレードアップするだけで音質が何段階も上がるような組み合わせをそれぞれに考えました、少なくても5年は愉しんでもらえるでしょう。
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自身のオーディオコレクションを記録管理する目的で年代別に価格と共にリストアップしているのですが、ここで面白い事実が見えてきました。
それは、70年代から80年代のアンプではサンスイが圧倒的に数が多いということです、またスピーカーではダイヤトーンです。
そして、90年以降になるとデノンやオンキョーの製品群が数を増やしていきます、どの年代にもリストに乗っているブランドがヤマハ・ソニー・ケンウッド(トリオ)でした。
これって、オーディオの歴史とオーディオメーカーの黄金時代そのものを素直に反映しているということが解ったのです。
つまり、私も素直にオーディオの時代における変化をそのままに受け入れていることということです。
時代が変わっても頑なに一環として自身の考えを通す人もいれば、私のように時代の変化に順応して自身を変えていく人もいるのです。
どちらにしても、どっちつかずの中途半端に時代に翻弄される人よりも良いかと思うのです。
それにしても、見事なまでに時代を反映しているコレクションデータに流石の私も驚きました。
今回の手持ち製品の発売時期や価格を改めて調べ直していくうちにいろいろなことが解ってきました、コレクションとはただ集めるだけではなく歴史やその周辺の状況などを学べます、これがコレクションギークの一つの愉しみなのです。
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オーディオ製品の原点は何処に在るのだろうか、いったい何から進化して今のオーディオの仕組みが作られてきたのだろうか、そんなことを徒然なるままに考えていました。
スピーカーの原点はやはり楽器だと思うのです、太鼓や琴に似た楽器は古くから世界中に存在しています。
この原理は、弦や皮など振動する物とその振動を共鳴させて音を大きくする構造をしています。
現在のスピーカーの原理は太鼓の音を出す原理そのものです、太鼓を電気信号によって鳴らしていると考えてもよいほど似ています、またホーン型ツイーターやスコーカーの原理はサックスやトランペットそのものです。
電気信号を増幅させるアンプの原点は間違いなくラジオでしょう、ラジオは搬送波という高周波に音声信号を乗せて空中に電磁波として飛ばし、その電磁波を受信して音声信号だけを取り出して増幅させスピーカーから音を出す仕組みからなっています。
このうち音声信号を増幅させる部分をアンプとして進化させてきたのです、そして高音質に再生させる増幅回路が多くの技術者によって考えられ世に出ては評価されてハイファイオーディオというカテゴリがうまれるようになりました。
どんなものにも原点があります、世に存在する家電製品もその原点を探ると見えなかった価値が見えてきます。
その電気製品にどんな価値を見いだせるか、それはその生まれてきた原点を訪ねてみることです。
自身が解らないという人がいます、ではその人に尋ねます、何故自分がこの世に生れて来たのかを考えたことがありますか?
自身が解らないという人ほど、何気なく日々を過ごしているだけのつまらない人生を送っている人だと思うのです。
真剣に自分が生まれてきた使命を考えることです、使命が見つかれば自身が解らないなどという愚問など一切出てこないと思います、なぜなら使命を全うすることに日々忙しいからです。
使命に気付いた人は、他者の目やどうでもよい情報に翻弄されることもなく日々自分の使命に従ってひた走るだけなのですから。
この世に存在する全てのものには意味と理由があるのです、勿論どんな人にもです、ただそれに気付いてもらえるかどうかの問題です。
それに気付き価値を最大限に引き出してくれる人と出会えるか否か、出会ったら頑なな自尊心を捨て最後まで信じて付いていけるか否か、成功する人としない人の差がこれなのです。