
ちょっと元気が欲しい時には昔から美味しいものを食べて美味しいお酒を飲む、これが私流の一つのリフレッシュするためのカンフル剤でした。
それに似た感覚を感じることに良い音質で好きなジャズを聴くということがあります、こういった時に「愉音」とか「音の愉悦」などという言葉が脳裏に浮かぶのです。
音が精神に及ぼす影響などは昔から研究されていますが、そういった難しい学問的な話しは置いておいて、ストレスが解消し自身が元気になれることを見つけて何時でも実践できる環境を持つということが重要だと思うのです。
何時もじっくり聞くのが50年代のハードバップなどのモダンジャスですが、面白いことに元気が欲しい時のジャンルはロックに近いフュージョンなのです。
休日のお昼ごろからビールを飲みながら愉音で楽しむフュージョンは至福のひと時です、こんな時は誰にも邪魔されたくありません、なので携帯電話も電源を切ってしまいます。
またパソコンでブログを書いてもメールやスケジュールなどは一切見ません、せっかくのリフレッシュが台無しになりますから。
リフレッシュできて、明日のエネルギーを充電できるのならオーディオ道楽もまんざらではありません。
フォステクスのかんすぴキットの最上位機種の10CmフルレンジスピーカーユニットのP-1000Kを専用エンクロージャーのP-1000Eに取り付けてみましたので、今回はその音を聴いてみます。
フォステクス P-1000K+P-1000E

ずばり、音質は10Cmフルレンジということを抜きにしても悪くありません。
見た目こそユニットがむき出しの手作り感丸出しでとても高級感こそありませんが、音質は下手な小型スピーカーよりも正直鳴りが良いです。
低音域もそこそこ出るし、特に中高音域の張り出しが良いのでジャズやポップスを明るく軽快に聴かせてくれます。
豪快さは当然無理な期待なのですが、薄っぺらさはまったくなく意外と使える音質です。
サラウンド用のスピーカーなどとして考えるなら音色だけは合格点です、ただ実際のホームシアターで考えると定格入力が低くて話しになりません。
まして、ハイファイオーディオでメインではとても使えるような音質ではありません、価格からしてハイファイを求めるのは無理な注文なのですが。
そういう意味ではセットで2万円でも良い音質の小型ブックシェルフが沢山出ていますので、手作り感を得たい目的以外に購入する価値を見い出すことはできません。
それとやはり10Cm口径なので音圧が低いのに定格入力が20W台で、ちょっとボリュームを上げるとそれほど大きな音に感じないのにユニットが壊れんばかりの歪を発生させて音にならなくなります。
また、パワーを入れるとエンクロージャーの箱鳴りが酷くて実質的には5W程度が限界かもしれません。
小音量では元気に鳴ってくれるのですが、この程度の音量で限界だとベッドルームでのお休み用かPCオーディオでの使い方くらいしか思いつきません。
ただ、小音量だと今度は低音域が極端に弱くなり、確実にラウドネスをオンにしないと聴ける音にはなりません。
まあDIYとはとても言えたものではありませんが、若干なりとも手作り感を味わって小音量で楽しむ分には小型軽量で使いやすいかもしれません。

どんな事でも「無難な方法」と「ベストな方法」とが存在しているように、音にも「無難な音」と「ベストな音」が存在しています。
そもそも「無難」というのはノンリスクを指していて失敗しないことを言います、なので音に対しても悪くはないが優れているわけでもないということです。
だいたいが「無難」というのは褒めるところが無い場合に評論家やマニアが多用する表現です、対して「ベスト」というのはその人にとって最高の方法であり個性が表れるのも特徴です。
なので音に関して言えば、音質的には悪い音かもしれないがずっと聴いていたくなるような好みの音質であればその人にとってはそれがベストな音だということです。
ハイファイオーディオ道楽という愉しみは、無難な音を探すのではなく自分自身の納得がいくベストな音を追求する旅でもあります。
誰に何を言われようが自分が好んで聴いていたくなる音をアンプやスピーカーを変えては探し続ける、その道のりは極めて長く厳しいものがあります。
妥協しても後悔が大きい為に適当に妥協することもできません、例え道楽でも自身の考えに妥協する人はビジネスも含めてあらゆることに妥協してしまう人です。
妥協を許されない道のりだからこそ愉しいのです、愉しいと思えなくなったらいつでも止めたらいいのです、だって道楽だからです、そこがビジネスとの一番の違いです。
生業としてのビジネスでの愉しみと道楽の愉しみ、まったく次元の異なる愉しみがあるのです、これもまた人生の陰陽バランスというものなのです。
ラボ内のラックに並ぶ90年代のコレクションアンプです。
コレクションラックにずらりと並んだ90年代のビンテージアンプを見て思うのは、どれも実にエレガントだなということです。
90年代のプリメインアンプ
エレガントさを放つミドルクラスのアンプと、
ミニコンポ全盛時代を彷彿させるハイコンポアンプがずらり

80年代に一斉にブラックフェースで精悍になった各メーカーのアンプですが、90年代にはいると一転して大人しくなりエレガントさを放ちだします。
色はライトシルバーやシャンパンゴールドと明るくなり、デザインも華やかになります。
そして音質もバリバリ押し出してくるのではなく、ナチュラルで癖の無い良い子の音質に変わってきます。
80年代と大きく変わらないのはサンスイで、更にサンスイサウンドに磨きをかけてきたように感じます。
オンキョー・デノン・マランツは、ショールームでブラインドされるとほとんど同じような音色で、まったく区別が付かないほど惑わされた記憶があります。
ただ、全体的に音質そのものが相当向上しています。
周波数レンジは広く、シャープでレスポンスビリティも高く締まった音で個性的な音質はなく全帯域でステイディになった感があります。
逆説的な言い方をすると、90年代中盤以降のミドルクラスのアンプであれば、どのメーカーを買っても大きな外れは無いということです。
またエントリークラスのアンプの音質には驚きます、5万円以下のアンプが80年代に10万円以上したアンプよりもバランスが良く周波数レンジが広く感じるのですから。
更に90年代に入るとミニコンポ(ハイコンポ)がオーディオショップを占めるようになります。
そのミニコンポのアンプの音質は本当に個性が無いというか、みな口裏を合わせたように同じような音色なのです。
定格出力こそ低いのですが音質はバッチリで、90年代中盤以降のミニコンポ(ハイコンポ)の音質は本当に侮れません。
勿論、エントリークラスとミドルクラス、更にはハイエンドとなると音色もかなり違ってきますが、同じクラスではメーカー色が薄くなったなと感じる90年代のアンプです。
一般的には好ましい傾向だと思いますが、私にはまったくといって面白みが無いと感じてしまうのです。

私は何故かどんなものに対しても癖の強いものが好きなのです、例えばブルーチーズのような独特の香りの強いもの、またパクチーなどの癖が強いハーブ類などは大好きで好んで食べる方です。
逆にこういった独特の個性が強い味を受け付けない人はどういう味覚をしているのだろうかと疑問さえ覚えてしまうのです、ウイスキーもウイスキーの中でも最も癖が強いと言われるアイレイシングルモルト系が大好きでボウモアやカリラなどは超が付くほど大好きです。
味や香りだけではなく音も同じで、何か目に見えない癖の強い存在を凄く意識してしまうのです。
オーディオの音色という意味では癖が強いと思うのががサンスイとラックスマンのアンプです、スピーカーではBOSEが筆頭です。
当然私の聴感覚をくすぐらないわけはなく、これらの音色は好きというよりもどうしても意識的に聴きたくなってしまうのです。
どうしてこういう音色を目指して設計したのだろう、この疑問にも似た感覚に浸るのが好きなのです。
これらの癖のあるアイテムを使って自分の好みの音色になる組み合わせを探るのが何とも言えない喜びがあります、逆に良い子の音色は確かに聴くに邪魔にはならないのですが面白みはまったく感じません。
ワーキングBGMなどでの聴き流し用のセットに何とか使っても、おそらく一生メインシステムでは使わないでしょう。
良い意味でも悪い意味でも癖が強い、この指向は物だけではなく人間に対してもその傾向が強く出ている気がします。
癖が強い=個性が強い、私にとっては興味の対象であって無視できない存在なのでしょう。
普通の人はこういう存在は面倒くさいと感じるでしょう、私は人が敬遠するような面倒くさいことがきっと好きなのかもしれません。