「たった数年でどうしてこんな顔に?」、そんな人がSNSには本当にたくさん存在しています。
ほんの数年前までは表情も発するオーラもキラキラしていて話す言葉も表示する文章もあんなに前向きで輝いていたのに、明らかに当時の面影が無い今の自分が何故解らないのでしょうか?
私には解ります、その人のSNSで表示している裏側に何があるのかを。
高校野球の球児はよく見ればみんな違う顔です、でもある意味では同じステージに存在している顔をしています、だからちょっと見は皆同じ顔に見えます。
でも歳を取るとどうしてこんなにも個性豊かな顔になるのでしょう、男性は40歳前後で女性は35歳前後辺りから人生の裏表が顔に素直に出てくる気がします。
どんなに言葉を選ぼうがどんなに言葉で飾ろうがそれを隠すことはできません、生き様や心は正直に顔付きや表情に表像化してきます。
一卵性双生児の姉妹揃って100歳を迎えて有名になった「金さん銀さん」ですが若い頃の写真では違いが解らないほどよく似ています、でも100歳では全く別人の顔をしています。
結婚して別々の人生を歩み、生活環境や食べ物の違いで同じDNAでも別人のように体型や顔が変わるという大きな根拠です。
これはゲノムの研究でも近年になり証明されました、同じDNAでも後天的因子の影響で細胞そのものの質が異なり骨格が変わり筋肉の付き方によって体型や顔の作りが大きく変わってしまうのです。
特に精神的な事象によって体型や顔の作り、そして表情が大きく変わる事が研究でも解明されています、太りやすい・痩せやすい・顔の表情(筋肉の構造)・皮膚の状態、実はこれらの遺伝子は存在していないのです、ゲノム研究で確認されたのは基本的な骨格構成と代謝機能だけです。
つまりこれは何を示しているのかと言うと、先述の生活環境と食事の内容によって全く同じDNAでも体型や顔が短時間に変化してしまうことが根拠有る事実として証明できてしまうのです、どんなに言葉で飾ろうが顔付きや表情に現れ誤魔化すことはできないのです。
特に女性は自身の年齢による肌や体型の衰えを気にしています、でも一定の経験値を持つ男性はそんなところに全く女性としての魅力を感じていません。
求めているのは女性としての心身トータルでの「品格」だけです、だから見た目は美しいかもしれないが心が貧相な女性には「女性の本物の品格」が解らない貧相な男性が寄っていくだけです。
実は簡単な「需要と供給のバランス」というロジック、「類は友を呼ぶ」という自然の摂理そのものなのです。
行きつけの小料理屋でのこと、誰ともなく「不景気になるとそれまで見向きもされなかった男性までもモテるようになる」という話になりました、それを聞いていた私はあくまでも私見としてこんな話をしました。
「景気の良い時には女性が各所で活躍できるケースが多くなり結婚よりも仕事を優先する女性が多くなる、逆に不景気だと男性でさえも職を失う時代になるので女性は更に厳しくなり仕事よりも安定した生活を確保する方に気持ちが動く、したがって不景気になると結婚願望の女性が多くなるのでどんな男性でもモテるようになるのでは?」と、みんな確かに一理あるという反応を示しましたが付け加えてこうも言いました。
「でも不景気だと男性がモテても男性も経済的に厳しくなるので女性もそれを確認して結婚まで踏み切れなくなる、結果として女性の自立心が好景気時代以上に芽生え結果男女ともにチグハグな不幸な状況が今なのでは」と。
この数年間で婚活関連企業は旺盛を極めています、その陰で何度お見合いしても相手が見つからずに精神病にまでなる男性が激増しているといいます。
結婚願望の女性が増える一方で男性の経済基盤も揺らいでおり、経済的な問題で結婚までたどり着くケースは激減しているといいます。
2極分化の時代の中で各所でこうしたチグハグな状況が生まれていることは確かです、例えば就職問題では大手企業の求人倍率よりも中小企業の方が4倍もあります、しかしみんなが大手を希望するために大卒者の就職率は過去最低水準になっています、その裏で居酒屋チェーンやコンビニチェーンでは人手不足から閉店する店も多くなってきています。
結婚問題にせよ就職活動にせよ、視点を変える必要があるのではないかと思わざるを得ません。
周囲の状況を見るのではなく、自分の考えに素直になれば視野も広がるような気がします。
そして誰でもが利益を享受できた平和な時代と違って今は淘汰の時代、常識的な今までの価値観で人や事象を見ないほうがよいと思います。
今が良くても明日は解りません、同様に今悪くても明日は解りません、少なくても表面的な事項にとらわれずに何事も本質を見極めることが肝要です。
例えば言葉、人によって凄く心に響く言葉と響かない言葉があります。
例えば文章、人によって凄く心に響く文章と響かない文章があります。
この差は何でしょう?
おそらく、心に素直に気持ちや経験を表現しているか否かの差ではないかと思うのです。
人から借りた言葉を幾ら綺麗に並べても伝わらない、むしろ偽りだと何処かで解ってしまいます。
心に響く文章は文字の一つ一つにその人の存在感がほとばしります、思ったことをただ書きなぐっただけの単純な文章にもかかわらず。
そういえば、人と話しているとその人の家庭での姿や将来の姿が見えてくるときがあります、まるでテレビドラマでも見ているかのように鮮明な映像として浮かんできます。
とても不思議です、そして後から真相が解るのですがそれがいつもズバリと当るので自分でも怖い時があります。
言葉は嘘をつきません、例え良いことを話していてもつい使ってしまうその人の心から発する違和感を感じる言葉、そして話す調子や顔の表情に時系列的な矛盾などが見え隠れします。
人の話は五感プラス心で素直に聞くことです、文章は五感プラス心で素直に読むことです、どんな人でも見えないものが見えてくる瞬間が必ずあるのです。
どんな人でも物事や人を評価するときには必ず何らかの基準があります、どのような場合もまず「他人のものさし」を使う人はいません、多くは「自分のものさし」を使うのが普通だと思います。
「自分のものさし」とはその人が生まれてこれまでに経験してきたものを学習した結果であると考えられます、その内容によって大きく2つの要素があります。
一つは「フィルター」で色眼鏡や偏光レンズと言えば判りやすいと思います、つまりその人の経験によって良し悪しの偏見が生じていて、透明で見るのでなくその人なりの色を添加したり歪めて見てしまうというものです。
もう一つは「バイアス」で「底上げ容器」(上げ底)を思い浮かべると解りやすいかもしれません、つまり自分の都合のよいように対象の事項や人のレベルを上げたり下げたりするのです。
ここで最も重要な結論を述べます、この2つの「フィルター」と「バイアス」はその人の無意識の領域で行っているものですから当然他者には解るはずもありません。
自分が他者にどう評価されているか、自分の成果や思いとは別に良いと思った行いが最悪の評価に、逆に怒られると思った行為が褒められることもあります。
自分をどう見られているか、どう評価されているか、推察したり悩む前に自分を評価する人はどのような素質を持っているかと把握することが肝要ではないでしょうか。
これが完璧に把握するまで、無防備にも自分の全てを曝け出すのは余りにも危険な行為と言わざるを得ません。
思いのほか悪い評価を貰った場合の多くは相手が悪いのではありません、相手を理解できなかった自分が悪いのです。
最後にもう一つ重要な事を述べます、前述したように他者を評価する時に「自分のものさし=器量」を使います。
そこで気をつけなくてはいけない点があります、それは他者を評価するときには自分も同時に別の他者に評価されているということです、つまり評価する「ものさし=器量」が周囲に丸見えになるということです。
結論、「自分に自信がなければ他者を評価すべきではない」、「他者を評価する行為は自身を他者に評価される瞬間」だと意識することが肝要だということです。
スポーツの面白さは競技そのものや結果も勿論なのですが、その裏に在る人間ドラマが実にいろいろなことを教えてくれます、一番は「同じ失敗でも意味が全く違う」ということです、
例えばメダルを狙ってミスを極力少なくする為にリスクの多い技から確実な技に代え無難に纏めようとして逆にミスを連発するベテラン選手、対して慣れない大舞台で自分の全てを披露しようと果敢に前人未到のオリジナルな技を繰り出して大きなミスをしてしまう若手選手。
前者の顔は沈み後者の顔は舌を出して苦笑い、私は当然後者の選手に拍手を送りたいし果敢な姿勢に感動すら覚えます。
格闘技では手堅く済まそうとする気持ちは確実に「守り」の姿勢になります、それでメダルを取れるならまだ良いのですがガードする一方で警告を喰らって結局負けてしまう選手もいます。
それよりも元気一杯に攻めの姿勢ではつらつとした動きに歓声が上がります、例え負けても拍手喝采です、どちらが勝者かも判らないくらいです。
正々堂々とした姿、はつらつと競技を楽しむ姿、例えメダルが取れなくても確実にファンは増えます、その支援者に支えられ次のチャンスにはきっと大きな結果も出るでしょう。
結果的にメダル以上の「大切なもの」を手に入れられるのです、同様に人生は失敗の連続」です、しかし同じ失敗でも次に繋がる失敗は清々しいのです。
「潔い失敗」は支援者が自然に集い、それはある意味の「人生の成功者」でもあるのです。
「大輪の花の種」をすべての人は持って生まれてきます、でもその存在を忘れてしまったり欲望によって別の何かと交換してしまったり育て方を間違えて腐らせてしまう人がいます、悲しきかなこれが現実なのです。
まだ自分は大輪の花の種を持っていると信じているなら、上手に育てる方法を知っている人に早期に出会い徹底的に学びとることです。