世の中いろんな人がいます、個性豊かな人はそれもまたプライベートでは大変楽しいことなのですが、どんなに一つの個性だとはいっても絶対許すことができないということがビジネスの世界では多々あるのも事実です。
例えば「天然」と呼ばれる人がいます、何時も他者への気遣いができなかったり大事なことをすぐ忘れてしまったり不要な一言を言っては場を壊すなどお世辞にも世渡り上手とは言えない人です。
普段はこんな人でもいざという時には人が変わったかのように納期は守る、頼まれ事でのミスは皆無、例えミスしても責任をもって収拾する、ここぞの時は自分を殺して大人しくしている、こんな人なら「天然」で普段はボケまくっていても大いに信頼されること間違いなしです。
日ごろのボケ振りなどは、逆に飲みの席では話題を盛り上げてくれることにも繋がります。
逆に他者から恨まれる「天然」の人もいます、それは他者に結果的に迷惑をかけたうえで責任放棄する人です。
本人はその気が無いのかも知れませせん、しかしビジネスとは全てが結果責任なのです。
特に、一旦交わした約束を守らず途中放棄で一緒にやっている人に迷惑をかける、またその結果においてもリカバリーするどころか他者事のように誤魔化しては済し崩し的に逃げてしまう、言わなくていいことを言っては逆恨みを買う、不要な言動や行動で結果的に他者から恨まれてしまいます。
同じ天然でも本物の天然と天然を言い訳に使う似非天然とは大違いです、本来天然の人は持ち前の鈍感力で場を和ませるものです、だから多少のボケは他者から恨まれないのです。
そして、重要なのはどんな結果であっても責任をもって行動してくれたと周囲が評価してくれるかどうかです、どんなに自分では責任を取ろうと思っていても関係ありません、それを身勝手なご都合主義と言うのです。
ビジネスの世界では、結果においての無責任な行動はどんなことでも決して許されるものではありません。
天然だろうがストイックだろうが事無かれ主義だろうが、そんな個性などはどうでもよいのです、全人類が全部違う個性を持っているのですから自分が特別な個性的な人などと思っても通用するわけがないのです。
ビジネスに重要なのは個性を如何に押し殺して責任ある行動を心がけ、一旦事が起きたときに結果責任を果たしたかどうかだけです。
個性云々で責任回避などできるはずもありません、それなら法など無きも等しくなります。
そして、個性やそれに伴うパフォーマンスを打ち出しているうちは本物のプロではありません。
そもそも何の取り得もない人のことを「個性的な人」と世間では称するのですから、少なくても自ら都合のよい「個性」を作りだして更に輪をかけてそれをベースにパフォーマンスしている行為は観る人が観れば何とも哀れで滑稽に映ります。
どんな人であろうが何をやっている人であろうが、ビジネスの世界に身を置くのであればプロとして自身のビジネスに真摯に向き合い正道を歩むことが肝要です。
そもそも、自身のビジネスに真摯に取り組まない人はその自身のビジネスに対して敬意を表してないし冒涜してます、冒涜者がそのビジネスで成功することは有り得ないし天が許しません。
ビジネス人生40年以上になりますが、無責任で社会通念の無い人だけはいまだに許容する気持ちにはなれないし一切関わりたくもありません、できれば見える範囲に居てほしくないというのが正直な気持ちです。
そこにどんな理由も感情もありません、ただただ人として認めたくはないのです、ビジネスの世界には年齢も性別も個性も関係ありません、あるのは自身の行動の結果だけです。
個性を打ち出す以外に誇る物が無く気楽にただ生活できればよいと本当に思うのであれば、法人経営者などさっさと辞めてもっと気楽な立場で自由に生きれば良いのです。
常に言葉だけで理想やビジョンを示すのではなく、実際に行動に移し言葉に出したことを結果で示してほしい、それが自分の発言に責任を持つということです、それならビジネス世界の厳しさを問われることも今よりはだいぶ少なくなると思います。
何時の時代もどんな事でも中途半端が一番説得力がありません、ビジネスの世界で法人経営者として厳しく真摯に生きるのか、それともフリーランスで個性を売りにして自由に生きるのか?
この狭間に居る人は今の時代には何と多いことか、幸か不幸か私の若い頃は嫌でも仕方なくサラリーマンを続けるか大金を貯めて人を集めて一念発起で独立するか、この二者択一しか無かったのです。
1円で起業できる時代が到来して久しいですが、約10年続いた一匹オオカミが繁栄した時代が終焉し今後あっという間に世の中の価値観とトレンドが一変します。
今、個性を打ち出しパフォーマンスに始終している多くの人が職を失う時代はすぐそこまで来ています。