2022年7月14日 08:00
どんな人でも物事や人を評価するときには必ず何らかの基準があります、どのような場合もまず「他人のものさし」を使う人はいません、多くは「自分のものさし」を使うのが普通だと思います。
「自分のものさし」とはその人が生まれてこれまでに経験してきたものを学習した結果であると考えられます、その内容によって大きく2つの要素があります。
一つは「フィルター」で色眼鏡や偏光レンズと言えば判りやすいと思います、つまりその人の経験によって良し悪しの偏見が生じていて、透明で見るのでなくその人なりの色を添加したり歪めて見てしまうというものです。
もう一つは「バイアス」で「底上げ容器」(上げ底)を思い浮かべると解りやすいかもしれません、つまり自分の都合のよいように対象の事項や人のレベルを上げたり下げたりするのです。
ここで最も重要な結論を述べます、この2つの「フィルター」と「バイアス」はその人の無意識の領域で行っているものですから当然他者には解るはずもありません。
自分が他者にどう評価されているか、自分の成果や思いとは別に良いと思った行いが最悪の評価に、逆に怒られると思った行為が褒められることもあります。
自分をどう見られているか、どう評価されているか、推察したり悩む前に自分を評価する人はどのような素質を持っているかと把握することが肝要ではないでしょうか。
これが完璧に把握するまで、無防備にも自分の全てを曝け出すのは余りにも危険な行為と言わざるを得ません。
思いのほか悪い評価を貰った場合の多くは相手が悪いのではありません、相手を理解できなかった自分が悪いのです。
最後にもう一つ重要な事を述べます、前述したように他者を評価する時に「自分のものさし=器量」を使います。
そこで気をつけなくてはいけない点があります、それは他者を評価するときには自分も同時に別の他者に評価されているということです、つまり評価する「ものさし=器量」が周囲に丸見えになるということです。
結論、「自分に自信がなければ他者を評価すべきではない」、「他者を評価する行為は自身を他者に評価される瞬間」だと意識することが肝要だということです。