「受け入れる」と「諦める」を混同している人がいます、「受け入れる」とは前向きな発想のうえで正確に現状を把握することを指します。
つまり精神的には強く臨む姿勢がベースになっているのです、しかし状況を自覚していながら放置しているのは「受け入れ」ているのではなく「諦め」ているのです。
その事項に関して諦めているのを都合良く「受け入れている」と言っている時点で改善することなど何一つありません、精神的に戦うことから逃れているからです。
ビジネスもプライベートも自身を脅かすリスクや不安と戦うことを諦めた人はエネルギー感を感じ取れません、つまり精気が無いという状態です。
どんな行動も言動も「心ここに在らず」という言葉がぴったりで、その人からは一環とした未来ビジョンや臨む姿勢が見えてきません。
これがエネルギー感が感じられないという受け取り方を周囲にさせてしまいます、どんな人もエネルギー感を感じられない人と組もうとは思いません、だから常に誰かといても孤独感に襲われてしまうのです。
経営もプライベートも臨むことを忘れてはいけません、臨む人は常に発想が前向きで自身のペースでどんどん新しき事にチャレンジします。
本当に幸せになりたいのであれば常に臨む姿勢を一貫として継続的に出し続けることです、そんな人には自然と前向きな人が集まります、だから成功するのです、成功の裏に他者の協力や支援は不可欠な必須事項です。
人が寄ってこない人を観察すると解ります、何事も自分中心で他者の話しを聞いてもそれを否定するかのように一切実行しようとはせず、妙なプライドをかざしては「自分は特別」だと思い込んでは自分の思考と行動パターンを変えることをしません。
ただ面白いなと感じるのは、何故いつまでも上手くいかない方法を継続しようとするのかということです。
生き方や方法が間違っているから上手くいかないという現実が存在するのですから、潔くプライドを捨てて思考も行動パターンも上手くいっている人を参考にして変えればいいのにと思うのです。
それすらもしないでケージの中の車輪を回し続けるモルモットのように同じことを繰り返しています、「非生産的」もしくは「非建設的」とはこういう事実を指していうのです。
「10年後の自分の姿を想像できるか?」、正直私は数年前まではこれだという姿がはっきり見えませんでした。
私の場合は、やりたい事がたくさん有りすぎて自分自身の中で絞り込むことはできなかったのだと思います。
もう一つの理由は大手企業の傘下から離れる際の約束によって本来の生業であるIT事業を10年間封印されました、仮の姿のままで経済基盤を構築することに必死で先の事など考えることもできなかったのです。
でも今ははっきり想像できます、やっと残りの人生の設計図が完成したと思います。
成功したいと思うのであれば人生もビジネスも道楽も生涯続けていこうと思うことを明確にイメージできることが重要です、ただし具体的にイメージできなければ誰に何と言われようが無理にイメージする必要もないと思います。
やりたい事をやりたい時にどんどんやってみて、いろいろな経験を積むことも最終的な自身の未来ビジョンの構築に繋がると思います。
20歳代や30歳代の若い人で「自分の未来ビジョンがはっきり見える」と言う人は、もしかして経験不足が原因で自分の使命や個性がまだ理解できていないのかもしれません、最終的な未来ビジョンは相応の各種の経験を通してようやく見えてくるものです。
ビジョンが見えないからといって焦る必要もありません、我武者羅に何かを続けていれば必要な時にちゃんと天はビジョンを明確に示してくれるからです。
それが一つの「天の時」です、それが自然に降りてくるまでは与えられた環境で与えられた事項を拒まずどんな事でも経験を積んでいくことです、天は意味の無い試練を与えることはありません。
経営人生約40年で何人の経営者と会ってきたのだろうか、そんな経営者を改めて考えるに企業規模の大小や職種に限らずビジネスが上手くいっている人と上手くいってない人とが奇麗に二極分化されているのは興味深い事実です。
当然、上手くいっている人は上場や更なるステージに上がるための前向きな話しが多く、上手くいってない人は縮小や事業撤退など後ろ向きな話しになります。
ビジネス上手はみなコピーしたかのような思考と行動パターンを持ち、上手くいかない人もまたコピーしたかのような思考と行動パターンを持っていることに気付かされます。
上手くいく人の共通事項は話し方が極めて上手いという点です、これは流暢に話すということではなく最後まで他者の話しを聞き的確な質問をピンスポットでタイミング良くしてくるということです。
つまり会話に一切の無駄が無く短時間で複数件の決定事項が生まれます、つまりビジネスも流れるようにスピーディに且つリズムカルに進むのです。
対して上手くいかない人は何時間話しても内容さえ正確に掴めず決定事項は何一つ出てきません、したがって何時まで経っても状況は改善するどころか悪化してきます。
また他者の話しは聞かずに自身の要求したい事だけを一方的に話し、同じミスを何度も何度も繰り返します。
もう一つの共通事項としては基本思考というかビジネスマインドにあります、上手くいっている人は参加者全員の利益分配を念頭に置いたビジネス思考を持っています、決して自己利益だけを優先するようなことは一切しません。
また結果においては全てが自己責任という観点ができているので自身の行動の結果を潔く受け入れます、間違っても世の中や他者のせいにはしません。
そして何よりも発想が常に前向きでエネルギッシュであり表情が明るいのです、だから逆にこちらも元気が出てきて効果的な提案を惜しむことなくしたくなります。
上手くいかない人は全てが逆で、自己利益や細かなお金の出入りに固執し上手くいかない事を他者や景気の責任にすり替えます。
「原因と結果」、私はよくこの言葉をよく使います、結果の善し悪しは過去の原因に起因しそれなりの結果が後に表面化しているに過ぎません、原因とは生まれてこの瞬間まで自身が選んで進んだ選択とその過程での思考と行動そのものなのです。
何事においても自身の気持ちや考えを理解してもらうことだけを欲求せずに、まずは相手を正確に理解しようとする努力と姿勢が重要だと思います。
自身が思うように生きたいのであれば、これは最低限の必須事項です、誰もみな一人では生きられません、他者を正確に理解しようとしない人に自身のことを優先して理解してもらえるわけがありません。
全てが上手くいかないのはこれまでの選択と行動という原因に在り、至極当然に現在結果が必然的に起きているだけのことなのです、これが理解できない人は改善を試みたとしても上手くいかないのは至極当然のことです。
経営状況は決算書に見事に反映されます、そしてその人の思考が見事に経営に反映されます、つまり経営者の思考がそのままその会社の数字として表れるのです。
利益とは売り上げから全経費を差し引いた残りであり、赤字になるのは経費が多いからではなく売り上げが少ないからに他なりません、経費とは売り上げを上げるための必要コストであり売り上げ原資(原価)でもあるのです。
経営計画とは家計簿とはまったく逆の別の次元に存在しています、これが多くの経営者が混同し正確に理解していないのには驚かされます。
家計とは一定の入金を前提にして何に幾ら使えるかという減算方式によるものです、経営とは計画の売り上げを上げるためには幾らの原資が必要になるかという加算方式による計画が肝要なのです。
「売り上げがないから経費を抑える」、このような主婦感覚での後ろ向き思考は更に経営を悪化させます。
ただし、売り上げを上げる為の積極的な施策をしながらのコスト削減を思考する経営改善計画にはこれは該当しません、意味の無い無駄な経費を抑えることは経営上極めて重要な事項です。
先の家計簿感覚では、売り上げるための必要原資を抑えるのですから売り上げ増なども期待できるはずもないという極めて単純な発想から起こる思考です。
前向きな人は積極的に売り上げを上げるための雇用増強や投資を行います、つまり瞬間的には大赤字になるのは当たり前なのです。
結果的に一時的な経費は増えても有効な施策を打ち出せ、あっという間に利益体質を作り上げていきます。
当社には昔から何人もの顧問がいます、そして何も利益に繋がらなくても報酬を払います、その理由は顧問はいざという時の保険であり取引先と良好なる信頼関係を維持するためと思考しているからです。
何もない平和なときは1年以上相談することもありません、でも有事のときには何でも相談できる頼りになる存在であればそれでよいのです、この存在が有るからこそ思い切った経営活動を安心して行えるのです。
その安心感によって年間1000万円の利益が生まれれば決して高い投資ではないと思います、「信頼と安心には惜しまずお金を使うこと」を明確に理解でき行動できる経営者が本物の経営者だと思います。
必要経費さえも惜しんで、結果不安を抱えながらの経営では誰が考えてもその会社の未来は既に見えています。
世の中には物事の本質を知らないが為に起こる「偏見」というものがあります、自分が経営をしているせいか特に事業家や経営者に対する偏見には見過ごせないものも多々あります。
中でも気になるのが、社員として雇われている人に多い「社長は怒られたことがないから怒られる人の気持ちが解らない」、「社長は他者の意見を聞かない」というものです、世の経営者を代弁すればこれらは「大いなる偏見」です。
まず「怒られたことがない」ですが実際は毎日何度となく怒られっぱなしです、特に第3者から出資を得ている企業の経営者は出資者などからホームページの内容に始まり当然のように営業成績や社員の行動に関することまで電話やメールで厳しい意見が寄せられます。
また、取引先からも同様にクレームがきます、担当者レベルでは納得がいかない場合には最終的に「社長に代われ」ということになります。
自社の社長が怒られたところを見たことがない社員は勘違いしているかもしれませんが、見えないところで社長は毎日怒られているのです。
また「人の意見を聞かない」というのは経営防衛上のことです、先述の様に出資者・銀行・取引先・社員とそれぞれの立場によるそれぞれの意見を全部聞いて実践していたら企業が持ちません、経営など全くできなくなります。
基本方針に合うのか、今計画中の事業に合うのか、会社の実態と計画に照らし合わせて意見を精査する必要があります。
「せっかく良い意見を言っているのに・・・」と言う人に言わせていただきます、それは「あなたにとって都合の良い意見」もしくは「あたなにとって理想とする意見」なのではないでしょうか?
もしも、それでも黙って採用してくれるとしたら今度はあなたがその意見を実践した結果に対してしっかりと責任を取らなければなりません、常識のある人なら当然判りますよね?
その意見を取り入れる為に相応の経済対価(開発費・人件費・時間)が使われるのです、それがどんな意見であってもです。
偏見があるのは致し方ないです、それは立場が違うが為の本質を知らないということですから、そしてそれは物事にはそれなりの理由があって今が存在しているということを理解できていないという証でもあるのです。
視野が狭いと見えているものだけに捉われます、世の中見えているものだけが全てではありません、見えないところに焦点を合わせられる人が次代を創造していくのです。
経営者は社員の意見や姿勢から逆に社員の人となりを冷静に観察しなければなりません、どんな社員が企業を成長させ安定経営を齎すのか、経営者の最大の業務は人事なのです。