2021年8月26日 08:00
「受け入れる」と「諦める」、これをよく混同している人がいます。
「受け入れる」とは、前向きな発想のうえで正確に現状を把握することを指します。
つまり精神的には、それに対して強く臨む姿勢がベースになっているのです。
しかし、どのような状況であるか自覚していながら放置しているのは、「受け入れ」ているのではなく「諦め」ているだけの話しです。
その事項に関して諦めているのを都合良く「受け入れている」と言っている時点で改善することなど何一つありません、精神的に戦うことから逃れているからです。
ビジネスもプライベートも自身を脅かすリスクや不安と戦うことを諦めた人はエネルギー感を感じ取れません、つまり精気が無いという状態です。
どんな行動も言動も「心ここに在らず」という言葉がぴったりで、その人からは一環とした未来ビジョンや臨む姿勢が見えてこないのです。
これが、エネルギー感が感じられないという受け取り方を周囲にさせてしまいます。
どんな人もエネルギー感を感じられない人と組もうとは思いません、だから常に誰かといても孤独感に襲われてしまうのです。
経営もプライベートも臨むことを忘れてはいけません、臨む人は常に発想が前向きで自身のペースでどんどん新しき事にチャレンジします。
本当に幸せになりたいのであれば、常に何かに対して臨む姿勢を一貫として継続的に出し続けることです。
そんな人には自然と前向きな人が集まります、だから成功するのです、成功の裏に他者の協力や支援は不可欠な必須事項なのです。
人が寄ってこない人を観察すると解ります、何事も自分中心で他者の話しを聞いてもそれを否定するかのように一切実行しようとはせず、妙なプライドをかざしては「自分は特別」だと思い込んでは自分の思考と行動パターンを変えることをしません。
ただ面白いなと感じるのは、何故いつまでも上手くいかない方法を継続しようとするのかということです。
生き方や方法が間違っているから上手くいかないという現実が存在するのですから、潔くプライドを捨てて思考も行動パターンも上手くいっている人を参考にして変えればいいのにと思うのです、それすらもしないでケージの中の車輪を回し続けるモルモットのように同じことを繰り返しています。
「非生産的」、もしくは「非建設的」とはこういう事実を指していうのです。