孤軍奮闘の起業家に多く見られるサービス名称で、「絶対に上手くいかないだろうな」と思う名称があります。
私が絶対にサービス名として使わない方が良いと思う単語の一つに、「プロデュース」というのがあります。
何故かと言えば、これを見た瞬間に半数以上の人から「上から目線」という印象を持たれてしまうからです。
多くの場合、この言葉に引き寄せられるのはビジネスの右も左も解らない人たちです。
この何も解らないターゲットを意図しての名称であるなら自信の無さを表示しているようなものです、つまり知らずのうちに自分自身を逆ブランディングしていることにもなります。
そのターゲットの多くは当然上手くいってないわけで考えた以上にお金は貰えません、したがってこれもまた「上手くいかないだろうな」に繋がります。
本当に「プロデュース」という言葉を理解していて、かつ指導力に自信が有るのであれば使う必要も意味もありません。
経験豊富な人が使うならまだしも、実践経験がほとんどない人が使うのは危険すら感じます。
「プロデュース」は一つのコンサルティングです、コンサルティングの基本姿勢は「クライアントと同じ目線で共同作業する事」が本来の役割です、したがって「上から目線」的な言葉を使うことはタブーなのです。
これといった実績も無い人が「プロデュース」という言葉を使い、自分よりもはるかに経験豊富な人が申し込んできたらどうするのでしょう?
おそらくサービスを開始するや否や、「詐欺だ!返金だ!」と訴えられる可能性を否定できません。
必要に迫られ、「プロデュース」をサービス名に使うのであれば充分にリスクヘッジを施したうえで使うことをお奨めします。
そして、漫画やドラマで流行った言葉や手法を使う意識の低さは解る人には解ってしまいます。
起業して経営者だと言うのであれば、言葉の使い方や身の振舞いをもう少し考えてほしいと思うばかりです。
アメリカや中国の強さの秘密は内需です。
自国で生産して自国で消費する、一つの国の中で経済循環を興せています、これだけで一つの大きな経済が成り立ちます。
特に中国の人口は世界全体の20%であり、ある意味では脅威です。
日本は精密機械や自動車を生産して海外に売る、その代償として他国の農産物などを買わされています。
ローカルをもっと見て考えることが必要です、食料自給率も飼料や肥料を国産にすれば一気に跳ね上がるのです。
田畑を遊ばせていれば国から補助金が出る、何かおかしいシステムだと思います。
企業も同じように、自社の周りに経済循環を起こすことに注力すれば自然な形で成長していけるようになるのです。
どんなビジネスも自ら周辺に経済循環を興す仕組みを構築すること、これが自然にお金が回り経済渦が発生する秘策です。
そのお金の回転によって起こる吸引力に引き寄せられて、自発経済渦の外部から更なるお金が入ってくるのです。
経済も自然の摂理と何も変わりません、何故なら自然の中で生きている人間の成すことなのですから。
何事もお金を回すことを優先して意識すること、例え小額でも決して一方通行で終わらせてはいけません、一方通行では単なる消費で終わり自身の周囲に経済循環は起きないのです。
では、本当に消費するものを購入する場合はどうするか?
起業とは、法人という別人格を個人に加えて新たに持つことです、少なくても法人経営者は法人代表と個人という2つの人格を得ているのです。
これにパートナーの法人を加えて3者で回してから消費する、たったこれだけでも経済循環が起こります。
ここで利益は問題ではありません、お金の流れで経済渦を作り出すことが重要なのです、これを常に自然に発想できる思考を持つ人が経済的に成功するだけの話しなのです。
昔から、経営の現場で例えに出てくる言葉に「茹蛙(ゆでがえる」というのがあります。
この「茹蛙」と言う例えは、カエルをいきなりお湯に投げ込むと熱さでとっさに水上ジャンプし何事も無く済みます。
しかし、これが水だと心地良いのかそのまま水中に留まります。
そこで徐々に水の温度を上げて行くと生命に危険を及ぼす温度になっても飛び出さないばかりか、そのまま水中に留まり続けついには茹で上がってしまうという現象からきています。
この茹蛙の状況はビジネスの現場では日常的に見られる光景であり、特に働き盛りと言われる30代~50代は要注意です。
社会への慣れ、人間関係への慣れ、業務の慣れ、そしてこれらがビジネス思考に麻痺状態を引き起こすのです。
経営者ですと、会社や事業が危機的状況であってもそれが日常的になると感覚が麻痺してしまいます。
他者から見ると極めて危険な状況なのに、その会社の経営陣も社員も危機感がまったく無く普通に過ごしていることには驚かされます。
ある日突然、現在の状況になれば誰でもが気が付き改善できます。
徐々に状況が悪化していく場合は殆どの人が気が付かず、最悪の場合は気が付いたら倒産していたという事態になってしまうのです。
茹蛙はビジネスだけではありません、人生においてあらゆる場面に起こりえます。
人の愛情も近すぎて見えないときがあります、何事も今の状況を冷静に考えて感謝すべき人に感謝し関わらなくてよい人とは奇麗に別れる、何事もメリハリを持って対応することです。
「1年も同じことを繰り返すばかりで低位でもがいている」、こんな人は間違いなく茹蛙症候群に陥っています。
先ずは正確に自身と自身が置かれている状況を把握し受け入れること、その後に自身の方法の何が間違っているのかを冷静に思考し、そして是正することが肝要です。
茹蛙症候群は何かおかしいと思いながらも正確に把握することを恐れ、それまでの自身の思考や行動を正しいと信じて変えない人が陥りやすいです。
先ずは「自身の思考と方法はそもそも間違っている」、「自分は思っていたほど器用でもなく有能でもない」、この大きな気付きと深い反省がなければ学び直して自身を変えることは不可能です。
本人は変えているつもりでも周囲から見れば何も変わってないのです、このギャップがいつまでも続くからすれ違いは修正するどころかどんどん乖離して行くのです。
自身が築き上げてきた思考を一旦ゼロにする、思考領域が空いたところで再構築する、私が行き詰った時によく用いる思考リセットです、参考までに。
猛暑や厳寒など異常気象に襲われる年があります。
これらの予想の根拠は、エルニーニョ現象やラニーニャ現象が関係していると言われています。
さて、ここで「エルニーニョ現象」や「ラニーニャ現象」とは何なのでしょうか。
言葉の意味は、スペイン語でそれぞれ「男の子」と「女の子」を指しています。
誰が命名したのかは解りませんが、ペルー沖の海水温が他の地域の海水温よりも高くなる現象を「エルニーニョ現象」と呼び、逆に低くなる現象を「ラニーニャ現象」と呼んでいます。
「陰陽」で、地球環境の現象名を対にしているのを知ったら私的に見逃せません。
人間の行動だけでなく自然環境のすべてが原因があっての結果が現れるのです、ちなみに結果から原因を探るのは調査や研究といい、原因から結果を探るのが予測や予報といいます。
猛暑であるならそれなりに、冷夏であってもそれなりに、経営者ならビジネスに猛暑も冷夏も関係なく素直に対応していくしかありません。
最も気温によりビジネスの振れが大きくなるのが家電業界です、猛暑予測が出るとエアコンの売り切れが続出します、そして食品業界にもかなりの影響が出ます。
事前の対応も然りですが、家電業界と食品業界は予想外れによって過去に大損害を何度も出してきています。
情報に流されずに、どのような状況を迎えても対応可能なように事前にあらゆる方面の準備をしておくことが重要なのです。
そして勝者とはどのような事象が現れようが、それに瞬時に完璧に対応すべく事前準備が行える人ということです。
異常気象などを結果の言い訳にしている人は、いくら頑張ろうが思い通りの成果は何時まで経っても得られないでしょう。
異常気象や予測不能な自然災害、そして社会現象にウイルスパンデミックなどの事態さえも味方につけて素早く対応し軌道修正する、そんな人が何をやっても上手くいく勝者となれるのです。
事態に慌てることなく素直に受け入れて最善の対応策を瞬時に練り実行する、こういうときこそ経験と経営手腕の差が出るのです。
事業において、売り上げに直結するような契約できたときは確かに嬉しいし達成感もあるのは正直な気持ちでしょう。
でも、経験上で言わせてもらうと一つの契約によって思わぬ悪しき展開になることもあるのです。
水を差すわけではないのですが、これから話す事をしっかりと頭に入れておいてほしいと思います。
ズバリ「ビジネスは蓋を開けてみないと解らない」、この一言です。
その契約によって急成長するときもあれば、逆に赤字を垂れ流しても止めるに止められないときもあるのです。
更にはそのたった一つの契約という存在によって大きく信用も信頼も失うこともあります、これは誰とどのような契約をしたかということが大きな理由になります。
契約は一つのスタートするきっかけに過ぎません、当然契約によって成功が保障されるわけでもありません、当事者同士が上手くビジネスを行い互いに利益(経済的だけではない)を生むことに契約の意義があるのです。
逆に、一旦関係がこじれると契約書が悪魔のように効力を発揮してきます、最悪のケースでは法的手段の争点のベースとなります。
つまり何事も結果次第です、契約はその後に互いに良い関係が築けるのであれば内容はどんなものでも良いのです、つまり契約したら結果を残すことに専念しなければならないのです。
たかが契約、されど契約なのです。
起業家は起業する前の契約といえば賃貸契約や携帯電話の契約くらいで、ビジネスの契約に関しては未知の世界です。
かといってビジネスの契約に神経質になることはありません、住居の賃貸契約と同じで平和に暮らしていれば何の問題も発生しません、つまり関係が上手くいっているときには契約しているという意識は互いに無いものとなるのです。
話しがそれますが、契約書を交わすことはありませんが人間関係も同じことが言えます。
付き合い始めたときにはその先がどうなるかは誰にも解りません、ビジネスを通しての人との出会いであっても有益なビジネスには至らないかもしれません。
ただ、それ以上に有益な関係を築けるときもあります、どんな関係にせよ上手くいっていれば何のトラブルも発生しません、むしろ片方のトラブル回避に互いが協力し合えます。
プライベートで出会ってもビジネス契約以上の信頼で結ばれることもあります、縁とはまことに不思議なものなのです。