2024年1月26日 00:00
いつの頃からだろうか人は思った事を素直に言えなくなってきます、子供の頃はみんな自分の気持ちに正直だったはずです、それがいつしか親や友達に気を遣うようになり自分と相手とのパワーバランスを意識して思ったことを素直に口にできなくなってきます。
でもこれが本来の大人の正常なる姿であり言いたいことをある程度の歳になっても言うのは大人ではないと思うのです、ただ更に歳を重ねて還暦を過ぎる辺りから再度思ったことを素直に言えるようになってきます、まさに「子供還り」ということかもしれません。
思うに一番素直に言えない年代が社会人として一人前になった頃から「子供還り」の直前までの年代なのではないかと思います、年齢的には30歳ごろから還暦手前までの30年間ほどで最も脂が乗って仕事をバリバリこなすこの期間は異常なくらいに他者の動向と反応を気にします。
そして自身の気持ちをオブラートに包んでは相手に気遣いする振りをします、「振り」とあえて言うのは本心からではなく共感からの気遣いだからです、自然に出てくる本物の気遣いとはさりげなく見えないところで相手を思いやってのフォローやバックアップを自然に行う行為です。
見え透いた気遣いは受ける方も気持ちが悪くて仕方ありません、そういった相手の気持ちを余所に自分の「気遣いできる人」アピールが激しいのもこの年代の人の特徴なのかもしれません、そういう意味でもこの時期は最も自分が自分らしく振舞えない年代だと思います。
私もこの時期には何度も経験しています、意識しなくてもよい事まで意識しては本音が素直に口から出てこないのです、好き・嫌い・やる・やらない・ありがとう・すみません、最初に脳裏に浮かんだ真の気持ち、つまりファーストインスピレーションを無視してその場での本心の回答を保留してしまうのです。
もしくはファーストインスピレーションとは逆の言葉が思わず口から出てしまうのです、保留やセカンドインスピレーションで回答した時点で面白いように相手には心の中が解ってしまいます、だから相手も解っていながらも歩調を合わせる為に自分の本意とは違う方向へ状況が流れていくのです、結果的に自分の思ったような状況には決してならないのです。
この回答を保留したりセカンドインスピレーションで回答する原因は自分の素直な気持ちを経験不足や自己優先だと思われることが恥ずかしいというプライドがあるからです、その矛先が「相手の好意を疑心暗鬼に捉えてしまう」という逃げに入ります、そして自身を擁護し危険的状況を回避するというズルい結論を出すのです。
この行為は脳の潜在的な自己防衛本能という仕組みにあり決して病気なのではありません、ただし素直に言えないという問題の本質は自分自身の心の置き場に在って相手の問題ではないことを理解すべきです、ここが人間らしいと言えばそうなのですが多くの人はある年齢になるとどのような問題が起きても原因を解っていながら自身ではなく他者や世の中のせいだとすり替えてしまうズルさを身につけてきます。
結果的に自身をも信用できなくなり相手も同様だと考え今度は相手を信用できないという不信感の負の連鎖に入り込んでしまうのです、多くの気持ちのすれ違いの原因は自分自身に在るのです、だから私はよく「自分自身と真摯に向き合え」と言うのです。
どんなに歳を取ろうが経験不足やパワーバランスの問題は一生付きまといます、経験していない事は何歳になっても理解できないのは当たり前ですし何歳になっても各種の立場が上の人は存在します、それが人間関係というものですから正常に生きていくためには当たり前な事項なのです。
この年代を前向きに楽に過ごす方法は何かと言えば一つしかありません、それは最初に浮かんだ感情に素直に従うことです、妙なプライドや羞恥心を捨ててファーストインスピレーションの赴くままに自身の気持ちを素直に出して生きることです、これが「心を開く」という本質です。
嬉しいときには「嬉しいです」と素直に言い、困ったときには「助けて下さい」と素直に口にすることが肝要です、そして相手の好意や思いやりを感じたら心から「ありがとうございます」の気持ちと言葉が肝要です、それからです自身の考えや気持ちを伝えるのは。
極めてシンプルな姿勢であり振舞いです、でも何故か難しく考えて余計な事をしたり言わなくていいことを言ってしまう稚拙さはそれこそまさに経験不足からくる弱さや未熟さというものです。
是非ファーストインスピレーションで生きてみてください、その瞬間は怒られることも嫌われることも勿論あります、でもそれは一時的なものであり継続する事項ではありませんし恨まれることもないでしょう、相手にはしっかりと自分の意思と気持ちが伝わり本当に自身が望む方向と状況に徐々に向かい始めます。
どの道還暦過ぎたら意味のないプライドや羞恥心なんて見事に消えていくのです、そして記憶力も衰え無意味だった人や腹立たしかった人の記憶までが日々どんどん失われていきます、日々の楽しみは朝の目覚めと共に脳裏に浮かぶ「今日のお昼は何を食べようかな」ということくらいです。
世間でいう「ボケる」とはこういうことかもしれません、まさに家の事情を余所に何の憂いも無く過ごせた子供の頃に戻るのです、どの年代でも上手く生きる知識も経験もなかった子供の頃のように自分の気持ちに素直に毎日を愉しく過ごしながら楽に生きたらいいのではないかと思うのです。