2022年4月26日 00:00
某国の大統領の言動を見て同国の政治評論家が自身のコラムで面白い表現で酷評しました、その酷評の概要とは「独りよがりの発言や施策の多くは一人で食事をして野党の意見を聞こうとしない。野党の多くは知性を疑っているようであるが、彼に足りないのは知性ではなく徳なのだ」というものです。
徳というのは経験を積むことによる人間力そのものです、したがって自然に人が寄ってきて有益な人脈を持っている人を「人徳が有る」というのです。
政治家も経営者も、この「徳が有るか否か」でその人の評価がが決まってしまうような気がします、その意味でなるほど上手い表現を使うものだと感心しきりです。
どんな世界においても周囲に人が寄ってくる人は何かを持っているのです、人は利益にならないと思えば寄っていきません、逆に常に孤独でいる人は何かが足りないのです、同じように人は利益にならず面倒なだけの人には寄っていくことはありません。
面白いことに本当に一人になりたいと考えている人ほど人が寄っていき、寂しがり屋で一人では耐えられないという人ほど人が寄っていかないのです、これは解る人には解るように依存や何かを欲するエネルギーはマイナスエネルギーなのです、マイナスエネルギーに惹きつけられる人はマイナスエネルギーの人だけです。
マイナスエネルギーが合わされば更にマイナスエネルギーが増長され、プラスエネルギーさえも吹き飛んでしまいます、それほどマイナスエネルギーは強力なのです。
そして何事も一人で必死に頑張ったところで上手くいくはずはありません、何故なら何をしようにも相手がいることなのですから、一人では政治は動かず経済を回すこともできません、また徳がない人は必ずといって自尊心だけは誰よりも高いのです、これも一つのマイナスエネルギーなのです。
マイナスかプラスかという表現はエネルギーの向きなのです、自身に向いているのはマイナスで他者に向いているのがプラスであることは説明しなくても解るでしょう。
マイナスエネルギーの人はお金が無くて困っていると相談に来るのですが、こちらが提案したことは無視して世間体などを気にしてはお金にならない道を選択するのです。
お金が必要ならまずはある時期だけ限定しても何をしてもお金を最優先で作らなければいけないのです、そこに好き嫌いも体裁もプライドも感情さえも不要です、他者のアドバイスを無視して自分勝手なことをしておいて、それでいて約束も守らず他者に無心する、これって生き方そのものが大きく間違っています。
また悪いことや過ちも自ら解っているのに謝ることをしません、これがまだ一般の人ならいいのですが経営者であれば看過できないものとなります、オーバーな話ではなく国や企業のあっという間の没落は一人のリーダーの徳の有無で決まってしまうものなのです。
理不尽なようですが世の中とはそんなものだと思うしかないニュースが昨今多くなりました、成り金社長のSNSへの一言で顧客離れが止まらなくなり株価暴落で窮地に落ちる、外交先の挨拶で同盟国から孤立する、この数年間はそんなニュースが多くなりました。
私は思うのですが、こういう時こそ世の中の不整脈的な動きを余所に自身の周囲に盤石な体制を築き上げことが肝要だと思うのです。