2022年2月18日 00:00
「覚悟」という言葉は意外と人はよく使うわりには曖昧な言葉のような気がします、辞書によれば「危険な事や不利な事でも逃げずに受け入れる心構えをすること」と示されています。
孔子は「覚悟とは人として正しい道を選び歩むこと」と深いところで弟子に示しています、どのような解釈も人それぞれでいいと思うのですが重要なのはそれを言葉ではなく姿勢で示すことではないかと思うのです。
少なくても自己満足を優先し自身の擁護に使うべき言葉ではないと思います、覚悟が有るのか無いか、それは口で説明することではなくて姿勢や結果で示すものです、そして覚悟の程は簡単に見破られます、その人の心に在る本質を見極めれば手に取るように解るからです。
経済的なことで寄ってきた人は経済的に満足しなければ去り、知識や知恵を得たいと寄ってきた人は何も教えなければ去っていきます、孔子はこうして自身の愛弟子の人定めをしたのだと思います、そうでなければ「正しい道を選び歩むこと」という言葉の真意が理解できません。
私にも日々いろいろな人が寄ってきては短期間で去っていきます、私は最低でも3年間は覚悟の程を知るまでは一方的に与えることはしないようにしているのですから当然かもしれません、以前は先に与えることをしてその人となりを見極めていましたが時間がかかりすぎてしまいます。
何も与えなくても自身で何かを得ようと努力する人は何も与えられなくてもいつまでも去ろうとはしません、そして自身の努力でいろいろな事をどんな時もどんなことからも自ら学び取って行きます、それが本物の弟子になった者の覚悟だと思います。
成功者と呼ばれ経済的に余裕が欲しいなら仲間うちで協力し合い努力しあって築くものです、自らは何も他者に与えずに他者の成果のおこぼれをもらうだけならそれはただのパラサイトにすぎません、自ら何の努力もしない、学ぼうという覚悟もない、そして自らリスクも背負わない、自分と家族の安全地帯を確保しておきながら与えられるのをただ待つだけ、それではあまりにも都合良すぎるというものです。
覚悟は生き方や姿勢にしっかり現れるものだと思う昨今、視力はどんどん衰えてきますが心眼は歳を増すごとにくっきりと見えるようになってきます。