2022年8月11日 00:00
私が二十歳ごろだったか父が厚さ10センチもあろうかという一枚板の大きなどっしりとした寄木の応接テーブルを特注しました、そのテーブルが家に届けられリビングに設置されたときたまたま私は夏休みで実家にいました。
タバコを吸いながらテレビを観ていたのですがテレビに集中しタバコがテーブルに転がったのに気がつきませんでした、そして大きな焦げ痕をつけてしまったのです、そう父がまだ一度も見ていないうちにです、まず母が気がつき動揺しました「お父さん、なんて言うかな?」と青ざめた顔で言います。
そして父が帰宅で緊張の報告、しかし父は見るなり「おお、いい景色だな!」と言うのです、父はその後すぐそのテーブルに合うガラスの敷物を作らせテーブルに敷きました、そして私の作った焦げ痕は修理されることなくそのまま永久保存されることになったのです。
父はそのときこう言いました、「わざとやったのなら許さない、そうじゃないならそれは自然だ、このテーブルは完成したときにそういう運命にあったのだから景色として楽しめばよい」、この言葉はいまだに頭から離れません。
そして、どんなに大切なものであっても不可抗力によってできた傷やシミはすべて自然であり運命だったと思うようにして受け入れられるようになりました、形あるものはいつかは壊れるのです、それが早いのか遅いのかということだけなのです、それであればできてしまった傷やシミは自然の景色として楽しめばストレスを抱えることなく笑っていられます。
今も愛用している軽くてお気に入りのラムの皮ジャン、背中や袖には愛猫の引っかき傷や小さな噛み穴が無数にあります、でも私はこの傷だらけのジャンパーが大好きでいまだに愛用しています、父から教えてもらった記憶はほとんどありません、でもこの教えはその後の私の物事の考え方に大きく影響したのです。
さてこのテーブルですが理想郷完成時までには実家に置いてあるオーディオ器材やレコードと共に持ってこようと目論んでいます、それを見ては心穏やかに暮らしたいと思うのです、また同じ時期に父が特注した長野県の名木であるヒノキの一枚もので創作された宮大工職人が手作りしたという重厚な家具が幾つもあります、これらも全て持ってきましょう。