この春ごろから少しづつ地方オフィスに物を移動し始めています、マキシマリストの私は昔からとにかく多くの物に囲まれています、現在では東京に4ヶ所、地方オフィス、実家と都合6ヶ所に道楽及び道楽ビジネス用の道具類とコレクションの数々を分散させて保管しています。
東京ラボができるまでは2ヶ所のトランクルームと自宅で保管していましたので限られたスペースしかなく購入を抑えていたのですが、現在では各地にスペースが存在するので遠慮なしに未来に必要な道具類やコレクターズアイテムを購入しまくっています。
地方オフィスの物件は二世帯住居という大きな物件を購入した一番の理由もこれに当たります、まずは数ヶ所に分散させているコレクション物だけでも1ヶ所に集めようと思っています、何故なら整理が不完全で自身で何を持っているのかを分類できていないからです。
特にジャズのCDやレコードも分散保管されているためにカテゴリ別やアーティスト別の分類が常に中途半端になってしまっています、そんなことでジャズブログも未だに記事が整理の途中で公開されることなく放置されてしまっています、どこかでそんなストレスが溜まっていたのかこのところは俄然コレクション物の整理に燃えています。
最近では地方オフィスに行くたびにワゴン車いっぱいに私物をラボや自宅から移動させています、それにしてもかなりの荷物を移動したと思っているのですが、出るは出るはどこにこんなに置いてあったのかという物が次々と現れてきます、トランクルームって上から下まできっちりと隙間無く入るので出すとすごい量になるのです、そんなこんなでいつまで荷物移動が続くのでしょう、何とかラボの保管物だけでも今年中には片付けたいと思う昨今。
極寒地で生まれ育った人は身体が耐寒モードに切り替わるスイッチが付いていることを自覚しています、私も信州の中でも極寒地と言われる中心部で育ったので耐寒モードスイッチが勿論付いています、この耐寒モードスイッチというのはある時期になると突然身体の冷感覚が鈍くなり寒さに極端に強くなる身体に切り替わるというものです。
ところが大学時代に東京に住むようになってから徐々に真冬でも耐寒モードスイッチが作動しなくなっていったのですがスキーに行ったり冬季にパリやモスクワに出張に行ったりすると突如耐寒モードに切り替わります、一旦切り替わると春になるまで戻らないので東京の冬が暑く感じて過ごしずらかった年もありました。
寒い冬を無難に乗り切れる身体の耐寒モードですが若干の注意点があります、一つはモードチェンジ後の数日間は異常に睡眠時間が長くなるということ、また甘いものを欲するようになるということです。
また一度モードチェンジすると春まで切り替わらないので他者と快適な温度が大幅に異なり暖房が息苦しくなったり更にはオーバーな話がちょっとした掃除などの動作でも大汗をかいてしまうということです。
そんな私ですが昨年同様に今年も既にモードチェンジが完了したようです、やはり昨年も今年も地方拠点でマイナス気温を体感し忘れかけていた耐寒モードスイッチが作動してしまったようです。
高齢になると特に寒い冬は身体に厳しいといいます、それでも信州は男女ともに平均寿命が全国トップクラスなのはこういった身体の耐寒モード機能を獲得しているからなのではないかと思うのです、根拠は何もないのですが調査してみると意外や面白い結果が出るのではないかと思ったりしています。
昨今意識レベルを問われるケースが増えてきたように思います、昔は誰も同じような意識だった気がしますが意識レベルにも二極分化の波が押し寄せているように感じます、ちなみに私の世代は「三無主義世代」と呼ばれていました、この三無とは「無気力・無関心・無責任」を指し、押しなべてそれ以前の団塊世代に比べ意識レベルが低いと烙印を押されていたのです。
確かに意識レベルが高いと仕事もテキパキとこなし有益な人脈も形成しやすくなるのではないかとは思います、ただ私が厄介であまり関わり合いを持ちたくない人は「意識高い系」の人たちです、意識高い人と意識高い系の人はまったく次元が異なります、意識高い系というのは中身が伴わずに意識高い人の真似をしたり振りをする人たちを指します、私の観察では共通しているのが会話しているときの「なるほど」や「おっしゃる通り」という口癖です。
三無主義世代と言われて育った私ですが、この歳になって思うに意識高い系の人がどうも苦手になります、話をしていても自分や家族の自慢と他者から仕入れた表面だけの話ばかりで何か心がざわざわして穏やかな気持ちになれません、逆に意識高い人はしっかり私の表情や仕草で話を切り替えながら内容はほぼ完ぺきに理解しピンスポットの気遣いをしてくれるので気になりません。
もっとも意識高い人よりも本来は意識が高くどんな情報も正確に理解していながら意識低い人のように振舞える意識低い系(意識高い系と対峙する意味)の人の方が今では心が穏やかになるのを自覚できます、何でも話を合わせられる方が善いというわけではないのです、知らない振りも時と場合によっては有益な結果をもたらすことも多々あるものです、私の年代は特に自分が居心地よい人とだけ接していたいのです、そういう気持ちの変化もまた歳を取るということなのかもしれません。
私の友人知人の多くは既に還暦を超えています、一番年上は月に2度ほど飲み明かす元大企業の役員で85歳です、そんな友人知人と飲んでいると時々終活の話になります、そしてほぼ全員に共通している終活思考は「歳を重ねる毎に一つそして一つと身辺を片付けていくこと」だということです。
身辺の片付けとは例えば一緒にいても時間だけが過ぎていくだけでマイナスになってもプラスにはならない人とか、いつまでも気にしなくてはいけない物事を解消することです、そして自身の健康状態と真摯に向き合い淡々とした日々を暮らすことに集中することが価値あるセカンドライフというものだと思います、50歳を超えたら是非とも老後の人生設計と終活を意識したほうがよろしいかと思います。
私もこの10年の間に自身の利益だけを優先するお願いごとばかりで私には何のメリットにも喜びにもならない人とは距離を置くようになりました、きっとそのような人は誰からも距離を置かれ気が付けば寂しい老後生活を送るのではないかと思います、そんな寂しい老後を迎えて初めて今までの振る舞いを悔いるかもしれませんが時既に遅しだと思います。
また法人個人の債権債務整理も数年前には全て完了して綺麗になりました、身辺を綺麗にすると本当に流れが整うようになり心がざわつかずに穏やかに日々を過ごせるようになります、穏やかな心には穏やかな心の人が寄ってきます、だから益々穏やかな暮らしになっていきます。
そういえば先日の参院議員選挙を前後してテレビやSNSで還暦超えたいい歳した人達が心がざわざわする発言を繰り返しています、自身のことは棚上げにして上から目線で他者の批判ばかりしています、たいていそういう人は自身も同じ次元にいる人なのです、だから気になって仕方ないのです、還暦過ぎたら他者事には関わらずに自身と向き合い大人しく暮らしましょう、いい歳してお金を稼ぐ目的なのか売名行為なのか解りませんが他者を扱き下ろすのに必死な姿は自己評価に反して極めてカッコ悪いです。
日本の高齢化社会問題は叫ばれて久しいですが昨今は高齢者の犯罪や事件が多くなったのには驚きます、高齢者が高齢者を騙したり傷つけたり何とも嘆かわしいと思うばかりです、私が思うにやることが無くて暇な高齢者が増えたのも一因だと思うのです。
特に気になるニュースは別にお金に困っているわけでもないのに無銭飲食や万引きで捕まる一人暮らしの高齢者です、また最近よく目にするのが飲食店で他の客にちょっかい出したり口論したりする高齢者が増えてきたことです、この裏にいったいどんな理由があるのでしょう。
飲み仲間とも時々話題になるのですが共通した意見は「お金が有ってもやることが無い老人が増えた」ということです、そしてもう一つが「一緒に飲食したり話し合える友人知人が身の回りに居ない」のではないかということです、だからきっと世間に関わりあいたいのです、そしてここに自分がいて生きているという証が欲しいのではないでしょうか、そう考えると妙に腑に落ちるのです。
「お金が有って時間も有るけどやることが無い」って一番辛い老後ではないでしょうか、そこへいくと田舎では毎日が忙しくて他者に構っていられないほどです、農家でなくてもほぼ全世帯で庭や畑で果樹や野菜を育てています、人間相手でなくても植物であろうが動物であろうが何かの世話をしていたら本当に毎日が新たな心配事や作業があります、その合間で食事や洗濯などの生活のための作業があるのです、余計な事を考える暇もないのです。
やることが無いなら田舎に行って私のようにスローな老後を粛々と愉しめばいいのです、都会よりも生活費もかからないし他者に迷惑もかけずに済むと思うのです、でもきっと都会にしがみついている高齢者って寂しがり屋で喧嘩してでも他者と関わっていたい人なんじゃないかと思うのです、私は田舎で一人のんびりと生きたい派なのでまったく理解に苦しみますがそれが今の日本の最大の高齢者問題なのかもしれません。