多くの人が8月の季節は夏だと思っているようで驚きます、夏休みは8月が主なので子供の頃からそういうイメージを持ってしまうのかもしれません、しかし暦のうえでは8月初旬(2025年は8月7日)に立秋となり秋になります、でも実際には立秋の前後10日ほどが暑さのピークとなります、つまり暦と実際の季節感は1ヶ月ほどずれているのです。
例えば最も太陽が高くなり一日の太陽が出ている時間が長い夏至は6月下旬(2025年は6月21日)ですが本格的な暑さは一か月後の7月下旬からとなります、この季節と実際の気温のずれは何処からきているのでしょう、地球温暖化とか諸説ありますが単純な話が海水の温度がじっくりと下がり、じっくりと上がるから季節感が暦よりも遅れているだけのことです。
ただ風は素直で8月に入ると急に夜風が気持ち良くなります、湿度も8月に入ると低くなりはじめますので日陰に入ると風が気持ちよく感じるようになります、この傾向は都会よりも田舎の方が正確に表れます、その理由は都会はどこもかしこもコンクリートで固められているので太陽の熱が吸収保持され、それが夜でも反射されるので太陽が沈んでも暑く感じるのです。
そこへ行くと田舎は山に川に緑や水辺がいっぱいです、したがって昼間の太陽光線の温度が保持されるものが無いので太陽が隠れれば本来の季節の風を素直に感じることができるのです、そういえば私の田舎である信州の夏は昼は太陽がじりじり照らして暑いのですが夜はほぼエアコンなしでも過ごせます。
昨今の日本の夏の地獄の暑さは世間的には地球温暖化のせいにしています、しかし私はコンクリートで固められた地面とエアコンに車や電車がもたらす熱によるヒートアイランド現象での温度上昇の方が深刻だと思います、車が通るたびホームで電車が止まるたびに暑い空気が沸き上がります、この熱を何とかすれば日本の都会の気温は少しはましになると思うのです。
7年ほど前に菌の性質に心惹かれて以来自身で麹菌や乳酸菌を自然発生させたり培養させたり、またそれらを使って発酵食品を作ったり、新たな漬物の方法を編み出したりして大いに愉しんでいます、なかでも大興奮したのは糠床を使わない糠漬けを発案し種菌を一切使わず乳酸菌を自然発酵させて成功した時です、自身の理論が正しかった証明でもあり、これをきっかけに更に菌の世界に魅了されていきました。
菌を知ると冷蔵庫などで保存している食材の状態が明確に解るようになります、例えば腐っているのか過発酵しているのか、食材の表面にできる白っぽいものが有毒なカビなのか無害な麹や酵母なのかなども手に取るように解ります、多くの人が食材に異物が発生すると腐ったりカビが生えたと思って捨てています、逆に例えば生ハムやナチュラルチーズなどの食材が最も美味しくなるマックス状態だとしたらなんともったいないことをしているのでしょう、でもこれが世間一般の現実なのです。
それでも何年も菌生活していても未だに未知の状況に遭遇します、でも各種の状態や状況を多数経験していると初めての状況でも匂いや触ってみただけで味見することなく的確に腐敗と発酵が判断できるようになります、7年前は近寄るのも恐る恐るだった菌との共生活でしたが今では菌を自分の都合に合わせて自在にコントロールし発酵食品のアレンジが思いのままにできるようになりました。
先日も梅の塩漬けの表面に白い幕が張りました、その状況を見てすぐ「産膜酵母」が発生していることが解りました、産膜酵母そのものは無害であり正常に発酵している証拠でもあるのですが放置すると食材が過発酵によって著しく味が落ちたりその状況が過ぎると本当にその上にカビが生え腐敗してしまいます、したがって漬け汁を捨て梅を洗い直して新たに塩度を上げた漬け汁で付け直したのです、こういった判断と処置が瞬時に行えるのです。
また野菜栽培にもカビの仲間である糸状菌の存在が必須です、この菌が土壌に適正数存在すると地力が高いといい存在しないもしくは存在数が少ないと地力が低いといいます、この糸状菌は面白い性質を持っており植物の根と絡み合って根に栄養素を伝達するのです、しかし多くなりすぎると植物を分解して枯らせてしまいます、ここにも土壌の状態から見えない菌の存在や状態を見極め菌をコントロールできるノウハウが重要になります。
これも全てベランダ菜園を通して何度も何度も実験を繰り返して自身の目で確認した結果において糸状菌をコントロールできるようになったのです、そしてこのノウハウを農地栽培に応用して新たな野菜作りの方法を編み出せたのです、少ない面積でしかも短期間に大量の野菜を作るにはどうするか、見た目はただベランダで発砲スチロールやペットボトルで遊んでいるようにしか見えないでしょう、でも私なりの考えが正しいかどうかを時間をかけて何年もかけて実証していたのです、菌は本当にすごいパワーを秘めているのです。
各種の菌の性質を知って自由に扱えるようになると本当に愉しいです、オーバーな話ですが食生活を何倍も価値あるものにさせてくれます、同じ食材でも菌の力と待つ時間を惜しまなければ極普通の肉や野菜が高級食材に変わるのです、そして食べて美味しく健康と長寿の薬に変わるのです。
過去別のブログで時事経済か何かのカテゴリで投稿した記憶があるのですが、ここ数年の世界情勢が極めて第一次世界大戦後から第二次世界大戦開戦直前の情勢と酷似していると思うのです。
例えば愛国心豊かな排外的なリーダーの誕生です、これが自由民主国家の幾つかの国で同時多発的に誕生している現在において偶然では片づけられないと考えています、また日本でも極右勢力が躍進しています、場合によっては極右派のリーダーが日本でも誕生するかもしれません。
ところで右翼とか左翼とは何でしょう、これはフランス革命時のフランス国会で議長席から見て右側に保守派が陣取り左側に革新派が陣取っていたことから「右翼VS左翼」という言葉が誕生し、以後世界中で使われるようになったのです、簡単に言えば右翼は愛国心が強く排外的な思想であり左翼はその古く排他的な考え方を改めグローバルな改革を推し進めようとする思想です。
さて自国を愛するのは決して悪いことではなく正常な考えだと思います、ただこれが極まった方向に行くと確実に戦争になります、何故ならそれぞれの国が最優先であり脅かされれば排除しようとする考えがそれぞれの国が持つようになるからです、つまり世界同時多発的にこれが起こった現象が第二次世界大戦なのです。
私の大学時代はちょうど学生運動が沈静化し始めた頃で大学時代はよく友人らと安保や戦争と平和というテーマで飲み明かしたものです、そんなローカルな場でさえ意見は合わないしまとまらないのです、人それぞれに正義があって守るべきものがあります、つまり歴史も文化も異なる人種が同じ価値観を共有するのは簡単ではありません。
平和な状況は互いに自己優先ではなく他者優先の考えから生まれるのです、この時代に果たしてそんな呑気なことを言ってられるのでしょうか、少なくても少数の際立った思考も持ち主によって犠牲になるのはいつの時代も国民です、真の愛国者であるなら国民を最優先にした愛民者であってほしいと願うばかりです。
安住の地にオフィスを決めた昨年春からガーデニングや自然農の実験など四季を通してこの地で各種作業を行うようになりました、最も過酷だったのは40度近い猛暑日に朝7時からほとんど休み無しに夜の7時まで室外で樹木の手入れや収穫などを行ったことです。
そんなことを繰り返しているうちに身体の各種スペックが向上してきたことを実感しています、まずは耐暑性です、これは格段に向上しました、35度を超える日も水さえ飲んでいれば元気に過ごせます、2年前までは30度を超えるあたりから身体の内部が核反応しているかのように熱く感じたのですが今では普通に過ごせます。
また逆に耐寒性も向上しています、東京の真冬はほぼマイナスになることは無いので薄手のコートで充分です、元々寒さには強かったのですが更にステップアップしたように感じます、この耐暑&耐寒性向上と関連しているのかは解りませんが平常での体温が36度8分と2年前に比べてコンマ3度も上がっています。
また全身の筋力がかなり上がりました、そのせいなのか重いものを持ち上げるときに肘に負荷がかかりすぎて肘関節を痛めてしまいました、ただこれも寛解すると一気に上半身の筋力がパワーアップするでしょう、脚力も30分以上早歩きしても疲れ知らずです。
「歩けなくなったら一気に老ける」と言われています、確かに歩くことと噛むことが老化防止になっているという実験結果があるように、ボケないためにも安住の地で暮らすようになったら毎日身体を鍛えるように散歩に加えて各種の作業を行っていきたいと思います。
28歳で起業して以来数々のビジネス上の別れを経験してきました、社員にパートナーに取引先と相手との関係性は別にして当初は自分の何が悪かったのかと落ち込んだ時もありました、ただそんなことを繰り返し経験してくるとその後に起きることも共通していることに気付くのです。
それは新たな出会いということです、まるで必然の別れだったかのように新たに入社してくる人に新たな取引先が現れるのです、だから私はそれ以来別れに対して不安も恐怖心も何もありません、そもそも最初から同じ未来を見てビジネスを楽しむことができない人たちだったということに落ちつきます。
何故なら同じ目標を見て同じ苦労を共にできる人であればどんなに意見が食い違おうがミス連発で堪り兼ねて当たり散らそうが別れは一様に来ないからです、それよりも別れの不安や恐怖心から媚びたり妥協したりする方が互いにストレスとなり距離を置くようになるのだと思います。
出会いに理由が無いように別れにも理由付けなど一切不要です、互いに別れるべくして別れた、その事実だけでいいのです、逆にその事実を受け入れられない人はいつまでも過去を引きずり大事な目標を見失うのではないかと思います、出会いも別れも自然の摂理そのものです、そう割り切って生きれればストレスとは無縁のものとなるのでしょう。
面白いことに何でも出来て一人でも生きていけるというような人ほど多数の人に囲まれ、他者を頼らなければ生きていけないような人ほど孤独を味わっている事実、世間とは上手くできているようでいて実はいろいろな意味で陰陽二極分化するように仕組まれているように感じます。