身体の怪我はいつかは治ります、それが自己治癒能力という生命体が持っている生存機能です、でも薬を使っても絶対に治らないと思うのが性根(しょうね)です、これは何をやっても修正することは出来ないほど深いところに記憶された情報だと思います。
私はある程度の付き合いが深まると何気なく子供の頃の話を聞くようにしています、夏休みの宿題のこと、友達とどのように過ごしていたか、両親からよく言われていたことなどです、これらの行動記憶は13歳くらいまでにその人が生きていくために基本的情報として脳内に記憶され大人になってもこの基本的情報からくる思考やそれに司る行動は変わらないといいます。
例えば夏休みの宿題を最後に必死で終わらせるような人は大人になっても本来やらなければならないことを自覚していながら放置するようになります、無駄事に時間を使い業務遂行に必要な準備もせずして納期間際に必死になって何とか終わらせるというスタイルになります。
私の場合は夏休みの宿題は夏休みの前には日記以外は終わっており自由研究も昨年既に終わっているという常に先行型でした、したがって何事に関しても準備もせず納期ギリギリでやる人にものすごいストレスを感じてしまいます、こういった基本思考が異なると互いに互いの存在がストレスの対象になることは心理学を持ち出すまでもなく当たり前の事実としてほとんどの人が体験していると思います。
経済的余裕や精神的余裕があると多くの人は性根を隠して過ごすことができます、しかし一旦経済的余裕や精神的余裕が無くなると一気に性根が表面化します、つまり悪癖を持っている人は悪癖が表面性格として出てきてしまうのです、それが人が変わったようにミスを連発したり周囲と軋轢を生んだりするのです。
何れにしてもちょっとしたきっかけで性根が表面に出てしまう人は自律した大人ではないのです、だから平和に暮らしたいと思うなら性根を出さずに済むように各種の余裕感を得ることが肝要だと思います、「余裕感」は如何なる人生においても成功するための必須最低条件だと思うのです。
昨年から始まったスローライフ序章ですが思いもよらない怪我の連続です、昨夏に痛めた右肘と右手首は未だに鈍痛と動かしたときに痛みを伴います、また同時期に発症した左肩の胸郭出口症候群は腕を伸ばすと指先まで電気が走ったような痺れが走ります、どちらも重篤な症状ではないものの常に違和感があり気持ちの面でもよろしくないです。
そして約3週間前には伐採した木の太い枝が地面で跳ねて左足のアキレス腱を強打、その日は歩くと痛みが走る程度でしたが翌日からは歩くに歩けないほどの激痛に変わり大変でした、そんな状況のなかで某東南アジアの国へビジネストリップを決行しました。
痛み止めと湿布薬を大量に持って行きましたが帰国の際に運悪く1時間のディレイが発生、トランジットの空港で乗り継ぎ便の待ち時間が無く重い荷物を抱えながら1キロ以上の距離を全速力で走らされ痛みを飛び越えて左足は完全に麻痺してしまいました、悪化するのではとの不安を他所に強制リハビリ効果なのか帰国翌日には痛みがだいぶ緩和していました。
樹木の剪定では手に毎回のように幾つもの切り傷や刺し傷を作り果樹園を歩くたびに足にも枝の棘で傷を作り本当に満身創痍状態です、でもこれが一つの明るいスローライフへの流れだと考えているのです、つまり雨が止まないことが無いようにこの状況は何時までも続くとは思っていません、特に昨年と今年は私の運気は底辺にあります、ビジネスや経済面での不安よりも身体の軽微な怪我で済んでいて御の字だとも考えています。
子供の頃からとにかく怪我は人一倍多いです、家族全員の怪我を一人で背負っているのではないかというほど怪我をしてきて何度救急車に乗ったか解りません、でもそれで人生が大きく変わったこともありませんし目的は常に達成してきました、そんな人生を持つ私は「怪我は人生を大いに愉しんでいるという勲章」なんて思っているのです、怪我をするような理想の環境を得なければ怪我をすることも無かったのですから。
この春ごろから少しづつ地方オフィスに物を移動し始めています、マキシマリストの私は昔からとにかく多くの物に囲まれています、現在では東京に4ヶ所、地方オフィス、実家と都合6ヶ所に道楽及び道楽ビジネス用の道具類とコレクションの数々を分散させて保管しています。
東京ラボができるまでは2ヶ所のトランクルームと自宅で保管していましたので限られたスペースしかなく購入を抑えていたのですが、現在では各地にスペースが存在するので遠慮なしに未来に必要な道具類やコレクターズアイテムを購入しまくっています。
地方オフィスの物件は二世帯住居という大きな物件を購入した一番の理由もこれに当たります、まずは数ヶ所に分散させているコレクション物だけでも1ヶ所に集めようと思っています、何故なら整理が不完全で自身で何を持っているのかを分類できていないからです。
特にジャズのCDやレコードも分散保管されているためにカテゴリ別やアーティスト別の分類が常に中途半端になってしまっています、そんなことでジャズブログも未だに記事が整理の途中で公開されることなく放置されてしまっています、どこかでそんなストレスが溜まっていたのかこのところは俄然コレクション物の整理に燃えています。
最近では地方オフィスに行くたびにワゴン車いっぱいに私物をラボや自宅から移動させています、それにしてもかなりの荷物を移動したと思っているのですが、出るは出るはどこにこんなに置いてあったのかという物が次々と現れてきます、トランクルームって上から下まできっちりと隙間無く入るので出すとすごい量になるのです、そんなこんなでいつまで荷物移動が続くのでしょう、何とかラボの保管物だけでも今年中には片付けたいと思う昨今。
気象庁の発表では今年の冬は10年に1度有るか無いかというほどの暖冬になるそうです、東京では最低気温がマイナスになりそうもなく今冬も昨年に引き続き氷を見ることは無いでしょう。
私のような高齢者にとって寒い季節を穏やかに過ごせるのは大変ありがたいのですが半面不安な事もあります、それは本来冬季に休眠する植物たちが春だと勘違いして動き出してしまい育成スケジュールに狂いが生じてしまうことです、結果的には冬の間もずっと手入れをしないといけなくなります。
そういえば10月中旬辺りからマイナス気温連発の理想郷の地でも冬になれば枯れるはずの雑草類が枯れずに越冬しそうな勢いで青々しているものも少なくありません、また春以降に花が咲く樹木も既に咲きそうなほど蕾が膨らんでいます、梅やモクレンに関してはかなり早く咲くのではないかと思います。
こうなると休眠中に行う強剪定が間に合わずに今冬は見送らないといけない樹木がたくさん出てきます、これは手間が省けたと喜んではいられずむしろ夏に枝が大暴れして手が付けられないほどに茂ってしまいます、つまり夏の暑い時期に大掛かりな強剪定を実施しないといけませんので体力的には厳しくなります。
「人間、万事塞翁が馬」とはよく言ったもので良い事の裏には必ず悪い事が潜んでいるものです、神羅万象は成るようにしか成らないように自然の中で陰陽事象を受け入れて愉しむことが穏やかな人生を歩めるのだと思います、植物たちと平和に暮らしたいなら「この季節には必ずこれをしなくてはいけない」という常識に縛られた自己完結の思い込み思考から脱することです。
「こんなはずじゃなかったのに何で?」なんていう愚痴を行きつけのショットバーでマスターと話をしている人がいます、私が思うにほとんどの人の人生は計画通りにはなっていませんし現状に満足している人はかなり少ないと思います、だいたいの人が何かしらの不満を抱えて日々暮らしているのです。
ただ現在の状況は確実に過去自分で選択して実行してきた事が表面化しているに過ぎません、それはビジネス然りプライベート然りです、選んだ職業・人・方法・行動の全てが今に繋がっています。
愚痴る前に大いに反省し軌道修正を試みることが肝要かと思います、そもそも自分の選択や実行した結果なのに自分は間違っていないとして世の中や周囲、もっとひどい場合は親や家族のせいにする人もいます、その時点でおそらくその人は軌道修正できずに今の現状を永遠に繰り返すしかないと思います。
自分の身の回りに起こっている事をまずは素直に受け入れることです、そして妙なプライドを捨て自身と真摯に向き合うことです、人生の軌道修正ができない人に限って「譲れない拘り」とかいう意味のない鎧を身に纏っているのです、その鎧が自身をどんどん追い込んでいることを自覚することです。
面白いことに計画通りにいかずに不満を抱えている人ほど他者には上から目線でアドバイスや指摘するのが好きなようです、私が思うに自身の現状を認められずにマウントを取ることで心の隙間を埋めているようにしか思えません、そんな自分に素直に生きられない人が実に多くなったと感じる昨今。
ところで今の自分の姿は若かりし頃に夢見た姿でしょうか、そうではないなら何歳になってもやり直せばいいと思います、それができないなら愚痴を言わずに現状を甘んじて受け入れればいいだけです、それが何歳になっても日々を幸せに暮らす方法だと思います。