人は生まれる前から、一部の個性(表面性格=思考+行動パターン、容姿など)が既に形成されていると言ったら信じますか?
人の表面性格とは、脳内ホルモンの分泌能力に大きく関与していることが近年になり解ってきています。
この脳内ホルモンとは、モノアミン神経伝達物質系のノルアドレナリン、ドーパミン、そしてセロトニンの3種です。
簡単に言いますと、不快感を司るノルアドレナリン、快楽を司るドーパミン、それらの量を調整するセロトニンの3つの脳内ホルモンの性質により個性が決まると言っても過言ではないのです。
多くの性格はこれらの分泌の量や滞在時間によって形成され、心の病気はこれらの分泌異常によって引き起こされているのです。
そして、この脳内ホルモンは遺伝と深く関わりがあるのです。
つまり生まれる前から、ある程度の一部の個性が決まっているという一つの解がここにあります。
さらに表面性格を形成する大きな要因は母体にいるときの環境です、胎児は5ヶ月目に既に耳が聞こえ7ヶ月目で光を感じることができるのです。
不快や心地よい音や光、これらの環境によっても表面性格形成に大きく関わってきています。
また3歳くらいまでは、これらの置かれた環境の影響を受けやすいことも解っています。
どうですか、生まれる前から一部の個性(表面性格)が既に決まっているという話しですがこれは医学や科学によって近年解明されている真実なのです。
服装や小物など自分の好きな色をそれぞれの人が持っています、でもその色が自分に似合っているのかどうかを考えたことはあるでしょうか?
確かに、自分の好きな色の洋服を着て靴を履いてバッグや小物も揃えると気分が良いものです、また使っていても大変しっくりきます。
しかし周囲の人から見ると、その人の良さを出しているか否かはよく解るのですが本人はまったくそれに気付きません。
それ以上に、似合っている色よりも自分の好きな色を身に着けた方が自分にとって好ましく思っているのです。
自分の好きな色と似合う色はまったく別物なのです、もっとも双方が同じであればこれは大変幸せなことです。
色はさておき、これと同様に自分の好きな職業と自分に合う職業という場合はどうでしょうか、これが不一致の場合は本人も周囲も大変不幸なことです。
更に深刻なのは、好きな職業と思って頑張っていたのに自分には向いてない職業だとしたら必ず長い間に自覚症状が無いままにストレスが蓄積されていきます。
「気が付いたときには心身がボロボロになっていた」、なんて不幸なことも起こるのです。
「自分は何がやりたいのか、どんなことが好きなのか?」と考える前に、「自分に相応しいことって何だろうか?」と考えることが肝要だと思います。
つまり、これが「生まれ持った使命を知る」ということではないでしょうか?
それに気付いたとき、決して遅くはありません、道筋をつけて自分に合っていることをできるように軌道修正することが重要です。
自分に合っていないことは、いずれは何処かで無理がくるものなのです。
節分においての「豆まき」に、豆をぶつけられる「鬼」は何時ごろ誕生したのでしょうか、桃太郎や一寸法師などのおとぎ話にも登場し挿絵を見ると皆同じ姿をしています。
鬼は、インドに伝わる釈迦の修行を邪魔したとされている「マラ」の存在が起源ではないかと言われています。
「マラ」は、その後仏教と同時に中国に伝わり「魔羅」と書き表され、そのままの音で意味も同様に伝わりました。
仏教が中国に伝わった後に、中国の「西遊記」に登場し孫悟空と最初に戦う魔王が「牛魔王」でした。
それは、牛の角を持ち虎の腰巻というほぼ今の鬼の原型のような姿で登場します。
これらの経緯をたどりながら現在の「鬼」の容姿等が日本に伝わってきたものと推測されます、尚これを裏付けるように室町時代の書物や絵画には現在の鬼の姿が描かれています。
鬼という字は「魂」から来ており、元々は「亡霊」や「霊魂」などを意味する漢字です。
このことからも当初は「人間の邪気」を指しており、それが仏教画などを通してして今の姿に徐々に固定されて来たものと想像することができます。
また牛の角と虎皮のパンツですが、五行思想の方角でいう「鬼門」に当たる北東に「丑」と「虎」が当たるからだという説があります。
更に、「桃太郎」ではその鬼を退治するのが裏鬼門に当たる申(サル)、酉(キジ)、戌(イヌ)がお供に付きます。
本来の裏鬼門の位置は未(ヒツジ)・申(サル)・酉(トリ)ですが、ヒツジは弱そうなのでイヌを加えたかったのだと推測の域を出ませんが考えられなくもありません。
いずれにしても古代から、最も怖いのは「人間の邪気」ということではないでしょうか?
鬼の正体とは、実のところは釈迦の修行をも邪魔したとされる人間の持つ弱さや迷いなどの邪念の「心」だったのではないかと思います。
「恵方巻き(えほうまき)」とは、「豆まき」と並び節分の日の夜に吉方に向けて食べる太巻き寿司のことで、近年に日本で生まれた習慣です。
コンビニエンスストアーが戦略的に仕掛けた商品で、今では全国区の行事として定着しています。
1989年に関西で定着していた恵方巻きを広島地方で売り出したのか最初で、その後1998年より全国のチェーンストアで売り出しを開始しました。
この「恵方巻き」の起源は、江戸時代末期の大阪船場(商人の町)で商売繁盛の行事として始まったとされます。
戦後しばらく途絶えていましたが、1974年に大阪の海苔問屋により海苔のセールスイベントとして復活したものです。
この「恵方巻き」の意味は「福を巻き込む」というもので、七福神にちなんで七種の具を入れた太い巻き寿司としています。
それを節分の夜に恵方(吉方)に向けてかぶりつきます、つまり福をかぶりついて取り込むという意味があります。
もう一つ、形と色から「豆まきで退散した鬼が置いていった金棒」と言う意味もあり、厄払いの最後の仕上げに食するのだといいます。
ここでルールがあります、それは笑顔でしゃべらず黙って食さなければいけないということです。
もう一つ重要なルールは、絶対に切ってはいけないということです。
これは「縁を切る」に繋がり縁起が悪いとされています。
「節分」には「豆まき」をして厄払いと春の到来を祝います。
豆まきの「鬼は外、福は内」という掛け声ですが、地方によっては「鬼は内、福は外」、「福は内、鬼も内」など地方独特の文化によって異なるようです。
また、丹羽家が藩主だった二本松では「鬼外、福は内」と「おにはそと」と言わず「おにそと」と言うようです。
これは丹羽(にわ)という読みが「おにはそと」と言うと、その地の殿様は「外だ」と言っているように聞こえるため、それを避けるように「おにそと」と言うようになったものです。
ここで「豆をまく」という意味ですが、これは中国の「五行思想」に関連しています。
実は、豆そのものが「災い」の象徴であり、豆をぶつけられる鬼が災いの対象ではありません。
乾燥させた豆はとても硬いです、硬いものは五行では「金」の気になります、また「災い」も「金」の気に含まれます。
逆に、「金」の気は自ら「災い」を撥ね返すことができ、簡単には毒されない侵されないという無敵の強気でもあります。
その象徴である「金」に見立てた豆を、「金」の相剋の関係にある「火」をもって焙ることにより「金」を再生する、つまり「災い」を浄化するという意味があったのです。
また、「金」の気は「木」の気の相剋の関係にあります。
節分(立春の前日)の「豆まき」の風習とは、「金」を「火」で剋することにより「木」の相剋の「金」を浄化し「木」を助ける、つまり春の草木の息吹と生命体である人間の健康を祝う行事であるということです。