年末に飾られる「鏡餅」ですが、室町時代後期に繁栄と一年の安全を祈願して武家屋敷に始まった鎧と餅や昆布などの縁起物を飾る「具足餅」が庶民に定着したものです。
「鏡餅」の語源は形が平たい円形で当時の手鏡に似ていることから名づけられたもので、12月28日の末広がりで幸福を意味する「八」の字の付く日にお供えされ、通常1月11日にこれを雑煮や汁粉にして食べます、これを「鏡開き」と言います。
同じ頃にお祝い事として定着している行事に「七草粥」があります。
これは、年の最初の節句である「人日の節句=1月7日」に春の七草を刻んで入れて食べるお粥のことです。
人日(じんじつ)の節句は、他の節句同様に中国古来の文化であり日本に伝来した文化の一つです。
春の七草とは、セリ・ナズナ(ぺんぺん草)・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ(かぶの葉)・スズシロ(大根の葉)です。
お正月と言えば、子供の最大の関心事はお年玉ではないでしょうか?
お年玉の起源は中国で唐の時代(712年から750年ごろ)に宮廷で始まり、その後庶民化した圧歳銭(ヤースイチェン)という習慣がそれに当たります。
お年玉は中国文化であり、韓国や台湾でも同様の習慣が残っています。
日本では「年玉」という神社に丸い餅を新年にお供えし、その後それを紙に包んで庶民に配っていたという記録が残っています。
総合的に考えると、おそらくこの「年玉」という名前と中国からのお金を与える習慣が合体し、今の子供に親族や両親がお金を与える習慣を「お年玉」と呼ぶようになったのではないかと推測いたします。
日本には、古来から起源は解らなくても庶民に根付いている風習は沢山あります、古き良き文化は残して行きたいと思います。
「大晦日(おおみそか)」とは、12月の31日の1年の最後の日を表す歴注です。
旧暦では毎月の最後の日を「晦日(みそか)」と言います、したがって月によっては28日のときもあります。
三十は「みそ」で日は「か」と読みそのまま語源は三十日のことであり、この三十日の1年の最後の三十日と言う意味で「大三十日=大晦日」となったのです。
ちなみに「晦」という字は「つごもり」と読み、三十日を旧暦では「月ごもり」と言い、それが訛ったものと考えられています。
これは、月が新月から30日目にはまた新月となり見えなくなる状態からであり、これに対して1日(ついたち)は月が見える状態となるため月立ち(つきたち)と言い、これが訛ったものです。
「節分(せつぶん)」とは、四季の季節の変わり目を指す歴注の一つです。
季節の変わり目とは「二十四節気」のうち「立春」・「立夏」・「立秋」・「立冬」の4つで、それぞれ春・夏・秋・冬の始まりを示しています。
そして、その前日を「節分」と言います。
これは、正月の前の「大晦日」と同様の意味付けとなります。
本来は先述したように年に4回の節分があるのですが、近年では単に「節分」というと「立春」の前日のことを言います。
日本の暦には、季節を表す指標として「夏至」や「冬至」などが記されています。
これらは全て中国から伝来した、「二十四節気(にじゅうよんせっき)」(節季でなく節気である点に注意)という季節を表す歴注なのです。
「二十四節気」は、太陽の1年間の地球を中心とした軌道(黄道)を5度づつ二十四に分割した、見かけ上の太陽が地球を回るポイントを表したものです。
「二十四節気」は、立春に始まり雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒、と続き一年間の季節を24の単位で表します。
また、一つの「二十四節気」を更に3等分した、約5日間を「七十二候」と呼び、詳細にその季節の情景を表すようになっています。
そう考えると、先人たちの季節の移り変わりを楽しんでいた情緒豊かな感性を感じます。
また、農作業の指標や冬の準備など、生活のリズムを広く人々に伝えるように考え出されたものです。
「大寒」は旧暦でいう最後の「二十四節気」です、次は「立春」で1年の始まりを告げるおめでたい日となります。