日本語は、世界的に見ても文法も言葉の要素もかなり独特です。
例えば、文法はモンゴル語や韓国語とほとんど同じなのですが否定・過去完了・未来形などの方法や表現が異なります。
我々日本人は生まれながらに自然に日本語を使っています、そして「日本語という独自の文化によって思考もその方向へ傾いている」、と思うところが多々あります。
この世界的に見て独自の言語システムを持つ日本語について、波学的思考の観点からお話ししたいと思います。
「話は最後まで聞くものだ」、よく聞く言葉です。
確かにマナー的にも重要なことなのですが、それ以上に日本語という言語システムそのものが持つ特異性がそうさせているのです。
日本語というのは、使いようでは非常に便利な言語でもあります。
例えば、「私はこれに関しては賛成・・・」というところで相手の顔色などを見ながら話の最後の最後で、「・・・です」とか「・・・できません」などと可否を決定することができるのです。
これはビジネス上では非常に有効な言語であるとも言えます、そして世界を見ても最後の最後に意思決定を表現できる言語は唯一日本語だけです。
英語などでは最初に肯定や否定が解ってしまうので、最後まで聞くまでもなく判断できてしまいます。
また、同じ文法圏の韓国語でさえ、動詞の最初で否定しますから、これも途中で解ってしまい最後まで聞かなくも大筋は解ります。
このように日本語では特に、途中で相手の話の腰を折ってしまうと、相手が本当に言いたいことが解らず本心を聞く機会を失ってしまうのです。
更に通常の日本人は最後に重要な話を持ってくるので、その結論を言う前に遮断され「最後まで聞けよ!」と大いに憤慨されることもあります。
また、「私はこれこれの理由で反対です、しかし今回だけは状況を考えて賛成します」という遠まわしな言い方をすることも日本人の会話には多く見られます。
これが日本人特有の曖昧文化の一つかもしれませんが、この場合など途中で「何でですか!」と言ってしまえば相手は同調しているにも関わらず敵対視しているように感じます、折角賛成と考えていても感情的に反対に回ることすらあります。
日本語で会話する際には、特に相手の本心を真に聞きたいと思うなら最後まで話を聞くに限ります。
また、自分から話すときにはタイミングを考えることが肝要です。
更に、正確な情報を得るという目的に照らし合わせてみても、話の途中で意見を言ってしまうと相手の本心が聞けないばかりか情報そのものが曖昧になってしまうのです。
日本語とは「落ち着いて相手の話を最後まで聞ける謙虚な姿勢を美学とする言語」、そんな文化から派生した言語であることを決して忘れてはいけません。
節分においての「豆まき」に、豆をぶつけられる「鬼」は何時ごろ誕生したのでしょうか、桃太郎や一寸法師などのおとぎ話にも登場し挿絵を見ると皆同じ姿をしています。
鬼は、インドに伝わる釈迦の修行を邪魔したとされている「マラ」の存在が起源ではないかと言われています。
「マラ」は、その後仏教と同時に中国に伝わり「魔羅」と書き表され、そのままの音で意味も同様に伝わりました。
仏教が中国に伝わった後に、中国の「西遊記」に登場し孫悟空と最初に戦う魔王が「牛魔王」でした。
それは、牛の角を持ち虎の腰巻というほぼ今の鬼の原型のような姿で登場します。
これらの経緯をたどりながら現在の「鬼」の容姿等が日本に伝わってきたものと推測されます、尚これを裏付けるように室町時代の書物や絵画には現在の鬼の姿が描かれています。
鬼という字は「魂」から来ており、元々は「亡霊」や「霊魂」などを意味する漢字です。
このことからも当初は「人間の邪気」を指しており、それが仏教画などを通してして今の姿に徐々に固定されて来たものと想像することができます。
また牛の角と虎皮のパンツですが、五行思想の方角でいう「鬼門」に当たる北東に「丑」と「虎」が当たるからだという説があります。
更に、「桃太郎」ではその鬼を退治するのが裏鬼門に当たる申(サル)、酉(キジ)、戌(イヌ)がお供に付きます。
本来の裏鬼門の位置は未(ヒツジ)・申(サル)・酉(トリ)ですが、ヒツジは弱そうなのでイヌを加えたかったのだと推測の域を出ませんが考えられなくもありません。
いずれにしても古代から、最も怖いのは「人間の邪気」ということではないでしょうか?
鬼の正体とは、実のところは釈迦の修行をも邪魔したとされる人間の持つ弱さや迷いなどの邪念の「心」だったのではないかと思います。
「恵方巻き(えほうまき)」とは、「豆まき」と並び節分の日の夜に吉方に向けて食べる太巻き寿司のことで、近年に日本で生まれた習慣です。
コンビニエンスストアーが戦略的に仕掛けた商品で、今では全国区の行事として定着しています。
1989年に関西で定着していた恵方巻きを広島地方で売り出したのか最初で、その後1998年より全国のチェーンストアで売り出しを開始しました。
この「恵方巻き」の起源は、江戸時代末期の大阪船場(商人の町)で商売繁盛の行事として始まったとされます。
戦後しばらく途絶えていましたが、1974年に大阪の海苔問屋により海苔のセールスイベントとして復活したものです。
この「恵方巻き」の意味は「福を巻き込む」というもので、七福神にちなんで七種の具を入れた太い巻き寿司としています。
それを節分の夜に恵方(吉方)に向けてかぶりつきます、つまり福をかぶりついて取り込むという意味があります。
もう一つ、形と色から「豆まきで退散した鬼が置いていった金棒」と言う意味もあり、厄払いの最後の仕上げに食するのだといいます。
ここでルールがあります、それは笑顔でしゃべらず黙って食さなければいけないということです。
もう一つ重要なルールは、絶対に切ってはいけないということです。
これは「縁を切る」に繋がり縁起が悪いとされています。
「節分」には「豆まき」をして厄払いと春の到来を祝います。
豆まきの「鬼は外、福は内」という掛け声ですが、地方によっては「鬼は内、福は外」、「福は内、鬼も内」など地方独特の文化によって異なるようです。
また、丹羽家が藩主だった二本松では「鬼外、福は内」と「おにはそと」と言わず「おにそと」と言うようです。
これは丹羽(にわ)という読みが「おにはそと」と言うと、その地の殿様は「外だ」と言っているように聞こえるため、それを避けるように「おにそと」と言うようになったものです。
ここで「豆をまく」という意味ですが、これは中国の「五行思想」に関連しています。
実は、豆そのものが「災い」の象徴であり、豆をぶつけられる鬼が災いの対象ではありません。
乾燥させた豆はとても硬いです、硬いものは五行では「金」の気になります、また「災い」も「金」の気に含まれます。
逆に、「金」の気は自ら「災い」を撥ね返すことができ、簡単には毒されない侵されないという無敵の強気でもあります。
その象徴である「金」に見立てた豆を、「金」の相剋の関係にある「火」をもって焙ることにより「金」を再生する、つまり「災い」を浄化するという意味があったのです。
また、「金」の気は「木」の気の相剋の関係にあります。
節分(立春の前日)の「豆まき」の風習とは、「金」を「火」で剋することにより「木」の相剋の「金」を浄化し「木」を助ける、つまり春の草木の息吹と生命体である人間の健康を祝う行事であるということです。
年末に飾られる「鏡餅」ですが、室町時代後期に繁栄と一年の安全を祈願して武家屋敷に始まった鎧と餅や昆布などの縁起物を飾る「具足餅」が庶民に定着したものです。
「鏡餅」の語源は形が平たい円形で当時の手鏡に似ていることから名づけられたもので、12月28日の末広がりで幸福を意味する「八」の字の付く日にお供えされ、通常1月11日にこれを雑煮や汁粉にして食べます、これを「鏡開き」と言います。
同じ頃にお祝い事として定着している行事に「七草粥」があります。
これは、年の最初の節句である「人日の節句=1月7日」に春の七草を刻んで入れて食べるお粥のことです。
人日(じんじつ)の節句は、他の節句同様に中国古来の文化であり日本に伝来した文化の一つです。
春の七草とは、セリ・ナズナ(ぺんぺん草)・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ(かぶの葉)・スズシロ(大根の葉)です。