「節分」には「豆まき」をして厄払いと春の到来を祝います。
豆まきの「鬼は外、福は内」という掛け声ですが、地方によっては「鬼は内、福は外」、「福は内、鬼も内」など地方独特の文化によって異なるようです。
また、丹羽家が藩主だった二本松では「鬼外、福は内」と「おにはそと」と言わず「おにそと」と言うようです。
これは丹羽(にわ)という読みが「おにはそと」と言うと、その地の殿様は「外だ」と言っているように聞こえるため、それを避けるように「おにそと」と言うようになったものです。
ここで「豆をまく」という意味ですが、これは中国の「五行思想」に関連しています。
実は、豆そのものが「災い」の象徴であり、豆をぶつけられる鬼が災いの対象ではありません。
乾燥させた豆はとても硬いです、硬いものは五行では「金」の気になります、また「災い」も「金」の気に含まれます。
逆に、「金」の気は自ら「災い」を撥ね返すことができ、簡単には毒されない侵されないという無敵の強気でもあります。
その象徴である「金」に見立てた豆を、「金」の相剋の関係にある「火」をもって焙ることにより「金」を再生する、つまり「災い」を浄化するという意味があったのです。
また、「金」の気は「木」の気の相剋の関係にあります。
節分(立春の前日)の「豆まき」の風習とは、「金」を「火」で剋することにより「木」の相剋の「金」を浄化し「木」を助ける、つまり春の草木の息吹と生命体である人間の健康を祝う行事であるということです。
年末に飾られる「鏡餅」ですが、室町時代後期に繁栄と一年の安全を祈願して武家屋敷に始まった鎧と餅や昆布などの縁起物を飾る「具足餅」が庶民に定着したものです。
「鏡餅」の語源は形が平たい円形で当時の手鏡に似ていることから名づけられたもので、12月28日の末広がりで幸福を意味する「八」の字の付く日にお供えされ、通常1月11日にこれを雑煮や汁粉にして食べます、これを「鏡開き」と言います。
同じ頃にお祝い事として定着している行事に「七草粥」があります。
これは、年の最初の節句である「人日の節句=1月7日」に春の七草を刻んで入れて食べるお粥のことです。
人日(じんじつ)の節句は、他の節句同様に中国古来の文化であり日本に伝来した文化の一つです。
春の七草とは、セリ・ナズナ(ぺんぺん草)・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ(かぶの葉)・スズシロ(大根の葉)です。
お正月と言えば、子供の最大の関心事はお年玉ではないでしょうか?
お年玉の起源は中国で唐の時代(712年から750年ごろ)に宮廷で始まり、その後庶民化した圧歳銭(ヤースイチェン)という習慣がそれに当たります。
お年玉は中国文化であり、韓国や台湾でも同様の習慣が残っています。
日本では「年玉」という神社に丸い餅を新年にお供えし、その後それを紙に包んで庶民に配っていたという記録が残っています。
総合的に考えると、おそらくこの「年玉」という名前と中国からのお金を与える習慣が合体し、今の子供に親族や両親がお金を与える習慣を「お年玉」と呼ぶようになったのではないかと推測いたします。
日本には、古来から起源は解らなくても庶民に根付いている風習は沢山あります、古き良き文化は残して行きたいと思います。