2024年10月21日 07:00
日本語は、世界的に見ても文法も言葉の要素もかなり独特です。
例えば、文法はモンゴル語や韓国語とほとんど同じなのですが否定・過去完了・未来形などの方法や表現が異なります。
我々日本人は生まれながらに自然に日本語を使っています、そして「日本語という独自の文化によって思考もその方向へ傾いている」、と思うところが多々あります。
この世界的に見て独自の言語システムを持つ日本語について、波学的思考の観点からお話ししたいと思います。
「話は最後まで聞くものだ」、よく聞く言葉です。
確かにマナー的にも重要なことなのですが、それ以上に日本語という言語システムそのものが持つ特異性がそうさせているのです。
日本語というのは、使いようでは非常に便利な言語でもあります。
例えば、「私はこれに関しては賛成・・・」というところで相手の顔色などを見ながら話の最後の最後で、「・・・です」とか「・・・できません」などと可否を決定することができるのです。
これはビジネス上では非常に有効な言語であるとも言えます、そして世界を見ても最後の最後に意思決定を表現できる言語は唯一日本語だけです。
英語などでは最初に肯定や否定が解ってしまうので、最後まで聞くまでもなく判断できてしまいます。
また、同じ文法圏の韓国語でさえ、動詞の最初で否定しますから、これも途中で解ってしまい最後まで聞かなくも大筋は解ります。
このように日本語では特に、途中で相手の話の腰を折ってしまうと、相手が本当に言いたいことが解らず本心を聞く機会を失ってしまうのです。
更に通常の日本人は最後に重要な話を持ってくるので、その結論を言う前に遮断され「最後まで聞けよ!」と大いに憤慨されることもあります。
また、「私はこれこれの理由で反対です、しかし今回だけは状況を考えて賛成します」という遠まわしな言い方をすることも日本人の会話には多く見られます。
これが日本人特有の曖昧文化の一つかもしれませんが、この場合など途中で「何でですか!」と言ってしまえば相手は同調しているにも関わらず敵対視しているように感じます、折角賛成と考えていても感情的に反対に回ることすらあります。
日本語で会話する際には、特に相手の本心を真に聞きたいと思うなら最後まで話を聞くに限ります。
また、自分から話すときにはタイミングを考えることが肝要です。
更に、正確な情報を得るという目的に照らし合わせてみても、話の途中で意見を言ってしまうと相手の本心が聞けないばかりか情報そのものが曖昧になってしまうのです。
日本語とは「落ち着いて相手の話を最後まで聞ける謙虚な姿勢を美学とする言語」、そんな文化から派生した言語であることを決して忘れてはいけません。